#021「針仕事の朝に山猫の」
石の針が完成した。
「作っちまった。作っちまったぜ、オイ」
細さ、わずか3ミリ。
原材料、100%そこらへんの石。
その日、ついに作り上げてしまった狂気の産物を天に翳しながら、俺は圧倒的達成感と同時に虚無感にも包み込まれていた。
……いや、ほんと、石を磨きまくって針を作るとか、完全にイカれてる。
「よくよく考えたらよぉ……ぶっちゃけ毛皮に穴だけ空けさえすればよぉ……あとは手製の紐を通すだけなんだから、別にここまで細くする必要はなかったんじゃねぇのかぁ〜……?」
どうせ素人の裁縫なのだ。
縫い目なんかは自然と粗くなるし、そもそも素材がまともに針を通すのも難しいゴワゴワの毛皮。
羊毛やフェルトに針を刺そうとしているワケじゃない。
針だって金属製じゃない。
細かい作業を本気でやろうとしたら、あっという間に冬が到来してしまう。
そんな状況で、針を作り始めて割とすぐに気がついていた。
──俺、アホじゃねえの? って。
何なら材料も、やっぱり石じゃなくて、動物の骨を使った方が手軽で良かったんじゃないかとか。
石斧への信頼から、何でもかんでも石に頼るクセがついてしまったのが自分でも分かる。
ここまで来る途中、幾度となく疑念と後悔に膝を屈しそうになった。
けれど、とうとう完成した。
「完成、させてしまった……」
なんと、紐糸を通す穴までついている。
いったい何が、俺をここまで突き動かしてしまったのだろうか。
磨製石器職人に、俺はなる……?
「ま、いいや。針ができたぞ。わーいわーい」
とりあえず思考を放棄して万歳。
さて、そんなこんなで今日もまた、山での一日が始まる。
「お、ヌコ太。今日も相変わらずモッフモフだな。魚食うか? ちょっと撫でさせろよ」
「Gururururuur……!」
「ちぇっ、ケチなやつ」
去っていくヤマネコの姿に舌打ちひとつ。
今朝の食事はシャケマスの姿焼き。
心を落ち着ける優雅な一杯は、マツの葉とトウヒの葉のブレンド茶。
現在時刻は粉雪降り頻る早朝。
外の焚き火の前で「はぁぁ〜……」と温まっていた俺を、ヤマネコは忌々しげな顔で一瞥したのち背中を見せた。
「ヌコ太め。そんなにこの焼き魚が気になるのか」
あの罠にかけて以来、ヤマネコは俺が魚を焼くと決まって山を下りてくる。
が、下りてくるだけで、決してこちらに懐こうとはしない。
目は明らかに魚を物欲しそうに見ているのだが、試しにポイと投げて餌をやっても、決して口をつけようとはしなかった。
野生の矜持、実に立派である。
一度思わぬ反撃を受けてしまったために、警戒心がかなり強まっているらしかった。
「ま、それでも匂いに誘われて、毎度山を下りて来ちゃうのはかわいいんだけど」
おかげでヌコ太なんて名前までつけてしまった。
野生動物との関係構築としては、あまりよろしくはない。
こちらが勝手に親愛を抱いても、向こうはそんな事情は気にせず、平然と牙を剥いてくるかもしれない猛獣だ。
だから、俺としてもいざという時に、きちんと対処ができるよう、もしもの心構えをしておかなきゃダメなんだが……
「理屈じゃ分かってるんだけどな……」
孤独は死に至る病と誰かが言った。
たった一年。
それも息をつく間もないほどの一年だったいうのに、俺の心はここに来て、野生動物との対話を求める程度には擦り切れてしまっている。
だいたい、サバイバルを始める前だって、俺は誰とも会話できていないからな。
異世界言語も完全に忘れてしまった。
そのうち誰かに会うだろうなんて期待も、今は儚いだけだと知っている。
「やれやれ、だから石で、針なんか作ってしまったんだろうね、俺は……」
何かに没頭していないとおかしくなるから。
「なーんつって」
独り言ち、肩を落としてお茶を啜る。
──さて。
今日の俺は、丸一日すべてを使って、針仕事に専念するつもりだ。
早朝というか夜に目を覚まし、それからずっと針を作っていた。
腹ごなしを済ませたいま、正直かなり眠たくなってきた気もするものの、体内時計を狂わせると体調が崩れやすい。
なのでここは、ちょっと眠たいのは我慢して、なるべく普段通りのリズムで一日を送るつもりだ。
「天気も悪いしなぁ……」
やはり冬が間近に迫ってきているからだろう。
空は日に日に薄暗さを増していき、一年前に経験した、あらゆる冬の予兆が随所に訪れている。
動物は姿を隠し、川からは貝もエビも消滅。
その後、シャケマスの大群がドッと押し寄せた。
クリスタルガエルは元気にやっているらしい。
「くわばらくわばら」
うぅぅっ、と体をさすりトンネルの中へ。
この時期になると、外に置いてあるものは短時間で全て凍っていく。
氷室なんか作らずとも、外気そのものが天然の冷凍保存庫だ。
ヌコ太見たさに外で朝飯を食べてみたが、これ以上は耐えきれそうにない。去年の俺は、本当によく耐えてたな?
簾を開けて、即座にぬくぬくの竈の前へ移動した。
トンネルの内部は中心に行けば行くほど暖かい。
「食糧も薪も、計算だと七ヶ月分」
切り詰めに切り詰め、一日あたりのリソースを最小限まで抑えた場合の試算だ。
我ながら、本当に大した量をストックしたものである。
──たったひとりでよくぞここまで!
自分で自分を褒めてやりたい。
しかし、それでも不安は残る。
前世の地球じゃ、最大で十ヶ月近くも極夜の冬が続くという島があった。
この世界がそうじゃない保証はどこにもない。
「シャケマスの大量追加を考慮に入れても、食糧はせいぜい七ヶ月半。問題は薪だな」
薪が尽きれば、当然だが火は消える。
本当は針仕事などより、木の伐採に集中した方がいいのかもしれない。
だが、ここまで来た以上、俺は自分の努力を信じてみたくもあった。
春から秋にかけて、素人なりに考えられるすべての対策には全力で打ち込んで来た。
それですら結果がダメというなら、何というかもう、完全に両手を上げるしかない。
異世界に白旗をあげて、潔く負けを認めよう。
仕方がないので、吹雪の中で伐採作業でもするさ。
「って、それ全然諦めてへんがな!」
ガハハ。
虚無顔になったところで針仕事開始。
ちくちく、ちくちく。
ちくちく、ちくちく。
ちくちく、ちくちく。
毛皮に穴を開けて紐糸を通し、試行錯誤しながら防寒着を作っていく。
作る過程で、手袋はただのリストバンドに。
靴下はギリギリなんとかそれらしい形になった。
「いや、手袋むっず……」
五本の指の形状に合わせて袋を作るとか、素人には難易度が高すぎた。
ミトンみたいなキッチン手袋ならワンチャンできるかと想像していたが、それすらも難しい。
細かい採寸なんてできないので、だいたい目測でこんくらいかな? って感じで毛皮と毛皮を縫い合わせるんだが、できたのは中途半端なサイズの頭陀袋だった。
「っ、スゥ──ふぅ! 素人の浅知恵、またしてもここに極まっちまったぜ」
白目を剥いて頭を掻きむしる。
仕方がないので、頭陀袋は解体して、今着ている服の補修と補強に毛皮を使っていくことにした。
ちくちく、ちくちく。
ちくちく、ちくちく。
ちくちく、ちくちく……どさっ!
「え?」
顔を上げて物音の方を見る。
いま、何かが基地の入り口で倒れた。
積雪の落下音とはまた違う。
そういう自然な環境音とは違って、今の物音には作為的な不自然さがあった。
「……ヌコ太?」
考えられる存在として、名前を呼ぶ。
この山の動物で、俺の暮らすこのトンネル基地に姿を現すのは、先ほども言ったようにヌコ太の他には存在しない。
他の動物はとっくに姿を隠したか、ダークエルフへの警戒心に満ち溢れている。
であれば、あのヤマネコがついに痺れを切らして、暴力的な手段で食糧の強奪を目論見はじめたのだろうか?
「…………」
万が一を考え、石斧を握り入り口へ忍び寄る。
緊張から、ドキドキと心臓が跳ねた。
殺すのか?
殺せるのか?
数刻ほど前に自分で描いた最悪のシナリオ。
嫌な鼓動がドクドクと加速した。
だが──
「────、は?」
幸いなことに、その心配は杞憂だった。
入り口の前に佇んでいたのは、想定していた通りに見知ったヤマネコ。
早朝と変わらず、いつもと同じ忌々しげな様子で俺を見つめている。
特段、殺気立った様子もなく、事を荒立てようという雰囲気も一切無い。
……ただ、一点。
「な、んで……どうしたんだよっ、オマエッ!」
「Guru……」
白くて綺麗だった毛皮は、真っ赤な血で汚れている。
横腹は破裂し、内臓が溢れ落ちて、血がドバドバと雪上を濡らしていた。
立ち上る血と臓物の熱が、赤赤と生々しい。
致命傷。
絶対に助からない。
ヤマネコの瞳には、しかしそれでも苦悶の色はなくて、
──死んだ。
目の前で、死んだ。
何かを告げようとするかのごとくして、死んだ。
目から光が消え失せ、生物が骸になり果てる過程。
その様の、有無を言わさぬ迫力とともに。
やがて、こちらが呆然と立ち竦んだままでいると、
「@@? @@@@@@?」
「@@@@@@@、@@!」
「@@@@!」
「@@@@@@@@@@@@?」
「@@@@! @@@@!」
山の奥から、何かよく分からない……とても気色の悪いものが……ずらずらと現れた。
そいつらはまるで、石のような肌と、汚らしい黄色の目を持つ巨人だった。
どいつもこいつも、真っ赤に濡れた、でかい棍棒を背負っている。
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tips:ヌコ太
メランズールがノタルスカ山で出会った体長2メートル以下のヤマネコ。
優美にして柔軟な肢体を誇るモフモフ野獣。
なお、性別はメスだが、メランズールは勝手にオスだと勘違いし「ヌコ太」の愛称をつけてしまった。
野生の誇りと当然の敵愾心。
馴れ合いはあり得ず、両者の関係は所詮どこまでいったところで野生動物と人間のそれ。
冬を間近に控えた秋の終わり。
死は、唐突に彼らの未来を奪い去った。
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