#005「魚獲りと休息」



 パチパチと音がする。

 赤色の揺らめきが風を浴びて踊り、その度になぜか、胸の中を不思議な気分が広がった。

 火の粉が舞って、煙が上がり、決して心地いいとは言えないはずの物の燃える匂いを嗅いでいる。

 しかし、それなのに、俺の心は奇妙なほどに燃える炎の奥、どこか遠い世界にどこまでも連れていかれてしまいそうだった。


「はぁぁ……」


 吐息をつき、手のひらをかざし、時折り思い出したように追加の薪を放りこむ。

 儚くも愛おしい熱の魅力。

 火熾しに成功してからというもの、俺は急に、何もかもが億劫になっていた。

 人間は快適な暮らしを知ると、以前の生活にはなかなか戻れなくなると言われているが、今の俺は、まさしくそれ。

 極寒の銀世界で、信じられるのは目の前の灯火だけ。

 炎こそが世界の真実だ。


「今なら拝火教にだって入信できる……」


 拝火教ってそういう宗教じゃないけど。

 それはさておき。

 早朝、晴れ。

 珍しくいい天気。

 異世界限界サバイバーとしては、こんな日は本来、素早く一日の行動を開始しなければならないところ──なのだが。


「……やる気、起きねっス」


 放浪生活三週目にして、俺はとうとう怠惰の味を知ってしまった。

 焚き火、恐るべし。

 一度〝暖かな場所〟というものを知ってしまうと、体がなかなか腰を持ち上げてくれない。

 冬の朝の布団。

 炬燵ミミック。

 まさに恐るべき快楽の誘惑よ。


「だけど、まぁ……」


 さすがに、丸一日こうしているワケにはいかない。

 サバイバルとは甘くはないのだ。

 俺は焚き火に薪を足し、火が消えないよう燃料を多めに追加しておく。

 じゃ、気は進まないけど、そろそろ行くとしましょうか……


「うぅ、さむっ! せめて今日は、魚が手に入るといいなぁ」


 雪洞に立てかけておいた即席の天然銛(いい感じの棒)を握り、川岸にテクテク向かう。

 踏みしめられた雪は、氷になって滑りやすい。

 そのため、歩くときはなるべく新雪の上を選んで歩くようにしている。

 だがさすがに、何往復もしているからか。

 雪洞と川岸までの間に、若干道のようなものが複数でき上がってしまった。


 あれから、俺は移動をやめて、一週間近くも同じ場所に留まり続けている。


 すべては、偉大なる『火』を手にしてしまったためだ。

 暖かなぬくもりと、加熱による調理が可能になったことで、これまで気づいていなかった体の疲労が、ドカンと一気に来てしまったらしい。


 思えば、俺は一週間前、なんであんなに火熾しに全集中していたんだ?


 どう考えても、テンションがおかしいことになっていた。

 枝を加工するときに負った手の傷も地味に痛いし、石を投げ過ぎたことで肩周りと腕が今も重たい。

 跳ね返った石の破片が頬に当たって、危うくル〇ィみたいな傷ができたかと焦りもした。

 幸い、かすり傷だったので大したモノではなかったけれど。


 休息を欲する体の叫びに従って、俺はしばらくの間、ここで体力回復のためのリラックス期間を設けている。


 ま、サバイバルをしていく上では、自分の体調とも相談しないとね?

 それにほら、落ち着いた時間があるってことは、この通り、便利な道具だって用意できる。





「──それは、稲妻のような切先だった」


 俺は銛を構え、水中の魚影に向かって勢いよく切先を刺しこんだ。

 すると、数瞬前までたしかにそこを泳いでいたはずの魚が、あっという間にどこかへと姿を消していく。


「ま……本家の槍も、なかなか当たらなかったしな」


 これは槍じゃなくて銛だし、そんな上手くいくはずがない。

 二、三度試したところで、案の定足が悲鳴を上げ始めたため、俺はそそくさと浅瀬側に舞い戻った。

 そして、川底にあるそこそこ大きめの石に狙いをつけると、銛を差し込んで梃子の原理でひっくり返す。

 せーの、よっこらせ!


「いた」


 石の裏には、数匹のカブトエビが隠れていた。

 俺はそれを、すかさず背中側から摘みあげると、ポッケにしまっておいた小枝を使って躊躇なくブッ刺す。

 硬い甲殻ではなく、柔い腹の方から刺してやるのがコツだ。

 途端、カブトエビは苦しそうにのたうち回るが、続けて二匹目も重ねてブッ刺し続ける。

 大きさ的にスマートフォン程度のやつなので、二匹も捕まえればそこそこな食い出。身肉も多い。


「すまんが、オマエたちには今日も世話になるぞ」


 謝罪と礼を告げ、俺は念のため三匹目のカブトエビも枝にストック。

 こいつらはどうも、夜行性のエビらしく、昼間だとこうしていとも容易く捕獲できる。

 そのうえ、味はあのシジミモドキと比べて数倍も美味いときた。

 これで獲らずにいられるか? いや、いられない。


「お、こいつはちょっと小さいな。こっちはデカい。親子だったか?」


 小さな罪悪感。

 けど、まあ獲ってしまったものは仕方がない。

 四匹目と五匹目も、捕食者としてきちんと責任を持って平らげよう。


「タンパク質ッ! タンパク質ッ! あそれお祭りお祭りタンパク質ッ!」


 ……ちなみに、カブトエビというのは、こいつらがなんか微妙にエビじゃないフォルムをしていて、どちらかというとカブトガニっぽい丸っこい甲殻を持ちながら、けれどエビにも似た細長い尾を持っているので、俺がそう名付けた。


 我ながら実に安直である。


「たしか、前世にも……同じような名前のオタマジャクシじみた生き物がいた気がするな。ま、別種だろうけど」


 ともあれ、食糧の調達は完了した。

 あとは拠点に戻り、二匹を焼いて食事。

 三匹目以降は、時間を置いて食べられるよう焚き火上に吊るして保温しておく。


「朝のキツい仕事終わり!」


 俺はブルリっと全身を震わせ、キャンプ地へ戻った。


 そしてお昼。

 カブトエビをバリボリ貪って栄養を補給し、体を温め直したところで再度川岸へ。

 魚を諦めたと誰が言った?

 銛がムリなら、罠を張るのが賢い人間様のやり方ってものよ!



「シジミモドキ……オマエには犠牲になってもらう」



 探し始めて数秒で見つかったクソマズ貝。

 それらを石で叩き割り、でろーんとした中身を何個か枝に刺して川の中に入れる。

 人間様が美味しいと感じないものでも、魚にとっては違うかもしれない。

 手っ取り早く使えそうな餌はコイツかカブトエビしかないので、俺は当然のごとくシジミモドキを生贄に選んだ。


 果たしてこの貝を食らうような魚が、食糧として期待できる味なのか。


 懸念は尽きないが、できる限りローコストでハイリターンを望みたいのが今の正直な心境である。

 もちろん、ただ枝に刺した餌を川の中に入れるだけでは、まったく罠として成り立たないので、俺は次に簡単な『囲い』のようなものを浅瀬側に作っていく。

 川底に落ちている大きいサイズの石を転がして、それを壁にするようせっせと積み上げるのだ。

 んで、一箇所だけ敢えて穴を開けておき、魚が入ってこられる玄関を用意しておく。

 穴はっぽくしておくことも忘れない。


 あとは簡単。


 作った囲いをちょっとだけ迂回して、川の逆側から銛を使ってバシャバシャ水面を叩きまくるだけ。


「オラッ! オラッ!」


 掛け声もあわせれば、驚いた魚がきっと囲いの側に逃げ込んでくれるだろう。追い込み漁の手法だな。

 成果は時間が経つまで分からないが、最後に囲いに蓋をして、玄関を塞いでやれば罠の完成である。


 俺はそこから、キャンプ地に戻って夕暮れまでボーッとする。


 住処を荒らされて警戒態勢に入った魚は、そうそうすぐに餌には食いつかない。

 時間を置いて、しばらく経ってから様子を見に行くのが賢明だろう。


 こうして火を焚いてあるおかげで、濡れた体を温めなおすこともできる。

 火ってのは、本当に最高で最高だ。


 今着ている服が、もうちょっとしっかりしていれば、釣りの選択肢も十分にアリだったかもしれない。

 けど、このクソ寒い川原で、長時間も座りっぱなしというのは、想像すると掛け値なしに拷問そのものだった。

 何を隠そう、先ほどの銛も、もともとは釣り竿となるべく拾われた悲しい背景を持っている。


「ま、今じゃただのなんかいい感じの棒だけどな」


 ネックレスのチェーン部分を、他に材料がないとはいえ、釣り糸に見立てたのも良くなかった。

 短いし意外と重いし、途中で手がぷるぷる震えて不審な動きをしまくり。

 あれでは、どんな魚だって食らいつこうとは思わないだろう。


 なので、釣りはやめて罠漁へと方針を転換した。


 カブトエビもいいが、ヤツらは足を引きちぎったり殻を引き剥がしたりと、やや食いづらい欠点がある。

 シジミモドキに比べて数倍美味いといっても、所詮は野生。

 泥臭さや川臭さはどうしても抜け切らない。

 だったら、どうせ臭いにしても、見た目的に〝食事感〟の強い川魚の方が、俺の目には魅力的に映る。





 ──夕刻。

 俺はドキドキしながら、罠の様子を確かめに行った。

 すると、


「!」


 やや小ぶりながらも、一尾の魚がシジミモドキをパクツイているではないか!

 俺は焦らず、平静を装って、銛を構えた。

 ──さぁ、今度こそ正念場。



「…………ッ! ォラッ、このっ、っしゃ! 捉えた──!」



 すかさず先端を引き上げ、丘に銛を放り投げる。

 串刺しになった魚は、かなり力強く抵抗してきたが、陸地では逃げることも叶わない。

 ジタバタ跳ね回るのを急いで石で殴りつけ、素早く息の根を止めた。



「っふ、ふぅぅ……!」



 緊張の一瞬が終わり、肩で息を漏らす。

 だが、やった。やったぞこのやろう。



「──魚、獲ったどぉぉぉッ!!」



 ナマズのようなウナギのような。

 よく分からないものの、立派に淡水魚然とした川魚を手に入れた。

 今夜はカブトエビと、焼き魚のディナーとしゃれこもう。

 YES YES YES!







────────────

tips:デドン川・下流


 北方大陸グランシャリオの大雪原より、やや南下したあたりに流れている川。

 貝、エビ、魚などが、数少ないものの棲息する。

 大雪原には他に動物はいないため、もし遭難者がいれば、このデドン川に辿りつかないことにはどうにもならない。

 旅人はこの川に天の救いを見出す。

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