#027「極北の食糧供給源」
さて、ヴォレアスでの暮らしは不思議である。
何が不思議かというと、具体的にどうやって生活が成り立っているのかが極めて不思議。
あれからまた一週間ほど経ち、なんだかんだと新たな環境にも慣れてきた今日この頃。
俺は家の中に、妙な現象が起こっていることに気がついていた。
──ピギィ、ピギィ。
──ブモォ、ブモォ。
──キュケ、キュケェーッ。
(……聞こえる)
壁の奥か何処かから、微かに聞こえてくる三つの獣の鳴き声。
順番に豚、牛、鶏を連想させ、しかしながらビミョーに記憶の中のそれとは異なる動物たちの存在感。
ベッドの上からでは姿を見つけられないが、ソイツらは確実に家のどこかで鳴いていた。
そして、
「はい、あーん」
「……やっぱりな」
「?」
ケイティナの持ってきたお昼のスープ。
木椀によそられたキツネ色に半透明の液体には、カブやほうれん草、ソラマメを思わせる野菜類と一緒に、明らかな『肉』が入れられていた。
「ズズズズっ」
「あっ、こら。音を立てて飲まないの!」
味付けはやや辛味が強く、喉を通すとカッ! と喉の中から熱くなる。
生姜や七味唐辛子の中間のような、独特で刺激的な味わい。
舌に乗せると、ぐずぐずに溶けて無くなってしまうほど煮込まれた具材たちにも、しっかりと味が染み込んでいる。
けれど、それでいて決して辛いだけでなく、辛味を中和し、うまいこと全体の味を調和させているのが、たしかな甘味だ。
砂糖? いや、
(……これは、もしかしてトンボ蜜を使っているのか……?)
巨大トンボの巣から採取した、原始的な甘味料。
口内を香る、どことなく昆虫ゼリーを思い出すようなふんわりとした風味づけに、俺はなんとも不思議な味わいだと内心で唸る。
薬膳料理、否、漢方料理の方が、たとえとしては近いだろうか。
正直美味いかと聞かれると、何とも曖昧に言葉尻を濁さざるを得ない、絶妙なラインなのだが……
(けど、ここで問題なのはそこじゃあない)
「ティナさんティナさん」
「ん? なにかな? ラズくん」
「ずっと気になってたんだけど、この家、動物がいますよね?」
「動物? うん。いるよ?」
「あ、いるんだ」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
木匙を傾けながら首も傾ける。
ケイティナはカランとした様子だった。
どうやら特段、隠し立てするような事柄でもなかったらしい。
それとも、ティナさんという愛称のおかげだろうか。
向こうがラズくんと呼んでくるので、じゃあこっちはティナさんと呼びますね、と決めてから、彼女はまるで最初の一週間が嘘だったかのように、落ち着いた対応をしてくれる。
曰く、「私はお姉ちゃんだから、弟よりも大人にならなきゃいけないの。本当はお姉ちゃん、って呼んで欲しいけど……ティナさんもべつに悪くはないものね」
十二歳かそこらの大人振りたい年齢。
少女の琴線に、渾名と敬語の中間は、そこそこにクリティカルヒットしたようだ。
ま、それはさておき。
「動物がいるにしては、ちっとも姿を見ないんだけど、どこで飼ってるんです?」
まさか外で飼ってるワケはあるまい。
家の外はそれこそ、八寒地獄が最奥の
一歩でも外に出れば、たちまち肌が裂けて血が吹き上がり、紅蓮の華が咲いてしまうだろう(誇張表現)。
あんな世界で普通に息をしてられるのは、どう考えても尋常の生命から外れた人外だけ。
すなわち、こうしてスープの材料にされてしまっているような哀れな動物たちでは、到底ヴォレアスを生き延びられるはずがない。
よって、
「この家、二階はないですよね? となると、地下室でもあるんですか?」
「う〜ん、ちょっと惜しいかな……」
「惜しい……?」
口調とは裏腹に、結構な自信を持って問いかけた疑問に返ってきたのは、ケイティナのちょっと要領を得ない回答。
惜しい、という微妙なジャッジに、俺は「むむむ?」と首を傾けた。
ケイティナはそんなこちらの様子に、ちょっと考え込んだ顔になりながら、台所の奥を振り返る。
今日、ママさんは昼食を作り終えると、どこかへ外出してしまった。
ケイティナの声は、なぜかそこでコソコソ話をするような小さいボリュームに変わる。
「えっ……とね。あそこに台所があるでしょ?」
「? ありますね」
「ラズくんはまだ歩けないから見れないかもだけど、あそこの床に、実は階段があるんだ」
「階段? じゃあ、やっぱり──」
「でも、そこにあるのは地下室じゃないの」
「む」
「あはは。あそこにあるのはね、ママが空間をコネコネして作った、秘密の実験室兼蒐集室なんだ」
「……なんて?」
実験室兼蒐集室。
なんだか途端に怪しい雰囲気が漂い始めた。
俺は若干、ドキリとした感覚に襲われ不意を打たれる。
ケイティナはそのまま、声を抑えて話を続けた。
「この前、ママは魔女だって教えたでしょう?」
「あい」
「魔女っていうのはね? たくさんの魔法を使える特別な種族なんだ」
「特別……それって、ティナさんのデーヴァリングよりも?」
「うん。……あ、いやっ、大昔がどうだったかは分からないんだけど、少なくとも今の私とだと、ママの方が数千倍は凄いかな」
「へ、へ〜」
自称とはいえ、半神よりも魔女の方が凄いのか。
「でね? ママは魔女の中でもさらに特別だから、普通は扱えないとっても難しい呪文も唱えられて、
「ちょっと待った」
一瞬、我が耳を疑った。
少女の口から転がり出てきたとは思えない堅めな言い回しもそうだったが、なによりその内容の出鱈目加減に脳が一瞬理解を拒絶する。
「時間に、干渉できる……?」
「うん。ラズくんはもう家族だから教えちゃうけど、ママは少しだけ時間を巻き戻せるの。でも、それはまだ完全じゃないから、あの部屋でいろんな動物を相手に、ずぅっと魔法の実験をしてるんだ」
「それは……」
「勘違いしないで!」
常識を超えた規格外の話に呑まれかけたところで、ケイティナは急に声の調子をワントーン上げた。
「ママの実験はたしかに動物たちには可哀想なことかもしれないけど、それも全部、私たちのためなの!」
「……えっ、と?」
「ラズくんも気になってたみたいに、ヴォレアスじゃ普通の動物はほとんどいない。ううん、ウソ。きっと、まったくいないと思う。
それでも、私たちがこうして毎日ご飯を食べられているのは、ママが外で必死に動物やお野菜を探してきて、それを魔法でたくさん増やしてくれるからだよ」
つまり、この家で出されている食事は、すべてママさんの魔法による恩恵なのだとケイティナは語った。
希少な食糧。
わずかな希望。
常冬の大地で、それがどれだけ切羽詰まった事情なのかは身に沁みて分かっている。
なので、
「……あの……やっぱりダメ、かな?」
「──ダメって、何がです?」
「……その、私たちのこと……ほら、嫌いになっちゃったかな……って」
「まさか」
少女の不安げな上目遣いと声の震えに、俺は自然に大丈夫だと反応していた。
なるほど、そういうことだったのか。
食糧事情の謎は解明された。
これはたしかに、人によっては異なるリアクションを返す話かもしれない。
しかし、たとえこの子とその親の、これまでの暮らしが常人には理解し難い冒涜的な『生産』の果てにあるのだとして、
(いったい誰が、その行いを責められるんだ?)
希少な動物を捕まえて、閉じ込める。
生きたまた肉を切り取り、その日の内に必要な分を取ったら時間を戻す。
想像しただけでも、ああ、たしかに身の毛がよだってくる光景だ。
けど、俺は責められない。
だって、ヴォレアスではそうでもしないと、生きていけないだろうから。
親子がこんなところで暮らしている理由は知らないけれど、魔女と半神、その組み合わせがやっぱり普通じゃないのは正しい直観に違いない。
複雑な事情があるのだ。きっと。
であれば、すでにこの家で幾度と食事を繰り返してしまった俺に、今さら何が言えるだろうか。
ケイティナが小声になったのは、話している内に自分たちの営みが、他者からすると簡単には受け入れられない話なのではと思い当たってしまったからだろう。
普段はとても闊達で、ともすれば天真爛漫とも言える少女が、初めてできた『弟』に、嫌われる可能性を恐れて声を落とした。
それでも、すべてを正直に話したのは、ウソをついて下手に誤魔化すより、ケイティナが俺に対して誠実であることを選んだからだ。
しかし、それはそれとして、大好きな母親を俺に怖がられたり、嫌われたくない、って気持ちも十分に伝わってくる。まったく、
(なんて小生意気な。こちとら前世も含めれば、今年で立派なアラサーだぞ?)
子どもに気を遣われて、みっともない真似ができるか。
「ティナさん。あーん」
「……ぇ?」
「何してるんです。ほら、早く次の一口をくださいよ」
「……いいの?」
「いいもわるいも、俺はまだ昼食の途中だと思ってましたよ? ティナさんとの会話で謎は解けましたし、モヤモヤも晴れて大満足です。さ、次は胃袋を満足させてください」
「! わ、わかった!」
差し出される木匙。
それをいつものようにパクついて、やがてスープを木椀ごと傾けてもらって平らげる。
味は不味いが、それは料理としての不味さであって、調理背景などは関係ない。
どうせアレだろ? この薬膳だか漢方料理も、俺の右足が早く治るようにってことなんだろ?
それくらい、二週間も経てば嫌でも分かるわ。
「──ッ、んん、ごちそうさま!」
────────────
tips:魔女の手料理
一般的な家庭料理から、滋養を高める薬膳料理まで、実に豊富なレパートリーを持つ。
魔女と聞くと、我々はついつい大釜を掻き混ぜる鷲鼻の老女を連想してしまうが、彼女の調理風景は本人自身の異常性を除いて、いたって平凡そのもの。
大麦のミルク粥、ジンジャーとソラマメのスープ、鶏胸のロースト、アーモンドのシチュー。エトセトラ、エトセトラ……
味付けは平凡の域を出ないものの、地球の料理とそう変わらない、温かみある北方料理を作ってくれるだろう。
稀にとんでもない大ポカをしでかすかもしれないが、そこは目を瞑って見逃してくれ。
仕方がないじゃないか。
誰にだって、苦手なことのひとつやふたつ、当然あるものなのだし。
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