#028「ヴォレアス日記①」



 病床生活三週間目。

 ヴォレアスでの暮らしにも大凡慣れてきた。

 外は相変わらずの極夜でどうしようもないが、家の中での生活であれば、俺はだいたいのところを把握できている。

 言い換えれば、それは二人の異性と一つ屋根の下で、初日に比べると格段に親密な関係になったとも言えるだろう。


 魔女のママさん。

 デーヴァリングのケイティナ。


 彼女たちの性格と特徴、普段どんなことをして一日を過ごしているのか。

 何を好んで何を嫌い、何を話して何を食べて。

 そういった詳細な内情も、出会った頃に比べて、明らかに解像度が上がってきている。


 よって、今日は改めて、ここヴォレアスでの暮らしを自分なりに整理していこう。


 家庭教師ケイティナちゃんの素晴らしい教導によって、基礎的なエルノス語であれば、少しは書けるようになった。

 日本語での注釈つきになってしまうだろうが、言語習得の訓練も兼ねて、与えられた褪せ褪せの日記帳に、ツラツラ綴っていくぜ。




 ──まず最初に、やはりのことから触れていこうか。


 俺がヴォレアスで目を覚ますキッカケを作った彼女。

 扉から現れ、カス巨人たちをほふり、時をも歪めるトンデモ魔法を操るという謎多き麗人。


 漆黒と白皙。


 その出で立ちは見事なまでなモノクロ。

 夜会服とも喪服とも取れる純黒のドレスに身を包み、全体的な印象は、頭のてっぺんから足の爪先まで綺麗に黒づくめでありながら、僅かな露出から窺える女性らしい素肌は、無垢とも呼べる白骨色。

 生気を感じさせない冷たい柔肌。

 鴉の濡れ羽を思わせる豊かな艶髪を引き裂いて、天に逆立つ捩れの枝角。


 異形の頭部は、果たして如何なる魔性の露われなのだろうか?


 加えて、顔を覆う白髏の面。

 口元以外を覆った不吉な仮面に飽き足らず、さらには上品なフェイスヴェールまですっぽり頭から被り、決して素顔を覗かせない。

 美人であるのに疑いはないが、どことなく不吉な予感もするのが不安なところ。


 それと、彼女が動くとドレスの裾やヴェールのはためきから、絶えず黒っぽい靄のような残影エフェクト……瘴気? が発生するので、それも困惑のポイントだった。


 絶対に人間じゃない。


 実際、ケイティナ曰く、正体は〈魔女〉と呼ばれる種族だそうで、そうだが、俺はどちらかというと、幽霊に近いんじゃないかと邪推している。


 じゃなきゃ死神……


 外見的にもプレッシャー的にも、ともかく不吉な気配が半端じゃない。


 しかしながら、彼女のひととなり──ひとじゃないのにひととなりとは変な感じだ──は、とてつもなく温和で慈しみ深いものでもあった。


 意識を取り戻してから目の当たりにする、彼女の行動や振る舞いには、少なくとも、巨人たちを鏖殺してのけた時に感じた絶望的なまでの降伏感情は湧き上がらない。


 というか、本当に同一人物なのかと、疑問に思ってしまうほどに彼女は優しすぎる。


 残念ながら、言葉の壁が存在しているため、未だにきちんとしたコミュニケーションは取ろうと思っても取れていないものの──彼女が話しているのはセプテントリア語といい、エルノス語ではないらしい──それでもなお、肌で感じられる気遣いの純真さ。


 ケイティナもそうだが、彼女たち親子は他人である俺に対して、いっそ異様なまでに心を砕いてくれている。


 右足の治療を始めにした、怪我の看病。

 朝から晩まで、終始栄養に気を配った丁寧な食事。

 貴重と思われる薬草や、薬材を用いての処方。

 その他、着替えや風呂、トイレなどの日常生活に至るまで。

 種々様々な勉強面含めて、熱心に力を貸してくれる。


 まさに、至れり尽くせり。


 特に、ママさんの場合は伊達に母親役じゃないということか、子ども服作りがめちゃくちゃ得意らしく、俺の衣装は日に日に増えて仕方がなかった。


 手編みのセーター、モコモコのズボン。

 靴など裏起毛仕立てで、意味がわからない。

 石の針での素人パッチワークとは、雲泥以上の差がある。


 聞けばケイティナのワンピースも、彼女が仕立て上げたと云うし、その針仕事は、正直職人技と呼んで何ら差し支えがないだろう。


 幾何学模様のような繊細な刺繍。

 民族衣装っぽいが、センスも優れている。


 そのせいか、最近はベッドの上で何着ものセーターを代わる代わる着せられ、小さなファッションショーまで開催されていた。


 どうせモデルにするなら、ケイティナの方がよほど見栄えがいいだろうに。


 彼女たちからすると、『男の子』というのはそれだけで猫可愛がりするにふさわしい存在のようだ。

 おかげで、チベットスナギツネ顔がどんどん得意になっていく。


 抵抗しても無駄だし、抵抗する意味も無いとはいえ、そのうち俺は、彼女たちの立派なオモチャにされてしまいそうだった。


 具体的には、髪を三つ編みにされたりスカートを穿かされたり、ひどい時は化粧までされたり……うん。


 今のうちに、覚悟だけは決めておこう。


 まぁ、就寝前の湯浴み──驚いたことにきちんとした浴室がある──で、すでに俺個人のプライバシーというか尊厳というか、そういった男の沽券的な部分については、今さらイチイチ気にするだけかなり無益な気もしている。


 なにせ、全裸を晒しているからだ。


 きっと、ママさん自身は親として、子どもの裸なんか別にどうってコトないって感覚なんだろう。

 だが俺からすると、異形とはいえ美女に剥かれてあちこちをゴシゴシされる状況なワケで、やっぱりどうしたって羞恥心に襲われていた。

 肉体の年齢が低いからか、性的な興奮は一切無かったものの、頭の中じゃ倒錯的なシチュエーションに気恥ずかし過ぎて死ぬかと思った。


 しかし、さすがにケイティナを寄せ付けない最低限の配慮があったことを思えば、この境遇もまだしも上等と言える。


 最初、ケイティナはさも当然かのように「私もラズくんの体を洗うの手伝ってあげる!」と、めちゃくちゃにゾッとしないことを吐かしており、俺は心の底から、それはもうガクガクと震え上がった。


 見かけの上ではたしかに子ども同士とはいえ、ケイティナの年齢は明らかに十を過ぎている。


 そして美少女。

 あまりにも可愛らしい幼気な女の子。


 ──おいおいおいおい、おいおいおい。


 そんなもん一発でアウトでございますよ。

 勘弁してつかぁさい……


 てなワケで。

 ケイティナのお手伝いを固く拒んだママさんの英断。

 大人として当然の性別に関する順当な配慮。

 この点に関して、俺は「ふぅぅ……」と胸を撫で下ろした。

 十代というのは男女の距離感的に、イロイロと繊細な考慮が必要な多感な時期である。

 今後は娘さんの情操面に対して、しっかりとした教育を要望していきたい。


 さて。


 風呂といえば、少し気になっているコトもあった。

 最初の日、ママさんが俺のボロを半ば奪い去るように剥ぎ取り暖炉へとボッシュートした夜。

 彼女は俺の背中を見て、わずかだが息を飲んで硬直した。


 どうやら、思わず目を逸らしたくなるほどのとんでもないアザが、そこにはあったらしい。


 生憎と心当たりはないので、たぶん生まれつきなんだろうと思うが、そうでないなら恐らくサバイバルで負った勲章だろう。


 驚愕の塊のような、見るからに人外異形のモノであるママさんをして、明らかな動揺が走るほどのアザである。

 とにかく相当に目立つひどい在り様なのだと察してしまった。


 ……やれやれ。


 しかしま、背中にあったんじゃこれまで気がつけなかったのも仕方がない。

 自分じゃ一生かかっても気がつかなかった可能性もあるため、これもまた、ヴォレアスに迎え入れられたことで与えられた立派な恩恵のひとつだと考えることにした。


 ケイティナが見たら、もしかすると泣いちゃうかもしれないな。


 今後は人前で服を脱がないよう注意しておこう。

 湯浴みの男女別々化は、そういう意味でもしっかり守っていかねばなるまい。

 ケイティナは見た目の割に、まだまだ子どもっぽいところが多いのが困り所だ。

 本人は姉を気取っているが、やはりどう考えても妹──いや、姪。

 デーヴァリングだなんだと言われても、俺にはごく普通の純朴な少女に見える。


 ママさんもママさんで、これだけ温和なひととなりなら、余裕で社会に溶け込めるんじゃないか?


 彼女たちはなぜ、こんな辺鄙へんぴな場所で二人きりの生活をしているんだろう。


 その謎はまだ、分からない。






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tips:魔女の家


 永久凍土地帯ヴォレアスのどこかで、ひっそりと佇んでいるごく普通の一軒家。

 外の世界は掛け値なしに地獄であるが、家の中は嘘のように快適な生活が可能(北方大陸調べ)。

 中は意外と広く、浴室やトイレを除き、すべての部屋が簡素な衝立のみで仕切られる半個室の様相を呈している。

 長いあいだ家主である魔女と娘の半神のみが暮らしていたが、近ごろ新たにダークエルフの男児を迎え入れた。

 質素ながらも貧しくはなく、孤独ながらも寂しくはない。

 穏やかであり静か。

 人は云う。それはまるで、時の止まったいつかの夢のようだと。

 なお、一部空間をコネコネしている魔法があるのでご注意くださいとは家主である魔女の言。

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