#006「絶景の絶望」
水、火、食糧、十分な休息。
英気を養い、疲労を回復させたことで、頭痛が無くなった。
まだ少し、病み上がりじみた気だるさは残っているが、これならば行動を再開できる。
サバイバル生活、第五週目。
俺は銛に何匹かの燻製(素人作)カブトエビとウナマズを吊り下げ、ポケットに木炭を入れられるだけ突っ込むと、ネックレスを確認して、忘れ物がないかを最終チェックした。
キャンプ地を見渡して、なんだかんだ愛用しつつあるナイフ形の石も懐に忍ばせる。
「……ここでの生活は、悪くなかった。オマエと俺、結構うまくやれてたよな?
──でも、俺はもっと、上を目指したいんだ」
名残惜しいが、別れの時である。
あれだけ苦労して火をつけた焚き火も、雪をかぶして消火した。
風と雪と雨と雹。
この世のあらゆる残酷さとも呼べる悪魔たちに対し、その身を盾とし暖かなぬくもりを提供してくれた雪洞にも、きちんと別れの言葉を告げる。
愛していたぜ、ベイビー。
最初のキャンプ地として、ここでは多くのことを学ばせてもらった。
しかし、
「エビと魚だけじゃ、生きていけない。もっと豊かなところがいい」
てワケで、出立の朝である。
「ファーフーフォー、ファーフーフォー。ファファっファファーファーファファー」
ザッザッザ。
すっかり慣れ親しんだ雪上の足音をBGMに、俺は我ながら調子っぱずれな鼻唄を歌う。
人はなぜ、幼少期に刻まれた記憶を、大人になっても思い出せるのだろう?
転生という摩訶不思議な体験を経ているくせに、俺は前世で子どもの頃に見ていた、某有名アニメ映画の挿入歌だかテーマソングを思い出していた。
やはり、懐かしい気持ちとかは一切湧き上がってこないが、歌っていると妙に楽しくなってくる。
案外、魂に刻まれた記憶というのは、こういうものを言うのかもしれない。
周辺環境は依然として雪、雪雪雪! 氷、川ァ! てな具合だが、見方を変えれば牧歌的とも言えるだろう。
ノスタルジックな感傷が人知れず刺激されているのだとしても、ま、おかしくはないのかもしれないね。
「……にしても、今さらだけど俺って、どんくらい歩いてきたんだろうな?」
たしか、人間が一日に移動できる歩行距離は、およそ40キロが限界だと聞いたことがある。
普通なら大人の半分も歩けはしないだろうけれど、あくまでそれは、ホモサピエンスならの前提に成り立つ推測だ。
希望的観測になるかもなのは承知の上で、ここはダークエルフのパワフルな肉体を考慮し、20キロは歩けるとしておこう。
だが、あたりは見ての通り悪路オブ悪路。
まともに整備された道なんてまったく無い。
こんだけ雪が積もってるってことは、季節は完全に冬なんだろうし、悪天候で状況によっては、丸一日動けない日もあるから、大幅な下方修正はどっちにしろ必須だ。
とすると、やっぱり最高でも一日10キロ以下あたりが妥当なのだろうか……
「でも、別に毎日毎日、フルに移動してきたワケでもないしなぁ……」
それこそ、最初の数日間は水を求めてフルに歩き回っていたが、それも吹雪に晒されそうになってからは雪洞を作る時間とかも必要になったし、小川を発見してからは、食糧の調達なんかでますます限られた時間しか移動には費やしていない。
「ハッハーン? てことは、なるほどね」
体感的には、かなりの行程を挟んできたつもりだったけれども、案外、俺はそう大した距離は移動してきていない気がしてきたな。
とはいえ、かれこれ二ヶ月弱はサバイバルしてるワケだから、苦労もしている分、まぁまぁな距離は移動していると思いたい自分がいる。
俺、頑張ってるよなぁ?
ドラゴンが現れて、イケオジが死んで。
あの出来事さえ起こらなければ、俺は今ごろ、どこかダークエルフの開拓村かなんかで、畑作業でもしていたはずだ。
いや、冬だから別の仕事かもしれないか?
何でもいい。
何にしてもだ。
イケオジが向かっていた場所がどこなのか。
それさえ分かれば、この当て所のない放浪生活にも少しは指針が生まれて、自分が何をすべきかも明確になっただろうに。
おお、神よ! なにゆえ我を見捨てたもうたのか! エリ・エリ・レマ・サバクタニ!
「家に帰るにしても、方角が分かんねーしなぁ。正直、この川から離れたら死ぬ気がして怖い」
だいたい、イケオジは馬に乗って俺を連れて行こうとしていた。
馬はドラゴンの足爪で真っ先に死んだが(めちゃグロかった)、それはともかく、馬の足なんて、二足歩行の生き物じゃどう逆立ちしたって比べ物にならないスピードを生む。
馬力って言葉もあるくらいだ。
だから、仮に俺が超幸運に恵まれて、最短ルートの帰り道を一切間違わずに選択できたとしても、その道が馬なら三日、徒歩なら一週間とかの可能性だって十分にあるはず。
んで、サバイバル生活の過酷さを、現在進行形で嫌になるほど痛感している俺は、水も食糧もない無辺の純白荒野で、一週間以上歩くことの意味を当然想像できている。
死。
それは紛うことなき、死。
どんなに頑張ったところで、与えられる報酬がそれしかないって結末は、この土地に往々にして転がっている。
この前なんか、凍った骨みたいな花とかあったしな。一瞬錯覚して、超ゾッとしてしまった。
ゆえにこそ、俺は一度見つけてしまったこの水場から、なかなか離れたくとも離れられない。
「つーかよぉ、あれからどれだけ移動してきたかは置いといても、〝戻る〟ってことは、ドラゴンが降ってきたあの場所にも〝戻る〟ってことだるぉ?」
そりゃあね、普通に怖いことだよね。うん。
だったら、そう大した移動距離ではないにしても、気分的に離れて行ってる感覚を得られる
少なくとも、川沿いに進む限りにおいて、俺は飢え死ぬことだけはないのだ。
生き物のいる川で本当に良かった。
栄養失調で死ぬ可能性は、まだまだかなり高確率であるけど、だからこそ、こうして新天地を求めて移動もしているワケだし。
植物だって、心なしか徐々にその影を増やしつつある気がするぜ? 嘘じゃないぜ!
──と、そのとき。
「んん?」
斜め前方に、小高い丘のようなものが見えた。
丘。
いや、ここからでは定かではない。
もしかすると、こんもりと盛り上がったどでかい雪の塊の可能性もなきにしもあらず。
しかし、それにしてはやや不自然な盛り上がりだ。
あそこだけ雪が山のように積もるなんて、そんなのは下に何かが埋まっているからとしか思えない。
川からはやや離れたところにあるが、ひょっとしてあそこに登ると、周囲の地形が広範囲に見渡せちゃったりしないか?
「……登ってみるか」
その決断は、意外とすんなり、喉元から口を突いた。
テクテクと近づき、小一時間ほど歩いたところで、麓に到着。
疲れることは覚悟の上で、雪丘を転びそうになりながらも登り続ける。
雪に足を取られるせいで、これまたさらに小一時間ほどかかっただろうか。
丘というより、労力的にはもはや山。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
息が切れて、途中で少し、なぜ登り始めてしまったのか後悔しそうになった。
理由はそうだな。
別に童心に駆られたとか、そんなくだらない理由ではない。
ただなんとなく、自分が歩き続けている世界が、純粋にどんなものなのか見てみたくなった。
直前に、自分がこれまで、どれくらい歩いてきたかなんて考えていたのも大きい。
けれど、だからこそ、頂上に立った時の衝撃は、ひどくシンプルで驚愕した。
「──────っ」
その瞬間の感情を、なんと例えよう。
全身を襲った、烈しくも穏やかな電撃のような痺れ。
絶望であり、また、どうしようもないほどの希望でもある。
端的にいえば、『感動』に尽きた。
「……は、はは、は……」
美しい光景だった。
思わず目を瞠るほどの絶景。
地平線の彼方まで広がる、氷雪の大海原。
白くて何もなくて、親しみ深い川の流れ以外には、本当になにも無い。
それは、深い絶望をもたらす『無の美麗』だった。
だというのに、心の奥底が、どうしようもないほど目の前の現実に賞賛を告げている。
「……〝異世界〟舐めてたわ」
いや、それを言うなら、世界というものを侮っていた。
現実をきちんと見据えているつもりで、分からないなら分からないなりに、これまで正しく自己分析と状況評価を下しているつもりでいたが、まだまだ根っこのところで生ぬるかったらしい。
スケールが違う。
無意識に抱いていた、「これだけ頑張っているんだから最後には報われるはずだ」という甘い考えが、音を立てて瓦解した。
……と同時に、体の真芯から、グツグツとしたアツいエネルギーもが湧き上がってくる。
──世界は美しい。
──こんな綺麗な景色は、これまで見たことがない。
──絶景を見て人生観を変えられたと話す人間の気持ちが、いまはじめて分かった。
──反則だ。こんなの、どう受け止めたって、〝生き抜く〟しかない。
「ありがとう」
気がつけば、感謝の礼まで口を突いて。
それほどまでに、俺のこれまでの旅の
もしかすると、村のひとつやふたつは見つけられるかもしれない。
そんな愚かな期待は、見事に裏切られたと言えるだろう。
後ろには、何も無い。
目で見える範囲では、人が暮らす文明のぶの字も見当たらない。
ならば、やはり俺の進む道は前しかなかった。
前へ、前へ……
「……行くか」
ザッ、ザッ、ザッ。
踏みしめられる雪のBGM──。
────────────
tips:大雪原
純白の大原。一面の銀世界。
ここにあるのはただ広大なだけの雪の荒れ野だが、その広さは地球における東ヨーロッパ平原(約400万平方km)を優に超え、積雪の深さはすごいところだと十〜二十メートルを超える。
物理法則が乱れている箇所がある。
そのため、メランズールが彷徨っていた場所など、実際はほんの端っこに過ぎない。
追放刑という事実上の死刑にも利用される。
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