揺籃編

#024「ムルデア村の辿る者たち」



 ついに一年が経過してしまった。

 風花の舞い始めた窓からの景色を見下ろして、セドリック・アルジャーノンは忸怩たる想いでほぞを噛む。

 宿の広間は暖炉のおかげで暖かいが、窓に映るセドリックの顔はいつにも増して暗く冷え切っている。

 ダークエルフゆえの黒黒とした肌色とは関係ない。

 心の落ち込みが、自分でもそうと分かるほどに表情に現れていた。


 ──トライミッド連合王国、辺境村ムルデア。


 北方大陸グランシャリオにはおよそ四つの大国が存在しているが、セドリックがいま滞在しているのは、何とも寂しげな寒村である。

 ダークエルフの王国メラネルガリアからは随分と遠く、同胞たちの姿は一切見当たらない。

 トライミッドはエルノス人たちの国で、ここは辺境ゆえに余計にダークエルフの旅人が珍しかった。

 いや、それを言うなら異邦人自体が珍しいのだろう。


 人間、エルフ、ドワーフ。


 通称、エルノスの三種族と呼ばれる者たちで建国された中つ星の三賢トライミッド連合王国。

 建物や食事、文化の面。

 ダークエルフは種族として、伝統的に身の回りのものすべてに黒色であることを望むのだが、ムルデア村は全体的に、雑然とした色調で統一されている。

 視界に入るものすべてが見慣れない。


 しかし、それも仕方がないだろう。


 メラネルガリアは北方大陸の中央部に位置している。

 対して、トライミッドはそこからかなり南下し、あの大雪原をも挟んだ向こう、〈中つ海〉に面するほどの南端国だ。

 ムルデア村は辺境のため、どちらかといえばまだ大雪原側に位置しているが、そうだとしても、やはりトライミッド領であることに変わりはない。

 村人たちの視線はセドリックを怪しい異国人として警戒しているし、でなければ、油断ならない脅威として排除を検討しているはず。

 差別の歴史は根強い。

 宿に泊まることを許されたのは、おそらく奇跡に近いだろう。


(だが……!)


 それほどの異国へ大移動をしながら、セドリックは今以って、探し人の行方を把握できていなかった。


「……若様」


 口からこぼれ落ちるのは小さな呼びかけ。

 相手の名は、メランズール・アダマス。

 メラネルガリアの王位継承権保持者。

 現王ネグロの待望の長男。

 そして何を隠そう、セドリックが一年前に陰謀より救い出し、しかしそこで、不運にも生き別れとなってしまった幼子だ。


(このままでは、ルフリーネ様に合わせる顔がないっ……!)


 ルフリーネ・アダマス。

 旧姓、ルフリーネ・スピネルは、現王ネグロの第二妃でメランズールの母親である。

 セドリックはスピネル家に仕えている使用人であり、ルフリーネのことは、己が命を身代わりにしてでも絶対に守ると誓っている。

 その息子も同様だ。

 あの日、ルフリーネから秘密の伝言を授かり、王家の恐るべき陰謀を知ったセドリックは、メランズールを彼女の命令で本国から脱出させた。

 しかし、本来であれば大雪原を北東に越えた巨人たちの王国へ逃げ延びるはずだったところ、偶然にもドラゴンの襲来に遭い、すべての計画が破綻してしまった。

 剣の腕に自信を持つセドリックだが、ドラゴンとの戦いはまさに天災に立ち向かうようなもの。

 混ざりものの雑龍でも、龍であるという時点で人間にはどうしようもない。

 メランズールを逃がすだけで精一杯だった。

 英雄譚など夢のまた夢。

 幸い、なんとか撃退することに成功し──代償として胸と顔にかなりの深傷を負った──辛くも命を拾ったが、気が付いた時にはおよそ半年間もの長期にわたって寝たきりの状態だった。


 助かったのはひとえに、親切な遊牧民のおかげである。


 ドラゴンをどうにか退け、息も絶え絶えの状態で大雪原を這いずっていたところを、たまたま〈雪兎スノウレプス〉の移動遊民が見つけて治療をしてくれた。

 心優しい彼女たちがいなければ、セドリックは間違いなく命を落としていただろう。

 貴重な霊薬まで使わせてしまい、この恩義は必ず返すと彼女たちの白い毛並みに固く誓った。


 だが、傷が快復したのならば、まずは主君からの使命を果たすのが最優先。

 あれから再び半年、セドリックはグランシャリオをひたすらメランズール探しに費やしている。


(……若様はおそらく、トライミッドにはいない)


 生きて人里に辿り着いているとすれば、大雪原から最も近いのは連合王国の辺境村だ。

 ドラゴンの襲撃に遭ったのは大雪原の比較的南側で、メランズールがもし、デドン川に到着していれば、そこから先の選択肢は上りか下りの一択。

 幼子といえど、水の貴重性は本能的に理解するはずだ。


 なにせ、他は見渡す限りの銀世界。


 道と呼べる道はなく、川を頼りに移動するのが唯一の希望となる。

 セドリックは一か八か、メランズールが下り方面──すなわち南方に向かったものと推測した。

 しかし、半年間の捜索の果て、ついには冬が到来しても、王子の痕跡はまったく手に入らない。

 野営の跡があったとしても、吹きけぶる豪雪が何もかもを覆い隠してしまっている。

 そのうえ、トライミッドの辺境村をムルデアのほかにも幾つか回ってみたが、これまでダークエルフの幼子を見たという目撃証言はひとつたりとて無かった。


 ……メランズールが南下を選んでいたとすれば、生存の可能性は限りなく低い。

 幼い命は白雪に埋もれて、脆くも消え去ったと判断するしかなかった。


 だが、セドリックにとってそれは、たとえ自らの命を絶とうとも償い切れない重罪。

 王族を死なせたという当然の後悔以前に、セドリック自身の心が許さない悪行だ。


(……腐り果てた現王に、野心を隠そうともしない第三妃ヘマタイト家)


 セドリック・アルジャーノンは、非道を憎む。

 父が子を見捨て、幼子が何も分からぬ内に謀殺されるような不幸は、断固として見捨てておけない。

 ましてやそれが、長年にわたって敬愛を捧げてきたルフリーネの子どもとなれば、我が身を代わりにしてでも必ずやメランズールを救う。


(……ああ、そうだ。そうだとも)


 言葉の習得が遅かったなど、ただのこじつけに過ぎない。

 生まれながらに魔力を持っていないなんて、当たり前のことではないか。

 邪王ネグロは、後継に魔力を持たせようとあまりに躍起になりすぎている。

 たしかに、ダークエルフの差別の歴史は長い。

 強くなければ大切なものを守れないというのは、理屈として大いに分かる。

 しかし、だからといって子を邪な研究の生贄にするなど、なぜ許されようか?

 挙げ句の果て、忌まわしき死の神の加護を授かったからと、これ幸いのように理由をつけ見殺しにするなど──!


(それでは、ルフリーネ様があまりに……!)


 どうにもならぬ怒りから、セドリックはつい険しい顔で窓の外を唸った──と、その時。


「失礼。ダークエルフの御仁、そう窓の向こうを睨み据えて、もしやフロスト・トロールの影でも?」

「む」


 落ち着いた重低音。

 声を掛けられたと理解して、セドリックは慎重に息を吐きながら振り返った。 

 宿の広間には数人の人間たちとドワーフ、それと一人のエルフがいたはずだ。

 今の声には聞き覚えがあり、振り返り終えると、案の定、大剣を背負ったエルフが佇んでいた。

 見た目はそこそこに若い。

 だが驚いたことに、エルノス語ではなくメラネルガリア語で話しかけて来ている。


「……エルフの御仁。失礼だが、ダークエルフに知己でも?」

「聞き流されたか。いや、まあいい。オレからしても、今のは単なる切っ掛けづくりだった。この辺りにフロスト・トロールがいるワケないしな。ヤツらはもっと北を好む。それで、ああ……ダークエルフに知り合いでもいたのかって? いたよ。三千年は昔になるがね」


 エルフの剣士は一息に言った。


「三千年? まさか、いや──」

「そんな歳には見えないって? ハハッ、悪いが若作りでね。ある理由で外見年齢が止まっているのさ。なんでオレは、たぶんだけどアンタより歳上だと思うよ」

「──そうでしたか。であれば、失礼しました」

「うん? 意外とすんなり信じるんだな」

「私も歳を重ねていますので、貴殿の背負っているモノの価値は、一目見た時から分かっていたつもりです」

「……そうか。アンタ、コレが何か分かるのか。じゃあ悪いけど、ちょぉーっと黙っててくれ」

「はい。騒ぎになってはいけませんから」

「助かる」


 悪いな、とエルフの剣士は再度謝った。

 それから、クイ、と顎をしゃくり広間のテーブル席を見やる。

 どうやら、セドリックと腰を据えて話がしたいらしい。

 歳上の誘いを断るのは礼儀を失する。

 警戒は解かぬものの、波風を立てても仕方がない。

 素直に席へ向かった。

 それに、相手方も殊更に事を荒立てようという雰囲気ではない。


「で、ダークエルフがこんなところで何をしてるんだ?」

「好奇心ですか?」

「オイオイ、好奇心じゃなくて逆になんだと思ったんだよ? 長生きはいろんなことに興味を持ってかないと、人生楽しめないぜ?」

「すみませんが、あいにく他人に気安く語れる事情の道ゆきではありませんので……。雑談相手が欲しいのなら、あちらの方々をお誘いしてはどうでしょうか」

「オォイ。なんだ。オレとの雑談は気乗りしないってか? 近縁種同士仲良くしようぜ。それとも、雑談の余裕も無くなるくらいに厄介な事情なのか?」

「……」

「──おっと。ちょい踏み込み過ぎたな。オーケーオーケー。話したくないなら別にいいんだ。アンタの事情に踏み込んで、変に巻き込まれるつもりもない」


 大剣背負いのエルフは、肩を竦めてセドリックを宥めた。

 ……いったい何なのだろう、この男。


「いやなに。ダークエルフのアンタに声をかけたのは、単にこのあたりじゃ見かけない相手だったっていうのもあるが、長寿種族ならではの情報量に期待したからでね」


 セドリックが怪訝な顔つきになると、エルフは淡々と本題に移り始めた。

 テーブルの上に小包を置き、裾口から数枚のを覗かせる。

 大金が絡み出すとは、まったくもって穏やかではない。


「……何を訊きたいので?」


 セドリックは恐る恐る確認した。

 すると、エルフはますます平坦な声色で、実にとんでもないことを口走った。


「……ッ!?」


 それは、この北方大陸だけでなく、〈渾天儀世界〉すべての超大陸で最大級の『禁忌』として知られている存在の名だった。

 エルフの目には暗い炎が宿っている。


「オレは、ヤツを探している。ヤツに関することなら、どんなことでもいい。知っていたら教えてくれ」


 先ほどまでの軽薄とすら言えた空気がまるでどこかへ立ち消え、エルフの口調には威圧的な敵意すら含まれていた。

 気がつけばブワリ、脂汗までこめかみを伝う。


「…………すみませんが、〈目録〉で語られている以上のことは、何も」

「そうか? じゃあ、悪いが金は払ってやれないな」


 何とか息を吐いて返すと、エルフは何事も無かったように元の雰囲気に戻った。

 そればかりか、あっさりと席を立ち上がる。

 もはや用は無くなったとでも言わんばかりの様子だった。

 信じられないが、セドリックへの興味は完全に尽きたらしい。

 しかし、


「お待ちください。貴殿は、いったいなぜ」

「オォイオイ……オレは踏み込まなかったぜ?」


 互いの事情を詮索はしない。

 たまたま同じ宿を取ったというだけの相手に、これ以上の面倒は一切無しだと暗に主張される。

 だが、セドリックはどうしても気になってしまった。

 それはエルフが背中に負った一振りの大剣から、どうしても想像できてしまったからだ。


「答える義理はないなぁ」

「ッ」


 否定しない。

 つまりは、そいうこと。

 セドリックは一瞬だが腰を浮かして、行動に出るべきかを逡巡した。

 瞬間、


「一つ、いいことを教えてやる」

「!」


 まるで機先を制するように、エルフがセドリックの肩に手を置いた。

 友人に話しかけるような気やすさだった。


「オレは北方大陸グランシャリオを、もう三百年近く歩き回ってる。

 巨人たちの山嶺ティタノモンゴット東境の大峡谷ネルネザゴーン、んで連合王国トライミッド

 残すはすっかり閉鎖的になっちまった、アンタらんとこ瀟酒なる黒の王国メラネルガリアと、永久凍土地帯ヴォレアスくらいだろうな、見てないのは。

 けど、メラネルガリアは望み薄か? さっきのアンタの反応から、十中八九ヴォレアスだとアタリをつけられたぜ──でだ」


 最初の質問を敢えて繰り返すけど、アンタは何でこんなところにいるんだ?


「ッ」


 耳元で囁かれる二度目の質問。

 それはダークエルフの内情に詳しくなければ出てこない、ある種の確信に満ちた問いかけだった。

 メラネルガリアは建国当初より、最低限の外交しかしないことで知られている。

 国民が外に出るのは極めて稀で、公的な認可を受けた通商団や、外交官などの要人でもない限り、セドリックのような旅人はほとんど許されない。

 追放された罪人であれば、額にそうと分かる烙印を押される。

 それらに該当しないなら、あとは推して知るべし。


「額に烙印はないから罪人じゃあない。

 フード付きの外套含め、装備はやや薄汚れて使い古された感が否めないが、元々の素材は上等だったことが伺える。

 よく見れば、肌も髪も貴種のそれに近いな。

 だが、純血にしては濁りがある。

 着ている衣服と節々の仕草も貴族にしては俗っぽい。

 そういや、たしかダークエルフには使用人落ちっていう特殊な慣習があったと思うが、ま、そんなことはどうでもいい。

 アンタの素性が何にしろ、大事なのはアンタはオレと同じように、誰かを探してるんじゃないか? ってことだ。

 窓の外を見ていたアンタの様子は、闇の向こうから現れる追跡者を警戒してるってより、闇の向こうの光を探しながら、どこか焦ってるって感じだった。

 あれだけもどかしそうに外を見て、雰囲気も重苦しい。

 奇遇にも、アンタのその顔色には、オレも我が事のように覚えがあるよ。声をかけたのも、実は何となくご同輩の気配を感じたからさ」

「…………」


 もはや、何も言い返せない。

 目の前のエルフは、まさに長寿種族エルフだ。

 積み重ねた年月を武器に、知識と経験から圧倒的な洞察力と推理力を兼ね備えている。

 長寿種族に特有の万象を見透かしたかのような物言いが、これほどまでに虚仮脅しでないと感じるのは、セドリックをして久しぶりだった。


「さて、そんでもって耳よりの情報。

 オレはこれから、念のためのシラミ潰しとして、メラネルガリアを探るよ。もしかしたら、アンタが知らないだけで、ヤツがメラネルガリアに〈領域レルム〉を張ってる可能性もゼロじゃないからな。

 ま、ゼロじゃないだけで見込みは薄いんだろうが、何せメラネルガリアも十分広大な国土を誇っているワケだし? 田舎を漁れば万が一があるかもしれない。

 メラネルガリアか、はたまたヴォレアスか。

 どちらにしろ、オレはついに二択のところまでやって来たって状況だ。

 ああ、言っておくけど、他の三大陸は全部調べたから、ヤツは必ずこの超大陸に潜んでいやがる。

 オレはメラネルガリアを調べ終わったら、すぐにもヴォレアスへ直行するつもりだ──ゆえに警告」


 アンタの探し人が、もしヤツと遭遇していたら、いまオレに対して腰を浮かしかけたアンタは、あの禁忌といったいどう対峙するよ?


「────それ、は」

「答えは言わなくていい。他人の決断に興味はないんだ。楽しい雑談をありがとう。機会があればまたいずれ。いい冬越えをな」


 言って、エルフの男は外套を翻し宿を出て行った。

 これから冬の本番だが、きっと宣言通りに、メラネルガリアへ向かったのだろう。

 常人には到底真似できない。

 セドリックはどさりと椅子に身を預けた。

 そして、



「店主。すまないが買えるだけの食糧と、携帯可能な暖気燈をくれないか」

「……売るのは構わないがね」

「冬が来るのは分かっている。ただ、どうしても時間がないのだ」



 その夜、セドリックも宿を出た。

 大剣のエルフから聞いた話がすべて本当なら、メランズール探しには余計に時間をかけるワケにはいかない。


 世界に共通の災厄として〈目録〉に蒐集され、古代に禁忌登録された生粋のバケモノ。

 白き死の伝説を大々的に世へ広め、数多の勇者と数多の軍を以ってしても討伐不可。

 安易な選択は一国以上の滅びを意味し、ゆえに手を出すことは永遠にあってはならないと禁じられた怖気の立つ御伽話。

 彼の魔女の通り過ぎたわだちには、常に白く凍りついた屍の山嶺が横たわる。

 ゆえに贈られた呪わしき忌み名──白嶺。

 攫われるワケにはいかない。



「……若様」



 極夜の冬、セドリック・アルジャーノンはひとり静かに、デドン川の遡上を開始した。








────────────

tips:セドリック・アルジャーノン


 イケオジ。

 ダークエルフの男性の例にもれず、黒髪翠眼で筋骨隆々。

 年齢は千五百歳。

 経験を積んだ黒豹のような風貌をしていて、社会秩序や善的道義心を重んじる。

 しかし、過去に一度だけ道を踏み外した経験あり(そのために使用人落ちした)。

 若い女性を苦手としているが、本人の思いとは裏腹に、年下の女性からはかなりモテる。

 龍の中で最も格下の雑龍とギリ引き分けられる程度に腕が立つが、〈渾天儀世界〉全体からすると、あくまで思考・能力ともに『常識』の範疇を出ない。

 目下メランズールを捜索中。

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