#043「朝焼けと共に来たるもの」
雨が降った日のあとは、どこもかしこも霧が立ち込める。
ヴォレアスでは雨は降らず、遥か上空で雪に変わり氷に変わるが、屋根裏の『扉』から続く狩猟空間では、霧氷が発生する程度に気温が高かった。
スイスのアルプス山脈、ノルウェーの森、シベリアのタイガ。
気候条件は初春だろうか。
まばらな白とうっすらした緑に、心が和む。
(ママさんいったい、どんな呪文でこういう空間を作ったんだろう?)
とにもかくにも、全体的に景色が美しい。
俺は今日、朝早くに目を覚ましたので、ひとり朝焼けでも眺めようかと焚き火を行っていた。
「……ズズズズズッ」
切り株の椅子に座り、音を立てて慎重に啜るのは、湯気をくゆらせる手製のホットドリンク。
材料はママさんの軟膏や、普段の夕飯などでも見かけるこの世界独自の植物だ。
それらを磨り潰して、よくお湯に溶かして飲む。
北方大陸というか極寒の地では、人はエールを飲んで暖を取るのが一般的らしい。
が、ママさんは「子どもにお酒は飲ませません」と、代わりにこういったものを教えてくれた。
飲むとたしかに、体がポカポカしてくる。まあ、味はそれほどよくないが……なんか苦いし。
「はぁぁ……」
息を吐き、木製のコップをさする。
この時間、ママさんは自分の実験室で、家畜たちの様子を見ている。
ケイティナはまだまだ、ぐっすりベッドの中。
そのため、きちんとした朝食には、もう少ししないとありつくことができない。
だが、つまみ食い程度のちょっとした手料理であれば、俺はママさんからこっそり許されていた。
「……」
その上の平らな石板では、現在、
「そろそろ、火ぃ通ったかな?」
軽く様子を調べる。
残念。
もう少しだけだが、火が必要そうだ。
追加の薪を焚べて、俺はまだかなまだかな、と期待に胸を膨らませる。
ダチョウならぬ駄鳥。
ドルモアは地球の動物だと、大昔に絶滅したとされているドードーっていう鳥とジャイアントモアの
見た目はそれこそ、中型犬サイズのダチョウに近いが、警戒心のなさとアホっぽい面構えが、およそ野生という二文字をあまりにも紛失している。
卵はニワトリのものより、一回りは大きい。
(肉も食い出がある)
まるでその存在は、家畜となるためだけに生まれてきたかのごとく。
なんと哀れでありがたい鳥か。
ちなみに、卵の提供源はもちろんママさん。
ここに降りてくる前、卵をもらえないかとお願いすると、ケイティナには内緒にすることを条件にひっそり恵んでくれた。
塩の小瓶もあるので、こんな日は綺麗な朝焼けでも見つつ、塩をまぶした目玉焼きで優雅なひと時をキメるに限る。
「ズズズっ──ふぅ」
やはり自然に囲まれた生活はいい。
雄大で壮麗で、こんな綺麗な世界で生きていられるなら、それだけで幸せだと胸に迫ってくるものがある。
無論、不便も多いし苦労も多いが、異世界での生活も決して悪くはないものだ。
「……そろそろいい感じかな」
目玉焼きを木匙ですくい取り、ひょいっ、と木皿へ乗せる。
事前に油を引いておいたから、こびり付くこともなく綺麗に剥がせた。
それから塩を少々、ソルトおじさんのポーズで摘み落とし、超絶シンプルなドルモアの目玉焼きが完成──温かい内にかっ食らう。
「はふっ、はふっ」
濃厚な黄身の味と、淡白な白身とのバランスが素晴らしかった。
気になる点といえば、やや鼻に抜けていく独特な風味の強さ。
しかしそれも、異世界特有の野趣に富んだ味だと思えば、乙なもの。
ほどよい塩っけと合わさって、なんだか段々、カリカリのトーストとベーコンが恋しくなってきた。
ホテルでのブレックファストがたべたい。
「うめっ、うめっ」
脳裏で戯れ言を浮かべていると、不意に朝焼けがやって来た。
世界が一斉に、暖かみを帯びた絵筆に塗りたくられる。
薄らとしたオレンジ。
淡いピンクの中間。
森も地面も、山肌も雪渓も、すべてが太陽の光に照らされて喜びに染まっていく。
「ゴクン…………あぁ」
俺の夜目も、すかさず視界を切り替えたのが分かった。
相変わらず、どういう
ダークエルフの身体能力に、特段優れた夜目など無いということを、今の俺は本を読んで知っている。
しかし、ならばどうして、俺だけこのような暗視能力を備え持っているのか。
ケイティナやママさんに訊ねてみたこともあるが、二人とも分からないと言っていた。
(あの二人に分からないことが、俺に分かるワケないっちゅうのに)
なので、一応、書棚に残っている未読の本なども継続して調べてみたりしているが、あいにくどうも答えは見つかりそうにない。
(もしかすると、突然変異だったりして?)
捨てられた理由も、案外そのあたりに繋がっているのかも。
まあ、今さら考え詰めたところで、何の益体にもならない瑣末事だが。
「う〜ん」
体を伸ばし、ちょっとしたストレッチ。
ひとりの時間が長かったからだろうか。
俺はひとりになると、ついつい黙考に沈むクセがある。
「いや、べつにひとりにならなくてもだな」
ちょっと前に、ケイティナに注意されたことを思い出した。
そういえば、あの寝坊助美少女はそろそろ起きた頃合だろうか?
「一日が二十六時間もあるからって、寝すぎはよくないよなぁ」
まあ、俺も最近はなんだかんだと惰眠を貪る日が出てきてしまっているけど。
やっぱあれかね?
人間は快適を手にすると、際限なく堕落していく生き物なのかね?
寒さに耐え得るためにも、人間は多少、ぷにっとしていた方が好ましいと感じる俺だが、自堕落すぎるのもイケナイと思う今日この頃……
「ふぁ〜あ。さて、今日は何して過ごすか」
エルノス語、セプテントリア語。
ふたつの言語を不便なく使いこなせるようになり、日常生活でも様々な常識を学んでいる。
両眼の謎を探るため、ダークエルフ関連の書物を読めるよう、メラネルガリア語でも勉強するか?
久しぶりに言語パズルに耽けるのも悪くはないが、そうするとケイティナがまた要らん気遣いをしてくる可能性があるか……
ここはやや迂遠に、
せっかく長い寿命があるのだ。使える言語はいくら増やしたっていい。
──と、俺がそんな風に再度物思いに耽り始めていると、
ドゴォォォォォンッッ!!
「……っ!?」
突如、穏やかな朝を打ち砕くように轟音が響き渡った。
音は大きく、そして近く、大気と大地を震わせて、足元にまでたしかな揺れを伝える。
「な、なんだ!? 地震か!?」
驚いて辺りを見回すも、揺れは短く、すぐに収まった。
しかし、明らかな『異常』が目に留まる。
「……煙?」
少し離れた森の方、まるで隕石でも降ってきたみたいに、土煙と雪煙が巻き上がっていた。
獣や怪人類の仕業とは思えない。
ママさんの作り上げたこの狩猟空間に、森の木々を地面ごと捲りあげてしまうような存在は、何一つとして存在しないからだ。
少なくとも俺はこれまで、図鑑に載っていた
(オオカミやアナグマさえいないんだぞ?)
いや、もしかしたらアナグマ程度の中型危険動物はいるかもしれないが、しかしエンカウント回数は今のところゼロ。
ママさんは俺を、明らかに危険な場所に向かわせる気がない。ザ・スーパー過保護!
「────やべぇな」
俺は一瞬、どうするか思いを巡らせた。
だが、気づけば足は勝手に動き出し、好奇心が恐る恐る轟音の鳴った方へ身体を向かわせていく。
その事実に、俺は自分でも驚いた。
まさか俺の中に、こんなにも怖いもの見たさな気持ちがあっただなんて。
それとも、異世界サバイバーとしての本能がそうさせるのだろうか。
果たして、鬼が出るのか蛇が出るのか。
斧の柄を知らずグッと握り込み、俺は慎重に森を進んでいく。
思った通り、獣の気配はしない。
最初の轟音とは裏腹に、物音は次第にどんどん鳴りを潜めていき、やがて……
「グ……ッ、うぐ──!」
(!)
木立の隙間から、驚くべき光景を目の当たりにした。
そこにいたのは、はじめて見る存在だった。
朝焼けの温もりに照らされて、灯火のように金髪を輝かせる美貌。
長い耳と、白すぎる肌。
ダークエルフを反転させたならば、ちょうどこのような色調になるだろうという秀麗な外見。
──
それは、ファンタジー世界の代名詞とも言える種族であり、
(……怪我を! してるのかっ!?)
しかし、震える体と掠れた呻き声。
体力を消耗しているのは遠目からでも理解でき、「あ」と思った瞬間にはガクリと気を失ってしまう。
背には、
別名、トゥーハンデッドソード。
この世界では、トロール殺しとも呼ばれる。
異様に目を引く、両手剣を所持している。
……波乱の幕開け。
その予感が、ビシビシと肌を圧倒した。
助けるか?
助けないか?
「…………頼むから、目を覚まさないでくれよ?」
俺は警戒しながら、とりあえず武装を解除して助けることを決めた。
この人物が危険人物かどうかはさておき、傷ついた人間がいるのなら助けてみよう。
エルフは同じ人間道の種族だし、見るからに弱っている。
幸い狩猟空間は広い。
(山奥の洞窟で放置して、しばらく様子を見てみるのがいいか?)
悪人っぽかったら、急いで逃げてママさんに扉を閉めてもらえばいい。
俺はそうと決めると、おっかなびっくりエルフの男に近づいていった。
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tips:エルフ
人界・人間道に分類される白金系碧眼長寿種族。
寿命はダークエルフと同じく不明。
一説によると、だいたい二千〜三千年程度の時間をかけて老い衰えていくとされているが、中には三千を超えてなお若さを失わぬ特別な個体もいる。
長く尖った耳と洗練された容貌を持ち、自然治癒力が高いことで知られている。
エルノスの三種族その一角であり、中つ星に最初に生まれた人類。
第二次性徴を経ると、男性女性ともに長髪および長駆に成長する傾向がある。
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