#023「湖上、開かれる門扉」
「@@@@@@@@!」
「@@@@@@@@@@@!」
「@@@@!」
人型のブルドーザーが何かを喋っている。
耳障りな轟音。
癇に障る笑い声。
地響きは鳴り止まず、薙ぎ倒される木々は雪崩のように悲鳴を上げる。
怪物たちは棍棒を振り上げ、ゲラゲラと俺を追い立てていた。
「──クソが。クソがクソがクソがッ」
貴重な体力が無駄に消費されている。
頭では分かっているのだ。
けれど、それでも悪態が止められない。
アイツらはいったい何だ?
いったいどこから湧いて来た?
ヌコ太はどうして殺されて、どうしてここに来て何もかもが台無しにされてる?
ぐるぐると巡るのは意味のない悲嘆。
目尻に浮かんだ涙は頬を伝い、空へ滑り落ちる前に凍りついた。
……ふざけやがって。
「ふざけ、やがってッ!」
雪山を半ば、転がり落ちるようにして駆け下りながら、俺は怒りとともに怪物どもを呪う。
不細工で醜怪なクソ畜生。
灰色のヤツメウナギを、無理やり筋肉ダルマにして人型にしたみたいな気色の悪いクソども。
オマエたちが何を言っているのか、何を話しかけているのか。
あいにく、こっちはてんで分かっちゃいねぇんだよ。
だけどな、オマエたちの声に含まれる侮蔑と嘲弄。
クソみたいな笑い声で、だいたいのところは察せられる。
(生きるために殺しているワケじゃない。必要だから殺しているワケじゃない。オマエたちはただ、愉しいから殺している。気持ちがいいから命を奪っている……!)
下劣で下等な狗畜生。
腐肉にたかる縄蠅にすら劣ったゲスなゴミクズめ。
いま、俺が抱くこの
未開の蛮族。
粗野な賎民。
見るからに知性で劣った、オマエたちのような
(こんな、カスどもでさえ……!)
扱えている言語を。
どうして俺は、使えていないのか。
ダークエルフに囲まれていた頃は、感じなかった憎しみと屈辱。
切っ掛けは些細。
けれど、引かれた引き金はあっという間に積み木を倒して、それまで絶妙なバランスで均衡を保っていた水盆を見事にひっくり返してしまった。
これまで与えられた、あらゆる〝異世界〟からの理不尽、不条理!
(オマエたちのせいで……)
それが、一気に燃えあがった。
怒りがワナワナと、身体の内に膨れ上がる。
「──許さねえ。テメエら絶対ェッ、許さねえッ!!」
なんなんだよ。なんなんだよ。
なんで日本語喋らねぇんだよ。日本語喋れねぇならオマエらが死ねよ!
積み重なっていた淀みと
コールタールのように黒々とした鬱積が、ドロドロと溢れ出て止まらなかった。
だってそうだろう。
許していいワケないだろう。
許せる範疇を超えてるんだよ。
生きる望みは失われた。
冬越えのための準備はすべてが泡になった。
たとえ極小の可能性であっても、もしかしたら友だちになり得たかも知れない。
そんな、掛け替えのない大切なライバルさえ、意味もなく命を奪い取られた。
ヤマネコはなんで、どうして、最期に俺のもとへやって来たのか?
危険を知らせるため?
それとも単に、最期に焼き魚を食べたかったから?
答えは一生分からない。
けれど、後悔は一生付きまとう。
「オラッ! 追ってこい! 俺はこっちだ、捕まえてみろよノロマッ!」
「@@@@@@@@@!」
「@@@@@@、@@@@@@@!」
挑発は自殺行為。
けれどやめない。
(やめてッ、たまるか……!)
怪物どもは気炎を上げてスピードを増す。
すぐ後ろでいくつもの轟音が空気を引き裂く。
首の皮一枚をかすめる絶望的な〝暴〟
もはや冬越えは、どう考えても現実的では無くなってしまった。
基地を破壊され、寒さを凌ぐための壁と屋根は失われた。
およそ七ヶ月分に迫ろうという、苦労して集めた食糧は、無分別に食い散らかされた。
冬の名を冠した死神は、ゆえに容易にこの首を刈り取るだろう。
死は遠からず確定した未来。
であれば、
(せめて、一矢報いてから死んでやる……!)
自暴自棄の暴走?
そうかもしれない。
だが、だとしても、俺は歯を食いしばり必死に湖へ走った。
氷の張った
冬を間近に控えたいま、あそこは俺ひとりの体重ならビクともしない頑丈さだろうが、果たして怪物どもの巨体、どこまで氷を割らずに進める?
「溺れ死ねデカブツども……!」
下山を完了し、俺は湖上へ飛び乗った。
普段は慎重に歩を進めるが、今日ばかりは何の躊躇もしない。
我ながらどうかしていると思うほど、豪快に氷を蹴り付けながら、少しでも怪物どもを道連れにできるようにと腐心した。
すると、
「@@@!?」
「@@@@ッ、@@!!」
「@@!」
バキバキバキッ、バッシャンッ!
氷が割れる盛大な破砕音。
跳ね上がる極寒の水飛沫。
無我夢中で俺を追いかけていた至近の三体が、まんまと湖へ沈んでいく。
ゴボリゴボリ、ゴボリゴボリ。
溺れ落ちる今際の際すら醜い。
だからこそ余計に腹が立つ。
「っ、チ……!」
わずかに振り返り後続を確認。
遅れてやって来た残りの五体は、慌てて湖の外に踏みとどまった。
割れた氷と逃れた獲物。
もしくは、予想だにしていなかった仲間の死に、嘆きとも怒りとも取れる大声を上げている。
だが、即座に湖の外縁を囲むように、示し合わせて散らばり始めた。
こちらがどこへ逃げようと、やはり逃す気だけは毛頭ないらしい。
「……いいぜ。とことんやってやるよッ!」
みすみす取り囲まれるのを良しとはしない。
湖上に留まれば手出しはされなくなる。
しかし、ここでそんな死を待つだけの膠着状態を迎えるくらいなら、少しでも反撃の可能性に手を伸ばしたかった。
どうせ死ぬのだ。
なら、精一杯の嫌がらせをしよう。
どこまでだって走ってやる。
生き足掻くコトだけが、この世界で唯一手にした誇りだ。
俺は足を止めず、真っ直ぐに湖を駆けた──否、駆けようとした。
「@@@@@@@@@ッ!!」
「なッ!?」
足元、まさかの衝撃。
打ち砕かれた氷の破片。
舞い上がり飛び上がる、丸太のように分厚い灰色の巨腕。
足首を掴まれ、潰される。
「! ッ、ぐあぁァ……!?」
それは、完全なる不意打ちで、完全なる失態。
殺したと確信していた。
死んだと決めつけていた。
あれほどの巨体、泳げるはずがないとも。
水の冷たさは息を詰まらせ、臓腑機能にもショックを与える。
この一年で身に染みて痛感していた現実だけに、怪物たちも同様だと無意識の内に思い込んでいた。
「こいつ、平気なのかよ──!?」
「@@@@@ッ!?」
勝ち誇った笑み。
勝利を確信したんだろう。
ずぶ濡れの怪物が、水面から顔を出し何かを問う。
なんて穢らわしい。
大方、逃げられると思ったか? 的なことを言っているに違いない。
手こずらされた苛立ちに、どうだバカめと胸を張っているのが分かる。
その内に、ぶくぶくと泡を立てて、残りの二体もが浮上した。
……なるほど、納得である。
外縁に散らばった後続の五体は、別に仲間の死を嘆いてなどいなかった。
あの行動は単に、仲間の犯したチンケな失敗に、何やってんだバカと苛立ちを募らせだけ。
仲間の命を
だからこそ、そんなものだろうと軽蔑しきった。
違った。
コイツらは仲間の命に、何の危険もないことを知っていたから、躊躇いなくゲームを続行したのだ。
(……けど、やっぱり、普通は死ぬだろ!?)
俺はやはり、この世界について、あまりにも知らないことが多すぎる。
グシャリ!
「ッ、がッ──!?」
右足の骨を折られた。
足首が歪み、変な方向に捩られる。
骨も肉を突き破った。
怪物どもはニタニタと笑い、下卑た様子で肩を揺らし始める。
「……チク、ショウ……! ヌコ太……ごめんな! 俺、仇討てねぇ……!」
「@@@@?」
呟いた謝罪に首を傾げる怪物。
さては日本語に、ようやく疑問を感じたのか。
悪いが気の利いた返答は返せない。
疑問というなら、俺はオマエたちの何もかもに疑問だらけで、今さら生まれ変わりの事実を取り繕うだけの余裕なんか無い。
「さっさと殺せ、バケモノ……!」
漏れる悪態。
せめてもの文句。
(──最悪だ。もう、何もかもどうでもいい……!)
目蓋を閉じて、俺は諦観とともにその瞬間を待った。
刹那。
ギ、ギギ、ギギギギギギ……
忽然と虚空を割って現れ、実体を伴いながらもどこかで曖昧。
茫洋としていてあやふや。
幽かに揺らぐ異界の門。
それが、突如として湖上に出現し、俺と怪物たちをビクリと驚愕させた。
──否、怪物たちに至っては、およそ驚愕などという域を超えた、
「@、@@……!」
「──@@」
「@@@@@@@!」
「@@@ッ」
先ほどまでの下卑た喜びは存在しない。
弱者をいたぶり、加虐の愉悦に頬を歪ませていた強者の余裕は、完全に消え失せていた。
あるのは怯え。
歯を打ち鳴らすほどの恐怖。
扉の向こう、なにか想像もし得ない未知の脅威が、そこに
……やがて、扉は完全に開かれ、奥からは『闇』が姿を現した。
「──────」
思わず、息を呑んだことにすら気がつかない。
──其れは死、まったき死。
凍てつく夜風と、おどろおどろしいまでの魔力をまとった、絶対の宿命。
生あるものは必ず朽ちゆき骸を晒す。
何者も己が終焉からは逃れられない。
そんな、いつか厳然と迎え入れなければならない
漆黒の
どことなくゴシックな雰囲気に飾られた喪服のような出で立ち。
全体的な印象はかなり陰鬱。
然れど、薄いフェイスヴェールの裏側、白髏の面から覗く下半分の素顔。
ごくわずかな情報からであるが、女が明らかに美しい顔立ちをしているのは一目瞭然だった。
ゆえに、余計に視線を吸い込むのは異形の頭部。
まるで鹿や、羚羊などの偶蹄目を思わせる純白の枝角。
天に捻れ、巨きく逆立つ
女はそれを、さながら王冠でもかぶるようにして、頭部に備えていた。
長い髪の毛と、身につけているドレス。
髪と服以外は、すべてが白い。
たおやかな肢体と手足。
首筋から覗く鎖骨。
わずかな露出から窺えるのは、驚くほどに白色の膚。
──生気を、感じない。
しかし、それでも女は平然と歩き、悠然とした様子で何かを唱えた。
「“████”」
途端、ドスン、と。
怪物たちが一斉に崩れ落ちる。
右足を掴む力がふわりと軽くなり、俺は自由の身となったことを知った。
(……死ん、だ……?)
死んでいる。
間違いなく、怪物たちは死んでいた。
そして最後。
「█████████?」
女は俺を抱き上げると、何かを言った。
今まで聞いた、どんな異世界言語とも違う発音だった。
意味はもちろん分からない。
けれど、とにかく優しい口調なのは感じられた。
扉に近づいていく。
(……ああ、このヒトになら、いい)
女は俺を、どこかへと連れて行く気のようだ。
それが地獄なのか、天国なのかはともかく。
薄れゆく視界。
俺はふと、自分でも根拠の分からない謎の安心感に包まれて──そこで。
スゥゥ……
と、眠るように意識を手放した。
右足の激痛と出血。
精神の損耗。
一日に起きる出来事としては、およそこの一年では考えられない急展開の怒涛だった。
いろいろなことが一挙に起こりすぎて、疲労が一息に押し寄せたのだと思う。
それに、たとえ女の目的が怪物たちと同じでも、相手がこれだけ美しいのなら不思議と文句はない。
(少なくとも、数千倍はマシさ……)
──暗転。
────────────
tips:異界の門扉
扉は古来より未知の象徴であり、〝此処ではない何処か〟へと通じる境界である。
開閉により『此方』と『彼方』を分かち、双方の世界を遮断すると同時に接続もする特殊な記号。
つい先ほどまで何も無かったはずの虚空から、突如として扉が現れたのなら、旅人は心せよ。
彼方より訪れるのは、我らとは必ず境界を異にする存在だ。
しかし、何が出てくるかは、いつだって己が運次第──
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