#004「夜通しの火熾し」



 ついに小川が、立派な川になった。

 移動を続け、来る日も来る日も雪洞カマクラをおっ建て川底をあさる日々。

 腹を壊しながらも、水とたしかな食糧を確保したことで、俺の行動範囲は川とともに広がりつつある。


 天気が悪い日は雪洞の中でじっとして。

 天気が良さそうなら、早めに食糧調達を済ませて。

 余裕のある日は、できる限り川上に向かって移動する。


 ホモサピエンスなら、やはり早晩間違いなく凍え死んでいるような行程だが、どうやらダークエルフの体は異様に寒冷地に対し強いらしい。

 すごいぞつよいぞダークエルフ。

 依然として、火は一回も焚けていないのに、俺は凍死だけは、なぜか回避できていた。

 凍傷にもなっていない。

 耳とか尖ってるし、指先と一緒で凍傷になるならそのあたりからかと戦々恐々としていたが、今のところそういった心配は杞憂に終わっている。

 クソまずい貝を食い始めてからは、体にも微妙に活力が戻り始め、なんというか、ギリギリ一歩手前のところで生命活動を維持できている実感があった。

 最近は健康を気にして、川底の藻も拾い食べてみているのだが、軽めの頭痛と重めの倦怠感、全身の筋肉痛とはなかなか縁が切れそうにない。


 放浪生活二週間目。


「おぉ……」


 俺の目の前には、ついに立派な川が流れていた。

 これまで遡上していた小川は、どうやらこの大きめの川、その支流だったらしい。

 幅にして、約十五メートルから二十メートルはあるだろうか。

 水嵩も上がり、目測だがだいたい、ふくらはぎの中間くらいまでの水位がある。

 川面に張る氷も、今までの比でない厚さだろう。


 そして。


「……ハッハァーッ! 会いたかったぜぇ? 木ィ!」


 川の規模が大きくなり、水中に含まれるミネラルなどの栄養素が増大したからなのか。

 これまでどこに行っても、ほとんど分厚い白雪に覆われていた川岸に、まばらながらも植物の影が散見されるようになった。

 地中に染み込んだ水の恵み。

 それが、極寒の厳しさにも負けない強壮な土壌を、とうとう形作ったというコトで相違あるまい。これでやっと、道具とか作れる!


「枝ァ!」


 が、俺は早速、焚き火の準備に取り掛かった。

 薪になりそうな枝を見つけたからには、もうこの想いを止められない。


 火、火、火を燃やせ……!





「──ってワケで、何本か使えそうな枝をポキポキしてきたワケだけど」


 いざ火を熾そうと思うと、いろいろと細かい配慮が必要なことに気がついた。

 たとえば、これまではそこらへんに積もっている大量の雪を、力仕事でどうにかして、夜までの間にそこそこの雪洞を作っておけば、最低限の拠点ができた。

 水と食糧は川から入手できるので、俺は必然、川岸をキャンプ地としていたワケだ。

 しかし、薪を集めて火を熾すとなると、薪が冷えたり濡れたりしないよう、雪をどかして空きスペースを作ってやらないといけない。


 除雪!


 それはかなりの重労働!


 んで、川の規模が大きくなったもんで、これまではあんまり危惧もしていなかったんだが、水位の増量とかにもやっぱり注意する必要がある。

 湿った土の上じゃ、どう考えても火は燃えにくいだろう。

 雨が降って水嵩が上がれば、せっかく作った焚き火スペースが悲惨な末路を辿ってしまいそうだ。


 となると、ポイントは三つ。


 俺は今後、


 ①川岸から少し離れ、

 ②やや高台になっている場所を探し、

 ③焚き火スペースを備えた拠点(雪洞)を作る。


 一日の間に、こういったタスクをこなさないといけない。

 それぞれの工程に必要な所用時間を考えると、どうやら本格的に、一日のルーティーンを検討する段階に入ってきた。

 とはいえ、このあたりはまだまだ全然資源に乏しそうな雰囲気なので、拠点はあくまで簡単な造りで済ませておこう。

 除雪作業でどかした雪を、そのまま雪洞の材料にすれば、結構な時短になる気もする。

 ので、



「──ここをキャンプ地とするッ!」



 俺は良さげな場所にあたりをつけると、体温の上昇に注意しつつ早速作業に取り掛かった。

 体を動かして温まるのはいいが、汗をかいてしまうと後々が怖い。


「急いては事を仕損じる。急いては事を仕損じる……」


 そうやって、半ば自分に言い聞かせるようにして準備を進めた。

 かかった時間は、体感でおそらく六時間くらいだろうか?

 黒く湿った地面が、ぽっかりと円形に顔を出している。

 その隣には普段より気持ち大きめな雪洞。


 昼頃から取り掛かったので、すっかり当たりは暗い。やや時間をかけすぎた……


 風も強くなってきたし、今夜は荒れそうな気がする。早く火を焚こう。

 浅瀬に転がっていた良さげなナイフ石を使い、集めておいた枝を、少し手間取りながらも加工していく。

 もともとが細めの枝だったため、皮を剥ぎ終わるとさらに細くなった。

 それを、今度はスライスするようなイメージで木片に変えていき、鳥の巣を形作る。


 この時点で、もはや時刻は完全に夜を迎えていたが、俺は火への欲求から気にせず作業を続行した。


 幸い、視界には困っていない。

 というのも、ダークエルフに生まれ変わって驚いたことのひとつに、異常な〝夜目の良さ〟があるのだ。

 月明かりも星明かりもないような暗い夜でも、俺の眼は昼間と変わらず、余裕で周囲の状況を確認できる。

 夜中にトイレに行きたくなって目を覚ましても、おかげで灯りをつけずに密かに行動できたので、家にいた頃は地味に役立った。


 ただ……時折り、見回り中らしい執事っぽい使用人とでくわすと、めちゃくちゃ腰を抜かされた上に大声を上げられてしまったこともあるので、もしかすると、ダークエルフ全員が夜目に優れているワケではないのかもしれない。それか、加齢による老眼? とかだろうか。


 なんにせよ、ホモサピエンスにはなかった特殊能力である。ファンタジーすげぇ。


「もしかすると、これは俺だけに与えられた特別な〝チカラ〟だったりしてな」


 その場合、能力名は暗視ダークアイ……いや、夜目ナイトビジョン……とか?


「──ふ。ないない。いや、さすがにそれはない」


 バカな思考に自分で苦笑して、やれやれと首を振る。

 目の前の現実を考えれば、くだらない妄想に浸っている場合じゃないのは、火を見るよりも明らかだというのに。


「──ま、その火を俺は、まだ一回も見てないんですけどね?」


 ガハハハハハ。

 最高。

 超ウケる。


「──うん。今のはなかなか冴えたブラックジョークだったな。我ながら座布団を贈ってやりたい。心のメモ帳にしっかり書き込んでおこう」


 くくくくく!

 肩を揺らし頬を歪ませた。


「…………」


 さて。

 錐揉み式火熾しをするには、今回集めた枝だと少し太さが足りていない。

 なので、こうして鳥の巣を作ったのは、火打石の原理で火をつけようと思ったからだ。

 地面に窪みを開けて、乾かしておいた浅瀬の小石を詰める。

 その上に、出来立てほやほや鳥の巣第一号を乗っけて、囲うように中サイズの石。

 少し離れて、俺はテキトーな石を拾うと、思い切り鳥の巣に向かって投げ込んだ。


 ──カッ!!


 という音がして、石が散弾銃のように散らばる。


「ぐおっ、いっ痛ゥ……!」


 跳ね返った幾つかが体に当たり、涙が出た。

 想定外のアクシデント。

 だが、俺の夜目はたしかに目撃している。

 極小だが、火花が舞った。


「……よしっ」


 成功するかどうか、だいぶ怪しい挑戦だったが、可能性はアリと見たぜ。

 今の俺の細腕で、石による火おこしを実現しようってんなら、やっぱりこれが一番可能性が高いと思った。

 問題は、発生した火花が運よく鳥の巣に落ちて火種の元になってくれるかだが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。当たるまで撃ち続ければ実質百発百中だよなぁ!?



「頼むぜぇ……? 俺ん手は今日、完全に霜焼け切り傷擦過傷だらけなんだ。せめて睡眠くらいは、久しぶりにあったかくして眠りたいんだよッ!」



 そこから体感、およそ五時間。

 結局かなりの時間を要してしまったが、思いのほか風も吹いてこなかったことで、俺は火熾しに成功した。

 ポォっと灯った小さな赤色。

 すかさず息を吹き込んで、根気強く燃え広がるの待つ。

 やがて、枝が煙をあげて、パチパチ言い出したところで、


「お、おお、ウオォォォォォォォォォォォオオッ!!」


 歓喜の絶叫が魂からブチ上がった。

 これでやっと、やっと暖かくして今日を終えられる。








 ──しかし翌朝、焚き火の熱によってか雪洞が崩落。

 俺は生き埋めにされて起こされてしまった。


「……火、もうちょい離した方がいいな」


 一進一退。

 然れど、火を得られたのはすごく嬉しかった。






────────────

tips:ダークエルフ


 人界・人間道に分類される黒系翠眼長寿種族。

 寿命は不明(あまりにも長すぎるため)。

 一説によると、だいたい二千〜三千年程度の時間をかけて老い衰えていくとされているが、中には三千を超えてなお若さを失わぬ特別な個体もいるそうだ。

 長く尖った耳と洗練された容貌を持ち、寒冷地に対する強い適性を持つ。

 現在ではメラネルガリアという北方最大領土を誇る王国でほとんどが暮らしている。

 第二次性徴を経ると、男性であればより頑健かつ強壮に。

 女性であれば、優美かつ豊満に肉体が成長する傾向が顕著。

 別段、夜目には優れない。


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