#030「ラズワルド」



 地獄のような世界にも、一条の光は差し込んでいる。

 永久凍土地帯ヴォレアスでの毎日は、ほとんどが見飽きた光景の繰り返しだが、ごく稀に息を呑むほどの絶景とも遭遇することが可能だ。


 満天の星と極光の天鵞絨ビロウド


 吹き付ける風は止んでいて、空を覆う憂鬱な凍雲はどこかへと消えている。

 時刻は昼間の十三時。

 昼食を終えた午後。

 あたりは暗く、極夜の闇が世界を覆う。

 しかしながら、こと暗闇という状況下において、俺の両眼は何の不自由ももたらさない。


「あら──よっ、と!」


 トッ、カラン! トッ、カラン!

 掛け声と一緒に、薪の割れる軽快な断裂音。

 今日は天気がいいので、朝からずっと家の外で薪割りだ。

 すぐそばには何重にも重ね着をした着膨れ状態のケイティナがいて、焚き火の近くから感心したように俺を見つめている。


「へぇ、本当に見えてるんだね。手元とか、狂っちゃったりしない?」

「しない」

「いいなぁ。ここからだと私、本当にぼんやりとしかラズくんのこと見えないよ?」

「焚き火もあるし、星明かりもあるのに?」

「焚き火もあるし、星明かりもあるのに」

「……まぁ、そっか。それが普通なのか。今日はまだ、明るい方だと思ったけどな」


 いいなぁ、と。

 ケイティナは心から羨ましそうに俺の顔を凝視する。

 正確には、顔ではなく青色に光っているらしい両眼を見つめているんだろうが。


「ラズくんの眼、とっても綺麗」

「またそんな、妙なセリフを……」


 どこで覚えた。

 内心呆れながら、首を振って薪割りを続ける。

 もちろん、ケイティナにそんな気など微塵も無いのは承知の上。

 というか、あっても困る。

 十二歳か十三歳かの純朴な少女。

 これが純粋な感想ではなく、意図した上での発言だったら、将来が末恐ろしくてたまらない。


 良かったな! 俺が中身良識のあるおっさんで!


 同年代だったら確実にドギマギして、勝手に一喜一憂する羽目になってたぞ。

 美少女というのはそれだけで、罪作りな存在なんだから。

 ま、それはさておき。


「寒いだろ? やっぱり家の中で、ママさんと一緒に刺繍の練習でもしてたらどうだ?」

「えー?」

「えー? て」

「だって、つまらないんだもん。私、もうお裁縫には懲り懲り。ラズくんと一緒にいる方が楽しいから好き」

「そう言って、ティナさん朝からずっとそこで見てるだけじゃないですかぁ」

「見てるのが好きなの」

「つーか、じっとしてると体が冷えるから、割と本気で心配してるんだけどな」

「大丈夫だよ? ママの魔法、すっごく暖かいもん」

「……あー、はいはい。“イグニス” の呪文ね。俺は未だに信じられないけど」


 懐疑的な眼差しで焚き火を見る。

 そんな俺に、ケイティナは再度「えー?」と苦笑した。

 彼女からすれば、別段不審がるようなものではないのだろう。

 けれど、火打ち石だったり錐揉み式だったり、火熾しの大変さを身に沁みて理解している俺からすると、魔法の焚き火はまったく以って詐欺も同然のインチキ臭さだった。


(──いやまぁ、単なる嫉妬なんですけどね?)


 魔法による治療を受けておいて、火熾しにだけ目くじらを立てるのは、完全に個人的なやっかみだ。


「チチンプイプイ呪文を唱えて、パッ! と魔法を使ったら、それだけで簡単に火が熾せるんだもんなぁ。数ヶ月前の俺が知ったら、間違いなくブチ切れてたぜ」

「えー? ラズくん怒るの?」

「そりゃ怒りますよ。言ったでしょ、死にそうな生活してたって」

「私からすると、そっちの話の方が信じられないんだけどなぁ」


 ケイティナは焚き火に手を翳しながら、ほぅ、と息を吐く。

 吐かれた息は夜気に溶け込んで、スゥっと見えなくなった。

 そりゃ信じられないでしょうよ。

 斯くいう俺自身だって、こうして振り返ってみると、アレは夢だったんじゃないかと錯覚するんだから。


(でも、夢じゃない)


 現実。


「あれから、五ヶ月は経ったか」

「ラズくんの敬語も、だんだん崩れてきてるよね」

「ほっとけ」

「ふふふ」


 鈴の転がったような零れ笑い。

 誰かと一緒にお喋りできるのも、幸福の一つなんだと知ってしまった。

 薪を割る斧の感触は、残念ながら、かつての石斧の重さとは違うけれども。

 体に馴染んだ斧の扱いは、たとえ鉄であっても軽快に薪を割り続ける。

 否、むしろ鉄だからこそ余計に軽快さを増していた。


(三ヶ月の病床生活で、てっきり鈍ったかと思ってたけど──染みついた動きってのは、案外容易に体へ戻ってくるんだな)


 それとも、魂に刻まれたとでも言うんだろうか。

 斧を持つと、ヴォレアスにやってくる前までの暮らしが、怒涛のように全身を駆け巡る。

 血潮に滲んだ生存闘争の習性。

 戦争を経験した退役軍人が、銃を携帯していないとパニックに陥るなんて話も知識として聞いたことがあるが、恐らく状態としてはそれに近いんだろう。

 斧を持つことが、一種の精神安定剤になっているのと同時に、闘争本能を刺激する興奮剤にもなっているのが自覚できる。


 ママさんやケイティナには、恐らくバレてはいない。


 まぁ、症状としてはそんなに大層なものでもないしな。

 今日の薪割りも、天気がいいのと体を動かしたいからという理由で、許可を取って始めている。

 それに、怪我が治ったのに何もしないまま、ずぅっと穀潰しってのも、ぶっちゃけ居心地が悪かったのは事実だ。

 一緒に暮らしていく以上、恩返しも兼ねて、薪はいくら割ったっていい。


(この家じゃ男手は俺ひとりなワケだし、体力をさっさと回復させて、鍛えないと)


 これまではママさんひとりに食糧調達や燃料確保をやってもらっていた。

 ケイティナは見たところ、料理以外の家事仕事なら任せて! って様子だし。

 ママさんもママさんで、ケイティナには女の子らしい手伝いしかさせていない。


(というか、中世の花嫁修行?)


 刺繍とかダンスとか、そういう教育に力を注いでいる。

 なので、ここは男である俺が、張り切って役に立っていかないとな。

 ──と、そこで。


「あ、雪」

「████!」


 ケイティナが呟くと同時、バーン! と玄関が開いてママさんが現れた。

 どうやら天気が悪くなってきたので、薪割りはここでおしまいのようだ。


「はーい! ラズくん、ママが帰ってきなさいだって」

「あい」


 割った薪を一緒に運んで、すぐに暖かな家の中へ戻る。


(……まあ、今のこんな年齢じゃ、なかなか有言実行とはいかないよな)


 魔法も使えて、子どもも守れて。

 そんな立派な大人が、ここにはちゃんと傍に居てくれる。


(しばらくは勉強に、集中しますかね)


 名残惜しい斧の手触りを想いつつ、俺は暖炉横に「よいしょ」と薪を置いた。


「んじゃ、この後は」

「お勉強でもする? だったら、昼知らぬ小さき王の続きから、書き取りでもしよっか」

「お、助かります先生。前回は主人公の鴉が太陽に突っ込んでったところで終わっちゃってたし、続きが結構気になってたんだよな」


 夜にしか生きられない鴉の主人公。

 彼は昔から、みんなに虐められていた。

 暗くて冷たくて日陰者。

 闇夜の鴉は不吉で仕方がない。

 主人公の鴉は、「ならば」と奮い立って。

 そんなに昼の世界が素晴らしいなら、ぜひとも見てみたいと夜空の向こうを目指して飛んでいく。

 やがて、ゆっくりと空の色が白みはじめ、朝日の光が鴉を包み込むと、当然のように激痛が体を苦しめた。

 彼は夜にしか生きられない。

 しかし、それでも飛ぶのをやめなかった。

 ようやく対面した太陽の輝きに向かって、彼はその美しさと明るさにたしかに圧倒されながらも、反骨心から絶対に負けるものかと突っ込んでいったのだ。


 普通に考えたら、鴉は死ぬ。


「でも、物語として主人公である鴉が死ぬはずはないから、今後の展開がマジで読めない」

「鴉、死にます」

「え」

「それではラズワルドくん。席についてください」

「ちょちょッ、ちょ──!? ええぇぇッ!?」

「こらっ、うるさいですよ!」


 家庭教師モードのケイティナは、バシバシと机を叩いた。

 あまりにも堂々としたネタバラシだった。


「最近、私は思いました。ラズくんは言葉の修得が遅いんじゃないかな? もしかしてだけど、ちょっぴりおバカさんなんじゃないかな? って」

「ひでぇ」

「なので、たった今から家庭教師ケイティナちゃんは、鬼教師ケイティナちゃんに大変身することにしました!」

「な、なんだと!?」

「反抗的な態度を取ったら、です」


 ぐーぱんちの格好をとって、「ムッ」と頬を膨らませる。

 は? ぜんぜん怖くないが?


「と思ったけど、パンチは可哀想なのでやっぱりやめます」

「お、おう」


 やめるんかい。


「その代わり、ラズくんには女の子の格好をしてもらいます」

「──なん──だと──?」

「いいかげん、ママの我慢が限界なのです。ママもママでエルノス語が苦手だから、ラズくんとのコミュニケーション不足で正直ストレスなんだそうです」


 うんうん、と頷く背後のママさん。

 それはまぁ、俺もどうしようかなと思っていたけども。


「よって、これからはエルノス語だけじゃなく、セプテントリア語のお勉強も授業に入ります」

「な、なにィ!?」


 一言語もマスターしていないのに、同時に二言語だって!?


「ティナちゃん先生! それはありがたい話だけど、あまりに非現実的ではないかと!」

「お黙らっしゃいラズくん!」


 口答えは認めない、と鬼教師ケイティナちゃんはぐぐんっと眉をいからせた。

 どうやら、本気、みたいだな……


「分かったよ。俺もいいかげん、覚悟を決めたぜ。エルノス語でもセプテントリア語でも、なんだってマスターしてやる。よろしくお願いします、先生!」

「違います。私は鬼教師ケイティナちゃんです」

「よろしくお願いします、鬼教師ケイティナちゃんッ!」


 ムフー! と、少女はご満悦な顔で頷いた。

 ったく。子どもの相手は疲れるったらないぜ。


「で、このノリはいつまで続くの? え、ずっと? へぇ〜、そうなんだ」


 …………。


「──シャッ、勉強すっぞオラァッ!」


 てワケで、この後めちゃくちゃお勉強した。

 オマケのようにスカートも穿かされた。


 ……不条理じゃないか?






────────────

tips:童話『昼知らぬ小さき王』


 主人公は一羽の闇夜鴉。

 夜にしか生きられず、夜の暗闇から生まれた小さな鳥。

 〈渾天儀世界〉では実際にモデルとなった動物が存在していて夜行性。

 物語の途中、鴉は陽の光の眩しさに焼かれて死んでしまうが、最終的には復活する。

 ただし、その結末はメリーバッドエンド。

 この童話から得られる教訓は、夜は暗くて冷たく、死は何人も逃れ得ない絶対の運命だというところだろう……

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