#026「母娘の家」
「はい、あーん!」
「熱ッ!」
一週間が経った。
どうやら俺は、九死に一生を得たらしい。
あれから八日目の今日、ケイティナの持ってくる朝の食事──何かの動物のミルク粥は、またしても火傷するほどに激熱だった。
「熱い! 熱すぎる!」
「もうっ! 何度も言ってるでしょ? これくらい温かくしとかなきゃ、お料理なんてここじゃちっともできないんだよ? 最初の一口が熱いのは仕方がないの。いいかげん、慣れてよねラズくん!」
「いやいやいや、そうは言いますがねケイティナさん。それにしたって、ものには限度があると思うんですよ。せめてもう少し冷ましてから……」
「こらっ! わがまま言わないの! それに、ケ・イ・ティ・ナ・さ・ん……? 違うでしょ、お姉ちゃんでしょ! 私たち『家族』なのに、どうしてまだ他人行儀な呼び方なのかな!」
金髪の美少女、もといケイティナは、ぷりぷりと肩を怒らせ木匙を震わせる。
……これもまた、近頃はとみに見かける光景だ。
ケイティナは俺を弟として扱い、家族として接されることを望んでいる。
しかし、こちらとしては正直なところ、困惑の二文字に尽きた。
そりゃそうである。
いったいどこの世界に、見ず知らずの他人と一瞬で姉弟関係になれる人間がいるのか。
結婚とかの話でなら分かる。
いわゆる、義理の兄とか妹とか。
けど、ケイティナが言っているのは、どうも本当の家族としての関係を指しているような、そんなニュアンスが滲んでいて。
「いやぁ、さすがに身構えちゃうよね」
「あーん」
「熱ッ!?」
このように、可愛らしくも地味にハイダメージな報復を繰り返されていた。
(くそぅ。右足が治ったら絶対に自分で料理してやるからな!)
ヒリヒリする舌の痛みを涙目になりながら堪えつつ、引き続きサーブされるドロドロのミルク粥を、ヒィヒィ言いながら嚥下する。
なお、怪我をしているのは右足だけなので、問題なく両腕は使えるのだが、ケイティナはお姉さん振りたいらしく、頻りに世話を焼きたがって、決して自分一人では飯を食わせてくれない。
最初に「え、普通に食べられますけど……」と言ったら、ひどくショックを受けた顔で泣かれそうになったので、これはもう色々と諦めた方がいいのかもしれないね……
「……っ、ん。ごちそうさまでした!」
「はい、よく食べられました! えらいえらい!」
ちなみに、ニコニコとこうして頭を撫でられるところまでがワンセット。
まるで幼稚園児を相手にするかのような扱いだが、逆らい続けるとまた泣きそうになるかもしれないので、俺はされるがままに身を差し出していた。
鏡を見れば、そこにはきっとチベットスナギツネが写っていることだろう。虚無。
「じゃ、何かあったら声をかけてね? ゆっくり休むんだよ?」
「へい」
そうして、朝のお姉ちゃんタイムが終了し、ケイティナはリビングへ戻る。
奥ではそんなこちらの様子を、ママさんが微笑ましそうに見ていて、やがて跳ねるように駆け寄るケイティナを、優しく抱き留めては同じように娘の頭を撫でていた。
血の繋がりはなくとも、親子の絆はあり。
彼女たちの関係性は、何ともありふれた母と娘のそれである。
(母親は魔女で、娘は半分神様らしいけど)
異世界では普通のことなのだろうか?
聞いただけだと、何だか相容れない属性同士に思えてしまう。
だが、見たところ二人にそんな雰囲気は一切感じられない。
なので、地球産のサブカル知識を持つ俺としては、何だか不思議な取り合わせに見えてしまうのだった。
さて。
「よい、しょっ……と」
ベッドから身を半分乗り出して、近くに寄せてもらった書棚から一冊の本を手に取る。
タイトルは『昼知らぬ小さき王』
青色の装丁がされていて、文字は金色のインクだ。
内容は依然として、まったく読めないままだが、ケイティナに教えてもらって、題名だけは読めるようになった。
どうやらこの世界では、ありふれた童話の一つらしく、この本は比較的小さい子ども向けで、幼い子どもにも分かりやすい表現が使われているらしい。
言葉の学習がしたいのなら、まずはこれを使ってみてはどうかと二人から勧められた。
なんでも、〈エルノス語〉は全世界で共通の公用語らしい。
「まぁ、本格的な勉強はもうちょっと回復してからとか言われたんだけど、せめてどんな文字があるのかくらいは、頭に入れておきたいじゃん?」
ダークエルフの使用していた言語・文字は、記憶によるとルーン文字とジャワ文字を融合させたようなイメージに近かったが、エルノス語とやらは、どうもアラビア文字と
アラビア文字はともかくとして、悉曇文字は梵字とも呼ばれて仏教との結びつきがとても強い。
おかげでなんとなーく漢字にも通じる空気感をまとっていて、一つ一つの文字がかなり判読しやすかった。
意味は知らなくとも、一文字一文字の区切りがはっきりしていたことだけは覚えている。
エルノス語もそれと似ていて、単語と助詞といった感じで文字の連続や間断があり、少なくとも意味不明な記号の羅列としか読み取れなかったダークエルフ語に比べて、断然解読がしやすい。
子ども向けの童話というのも多分にあるのだろうが、この文字は決まって文末で区切られているな、とかがめちゃくちゃ分かりやすかった。
「デス○ートのエルが使ってた
いずれ書き取りの練習もして、しっかり体に覚えこませないといけない。
スマートフォンかパソコンのようなものがあれば、まだ手書きの必要性も低かったんだろうが、異世界にあるとは思えないしなぁ、電子機器。
というか、電気の概念が浸透しているかさえ不明だ
ダークエルフの御屋敷でも、この一軒家でも、明かりの類はロウソクを使った燭台かランタンばかり。
デスクワーク中心の社会人に必須スキル、ブラインドタッチなどは、完全に死にスキルと化したに違いない。
なので、少々げんなりした憂鬱が胸の中を重くする。
ともあれ、
「冬、越せそうだなぁ……」
窓の外の猛吹雪。
ごうごうと地響きを思わせる北の絶景。
白一色のまったき地獄。
永久凍土地帯ヴォレアス。
そこに築かれた唯一の安全圏というのが、今いる此処。
魔女の母親と半神の娘の親子が暮らす、小さな一軒家。
家の中は、外の景色とは裏腹に、恐ろしいほど快適で居心地がいい。
俺は救われ、怪我の看病までされて命を繋いでいる。
ここでは夜の寒さに身を縮こめ、焚き火の炎が消えていないか不安で目を覚ますようなことは起こらない。
体調が優れなければ、一日中だってベッドの上で寝転んでいて構わないし。
思うように仕事が進まなかったせいで、激しい苛立ちと焦燥感に打ち震えることも。
唐突に訪れる自暴自棄、破滅願望に突き動かされることもない。
獰猛な野生動物、得体のしれない樹木に怪物。
腐った果実やクソマズイ貝を食って腹を壊すことも、冷たい新雪で身を裂くような叫びをあげながらケツを拭う惨めったらしい思いとも無縁だ。
用を足したければ、見目麗しい女性たちに肩を貸してもらって、トイレまで連れてもらえる。恥ずかしい。
けれども、
「──ハ、なんだよこれ」
本を読むフリをして顔を隠す。
噛み締める奥歯は、痛いほど現実を告げて血の味がした。
火傷した口内に、さらに傷を増やしてどうする。
けれど、異世界に来て初めて、俺は身の回りを『安心できる』と認識しつつあった。
はじめは警戒してしまったママさんも、どうやら俺に対し善意こそあれ悪意は無いらしい。
クソ巨人どもにぐちゃられた右足だが、現在は包帯を巻かれて、見た目だけは普通に戻っている。
いわゆる、魔法的なサムシングによる治療のおかげだ。
とはいえ、ママさんは俗に言う黒魔女? のようで、本質的な治療行為は得意ではないらしく、あくまで一時凌ぎの応急処置とのことらしい。
現状、右足は中身も含めてきちんと元通りに戻っているが、力を入れるとふとした拍子に
一人で歩けるほどちゃんと回復しきるまでは、薬を飲んで絶対に安静にしていなければならないと言われている。
──ママは、私たちみたいな子どもにはすごく優しいの。
とは、ケイティナの言。
(ラズくん……ラズワルド、か)
贈られた名前は、群青の空を意味する素敵すぎる音の響き。
最初に聞いた時は、やや
(俺の目、光の反射具合じゃ翠だったりもするんだけど、ま、緑色自体が青々とした〜とも言うし、どっちにしろ間違いじゃないもんな)
本名であるメなんとかからは完全にかけ離れてしまい、そこだけちょぉっと引っかかったものの、この際だから「ま、いっか」って感じでもあった。
どうせダークエルフには捨てられている。
彼女たちの前では、ラズワルドが俺の名前だ。
(あれ、そう考えると……俺の名付け親ってママさんってことになるのか?)
ケイティナの言う家族って、要はそういうこと?
なんだか流れ的に、しばらくの間一緒に生活する空気みたいになってしまっているが、これって冬限定の特別ボーナスとかじゃなくて、これから先ずっと続くパターンだったりする?
(つーか、追い出されたとしても行く宛てなんか無いしな、俺……)
だいたい、ヴォレアスって何やねん。
永久凍土地帯って、そんな絶望的すぎる枕詞ある?
外、標高も高いのか、酸素も薄い気がするし。
(なんてこった……)
本を顔にかぶして、ズルズルと背中をベッドに埋める。
目の前の選択肢に、お世話になる、の1コマンドしかない。なし崩しで擬似家族になっちまうよ。
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tips:ヴォレアス
永久凍土地帯。
北方大陸グランシャリオの西側から北半分を占める〈渾天儀世界〉の最北端。
地には常冬の山嶺と大氷河、大雪渓。
天には凍雲の嵐か満天の星、美しき極光の天鵞絨。
人は云う、彼の地こそ絶死の桃源。
死すら絶やした北神と、その眷属の天座なり──
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