#020「森の奥にて亡霊と」
──その異変に気がついたのは、秋の夜の森でのことだった。
「ッ、グァ……!?」
突然両目を襲った激しい電流。
まるで視神経に、直接電気を流し込まれたかのような鋭い衝撃。
俺は咄嗟に、自身の両目を覆った。
木の実がバラバラと雪上に転がり落ちる。
「
きつく目蓋を閉じ、眉間に皺を寄せた。
そうしていると、痛みは徐々に引いていく。
が、俺の脳には混乱が訪れた。
……今の感覚は、前にも覚えがある。
しかしそれは、前世での記憶だ。
暗所から明所への急変。
太陽などを直視した際に負う視覚へのダメージ。
眼球に備わっている明暗の自動調節機能が状況の変化に遅れ、ごく短時間一時的に視力が大きく損なわれるような。
眼にキツイ強力な光を浴びて、思わず怯んでしまった際の前後不覚。
今の感覚は、それらと似ている。
けれど、
「ッ、違う……!」
光源はない。
現在時刻はまったき夜。
今宵は月も星も姿を隠した曇天だ。
持ち歩いている携帯松明を除いて、たしかな明かりは存在しない。
ゆえに、俺の〝夜目〟はこれ以上なく十全に機能を果たしている。
よって、俺はいま、
……では、いったい何を視て──?
「────ヒッ」
答えは、すぐに判明した。
正体はよく分からないが、たしかに
(──人間じゃ、ない)
ましてや動物でも、植物でもない。
異世界特有の奇矯な生物たち全般と同じカテゴリにするには、それはあまりに『夜』そのものだった。
冬の衣と、薄影の亡霊。
適切な言葉で表現しようとすれば、まさしくそうとしか形容できない。
しかも、一体だけでなくかなりの数だ。
(なん、だ──コイツら……!?)
気がつけば、森の中にはたくさんの亡霊が浮かび出ていた。
亡霊たちは一様に不気味で、とても不定形で、靄の集合体のようなものから、地面を這いずり回る沼のようなものまで千差万別。
一年ほど前、凍った川面を泳ぐ謎のカエルと遭遇した記憶があるが、体感としてはアレに通じる未知の恐怖が背筋を震わした。
(たとえるなら、この世に存在していながらも、実は存在していない的な……)
何を言っているのか自分でも分からないが、ともかく目の前のコイツらは間違いなく非物質。
そして、完全な非生物だろう。
亡霊然とした姿をしているし、明らかに霊的な何か。
もしかすると、RPGによくあるレイス系のアンデッドモンスターの可能性もある。
俺はこの世界を未だによく分かっていないが、仮にこの世界を何らかの創作物と仮定すれば、ジャンルは間違いなくファンタジーだ。
それも、おそらくは超壮大な神話的叙事詩。
原作はゲームか小説か。
この一年、ひたすらにサバイバルとクラフトばっかりしている気もするけど、空を仰げばいつだって雲の向こうの不可思議なリングに圧倒される。
アンデッドはある意味じゃ、ダークエルフやドラゴンと同じくらいファンタジーの定番とも呼べる存在だ。
(だったら、今さらアンデッドに限って、例外を考える方がバカバカしいよな……!)
俺の脳は直観した。
死霊、悪霊、邪霊、幽霊。
この世界での正確な呼び名をまだ知らないものの、今こうして俺の網膜に映り込んでいるのは、歴としたバケモノに相違ない。
少なくとも、俺はそう結論づけて、その場を一目散に逃走した。
「ッ!」
雪上に落とした木の実も拾わない。
五感の一つを脅かされた状況で、たかが木の実に拘っている場合じゃなかった。
森に溢れ出した数多の亡霊。
なぜ現れたのか。
なぜ俺を取り囲んだのか。
両目に負った謎の痛みの原因含め、現段階では不明の一言としか言いようがないけれど、因果関係を推測して脅威を覚えるのは、然して難しいことではない。
亡霊が登場して、目が痛んだ。
であれば、そんなのは逃走するに決まっている。
視覚を失えば遠からず死ぬだけ。
「ハァッ、ハァッ……! 追って、はっ、来てない──!?」
全力で走り、ある程度森を離れたところで後ろを振り返る。
亡霊は俺を追っては来なかった。
ただ黙然と森の中に佇み、次第に溶けるように
基地に帰り着く頃には、亡霊のぼの字も見当たらない。
いつも通りの夜。
いつも通りの孤独。
「クソッ! これじゃあ怖くて眠れねぇじゃねぇかよ……!」
俺は久しく忘れていた暗がりへの恐怖に震え、寒さとは別の理由から焚き火の薪を増量した。
パチリ、パキッ。
火が爆ぜ、暖かな光熱がトンネル内を包み込む。
炎は偉大だ。
そのおかげで、だんだんと気分も落ち着いていった。
「いったい何だったんだ……あの亡霊たち」
秋の夜、森の帰り道。
今日は木の実を集めるのに多少時間をかけすぎてしまい、帰るのが少し遅くなった。
罠の増設や成果の確認で、自ずと広範囲に足を動かしたというのもあり、どうせ遅くなるならこの間のリベンジで、別の木の実でもないかと探しながら帰ろうとしたのだ。
そのせいでいささか森を長居し、気づけば普段はあまり踏み込まない森の奥深くまで立ち入ってしまった。
ひょっとすると、亡霊出現はだからだろうか?
「……もしかして、俺が知らず知らず森の聖域に踏み込んじゃったとかで、森の霊が怒って警告を……?」
だとすれば、追撃が無かったのにも頷ける。
亡霊たちに今回殺意はなく、あくまでこれ以上は踏み入るなという警告が主目的だったとすれば、その狙いは成功だ。
現に俺は、脱兎の如く逃げ出したワケなのだから。
「──けど」
赤い揺らめきに瞳が吸い込まれる。
焚き火の中にはたくさんの『?』が投影されていた。
森の奥に入られるのが嫌だと言うなら、そもそも森に入られること自体を嫌がりそうなものだ。
わざわざ森の奥深くに境界線を設定するより、森全体に境界線を張った方が、管理もしやすいし警告も分かりやすい。
だいたい、俺はもう幾度となく森に入って探索や採取を行っている。伐採だって繰り返している。
それを考えると、亡霊たちの目的はどうしてもこの森を守護するなどの理由ではなさそうに思えた。森の霊という線は極薄だな。
とはいえ、
「奥で現れて、奥に消えていった」
森の奥に何か理由があるのは間違いないだろう。
問題はそれが、俺の生活に悪影響をもたらすものなのかどうか。
俺は数瞬考え、あっさり決断した。
「──決めた。森の奥には近づかない!」
君子危うきに近寄らず。
胸の内にモヤっとした感情は残るが、ここは命を大事にしてやっていこう。
亡霊たちも、こちらが再び森の奥に出向かなければ姿を現すまい。
ぶっちゃけもうじき冬が近いというのもあるし、余計な懸念を抱えて冬越えに挑むのは、精神衛生上的にも避けたかった。
「山サイコーだぜ」
嘯き、笑う。
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────────
────
──
「森に妙な仕掛けが残っているぞ?」
「そうだね、父さん。妙な仕掛けだね!」
「オヤツを捕まえておいてくれるなんて、神様の贈り物かな?」
「匂いを嗅げば分かる」
「おおーっ、さすがは父さん!」
「クンクンっ、クンクンっ」
「どうだい、あんた?」
「……妻よ。これは子どもの匂いだ」
「え?」
「子ども!?」
「ニンゲン!? ニンゲンの子ども!?」
「違う……これは、ダークエルフの子どもだ!」
「ダークエルフ!」
「ダークエルフ!?」
「本当かい父さん!」
「なんてこった!」
「かわいそうに、かわいそうに」
「ダークエルフの子どもが一人で森を彷徨いている」
「ボクらの森を!?」
「迷ったのかなぁ? はぐれたのかなぁ?」
「冬は寒くて大変だ」
「お腹はいつだってグゥグゥグゥグゥ!」
「けれどやったね!」
「美味しいご馳走をたくさん作ろう」
「ひとりは寂しいっ」
「一緒なら楽しいっ」
「子どもの肉は、何年振りだ!?」
「見つけ出して食べよう」
「みんなで分けよう」
「ボクたちみーんな、子どもが大好きだもの!」
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tips:アンデッド
墓穴戻り。夜の徘徊人。不死塚の咎背負い。
上記を含む死霊の総称。
スケルトン、レイス、ヴァンパイアなどのポピュラーなものはそのままここに該当する。
魔物であるか種族であるかの分類は、地域や学説に拠る。
比較的、知性あるものを種族として見なす傾向にあり、無知性の場合は魔物として討伐・駆除の対象。
人間だけでなく他の生命体すべてもが死して変じる可能性を持つが、人間のアンデッドが最も多い。
いずれも生前の姿を色こく残しながら、どこかが決定的に欠けているのが特徴と言われる。
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