#003「川底の貝と捨て子」
言語の壁は、あらゆる面で俺に情報を与えない。
しかし、人は言語のみに縋って生きるに非ず。
たとえ言葉が通じなくとも、それならばそれで、人は他の手段で情報を仕入れていくものだ。
「っし。貝みっけ」
その日、俺は朝から川底をあさっていた。
一昨日発見した小川を、川上に向かって遡上していき三日目。
飲み水の確保には成功し、ひとまずの命を繋ぐことができた。
まさに天恵。
だが、広大な大自然に放り出されて、すでに一週間近い時が経過している。
俺は腹が空いて仕方がない。
ボゥっとしている時間も増えてきたし、栄養を摂らないと危険だ。
飯。飯をよこせ……!
このままでは、遠からず全身のエネルギーを使い果たし、俺はバタンキューと倒れてしまうだろう。
ダークエルフの体は意外と頑丈くさく、ホモサピエンスだったらとっくに倒れていそうなこの状況でも、意外と体力が持続している。
しかし、だからと言って、安心していい理由にはならない。
家を追い出される前は、俺は一日三度の食事を与えられていた。
つまりダークエルフも、ホモサピエンスと同様にきっちり栄養補給を必要とする生き物ってことだ。
こうしている今も、ジリジリ判断力が低下している気がする。
とはいえ、絶望するにはまだ早い。
水があるということは、すなわち水辺に棲息している動植物がいるはずだ!
俺は小川の傍らに立つと、そこら辺に転がっていた大きめの石を落とし、バキバキ薄氷を割った。
すると水が漏れ出て、どんどん氷が溶けていく。
川底をあさるのに邪魔な、大きめな氷片はサッ、サッと他所に放り捨てて、中くらいの氷片もポイポイ放り投げる。
そうして、少し待って、だんだんと川底が見えやすくなってきたところで、ようやく食糧採取の開始。
川岸にうつ伏せになり、腕と顔だけ覗かすような体勢で、ひたすら水中に目を凝らした。
川の中に直接足を下ろさないのは、冷水による急激な体温低下を危惧して。
最初に見つけた地点の川の水量に比べて、すでにこのあたりの水嵩は、くるぶしを浸す程度には増量している。
もちろん、まだまだ魚が期待できるほどの水深ではないし、いたとしてもせいぜい小エビや石みたいな貝ばかりの用水路じみた小川なのだが、滑って転んで尻餅でもつけば、人生最悪の日を容易に更新してしまうのが想像に難くない。
極寒の大地で生きる際の最大の敵は、やはり何といっても寒さであろう。
ただでさえ
ずぶ濡れのリスクは極力避けるのが、クレバーな選択というもの。
そうだよね? ディス○バリー?
「……それはそうと、この貝は食える貝なのか? まったく分からねぇ。けど食うしかないぜ」
小石じみた薄黒い貝。
見た目はなんとなくだがシジミに似ている。
運が良かったのか、二時間ほどでまぁまぁ見つけられた。
二十個。
両手を広げて、ちょうどいっぱいになるくらい。
そいつを岸に持ち上げ、ひぃふぅみぃと再確認し終えたところで、俺はどうしたものかなと考えた。
普通に考えれば、ここはなんとしてでも加熱調理を試みたい。
だが、悲しいお知らせなことに、ここまで歩いてきて、俺は一本たりとも木を見つけられていなかった。
枯れ枝のひとつも見当たらない。
あったのは雪! 雪雪雪! 氷ィ! 硬い地面!
まさかここまで真っ白けっけとは。
さしもの俺も、あまりの景観の侘しさに絶句の限りしかない。
なので、サバイバルといえば何かと連想されがちな錐揉み式火おこしに、俺は挑戦する機会すら与えらえていなかった。
燃料が無いのであれば、どうやっても火を熾すのは不可能である。
そうなると、思考は必然、ひどく短絡的な方向に傾いていくもので……
「……っぱ生かぁ……?」
これだけの寒さなので、なんとなく寄生虫のリスクもなさそうな気がしてきた。
たぶん虫も凍死している。
直感的にも、これは食える貝だぜと本能がゴーサインを出している。
腹が減ってるだけかもしれない。
心のどこか奥底で、冷静に理性を保つ俺が、「オイオイオイ、死ぬ気かぁ?」とも警告しているが、悩ましい。非常に悩ましい。食べてみてもいいんじゃないかな。いいよ! いや待て。
この世界がファンタジーだというのも、懸念のひとつだ。
ダークエルフが存在して、ドラゴンが空を飛んでいる。
であれば、ぶっちゃけこの世界じゃ、何が起こっても不思議がない。
最悪、この貝がなんか得体の知れないキモめの魔物だって可能性まで、普通にあるだろう。
殻をこじ開けようとした瞬間、中からギュルン! と気色の悪い触手が飛び出てくるとかね。
「うーむ……」
怖い想像をし、つい一週間前の記憶がフラッシュバックした。
俺は、見ず知らずの壮年くらいのダークエルフに連れられて、ここへ来た。
途中までは一緒だったが、残念なことに今ははぐれている。
便宜上、ここでは仮にイケオジとでも呼称しておくが、彼は突然舞い降りたドラゴンと戦って、一週間前に死んだ。
死んだところを直接見たワケではないが、ありゃ間違いなく死んだだろう。
ドラゴン!
ファンタジーの代名詞、ドラゴン!
「あれはやばい」
人間の手に負える存在じゃない。
その恐怖は、ちょっとしか目の当たりにしなかったが、思わず「あ、終わった」と察する程度には強大でとんでもない怪物だった。
俺が助かったのは、ひとえにイケオジのおかげである。
……あいにく、俺は彼が何を言っていたのか。
ドラゴンに襲われ、必死に逃げ出すその最後の最後まで分からなかったものの、彼はたぶん、俺を庇ってくれていた気がする。
鬼気迫る形相で、なんとなく「逃げろ!」的な叫びをあげていたし、でなければ、どうしてあんなモンスターに対し、剣一本なんかで立ち向かおうとしたのか。ワケが分からない。
まぁ、そう考えるとそれはそれで、「じゃあ、彼はどうして俺みたいな見ず知らずのガキを助けようとしたの?」っていう新たな疑問も付随してしまうが。
でも、それについては実はひとつだけ、仮説を立てていた。
「……」
す、と胸元のネックレスを触る。
家を追い出される前、俺は自分の母親らしき女性から、これを手渡された。
黒いチェーンに、薄く透けた赤みを帯びる黒色の宝石。
サイズ自体は、小指の半分にも満たないちっぽけなものだが、綺麗に加工されていて、一目で高価な代物だってコトが分かる。
つまりだ。これはいわゆる、形見の品って物だろう。
あるいは、手切れ金的な可能性もあるか?
一週間前の夜。
俺の前には、深夜だったというのに突然イケオジが現れ、母親らしき女性は、何事かを早口でイケオジに話すと、まだ寝ぼけ眼で困惑している俺へ、有無を言わさずこのネックレスをかけ──そこから先は、まるで夢でも見ているようにすべてがあっという間だった。
あれよあれよ、あーれー。
気がつけば、見ての通り一面の雪景色。
大きな街の門を潜って、激しい馬の疾走に揺さぶられ、辿り着いたのは極寒の銀世界。
──そう。悲しいが、認めるしかない。
眦に滲んだ結露をぬぐい、指の湿り気をペロリ舌で舐め取った。
栄養不足でもまだしょっぱい。
「やっぱ、捨てられちゃったんだろうなぁ……」
状況から考えるに、要はそういう話だろう。
よくよく思い当たる節を探してみれば、たしかに
身の回りにいたのは、誰も彼も平然と複数言語を使いこなし、生活は洗練されて、知性と教養に満ちたエリートダークエルフ。
対して、俺は七歳になるというのに、ロクな発話もできやしない。
日本人的な感性は、大丈夫、仕方がないよと優しく慰めてくれるが、この世界の基準じゃ、俺はきっと落ちこぼれと見做されていておかしくなかった。
──穀潰しは要らねえ。辺境で畑でも耕しな!
家の中で一番偉そうだった老人が、見下した態度でそう言ってるのが容易にイメージできる。
母はそんな俺を哀れみ、せめてもの生活の足しにと、このネックレスをくれたのだろう。
俺をここまで連れてきたイケオジは、きっと新しい養父か何かで、まぁ普通に、優しい人だったんだろうな。
ドラゴンに襲われた時、俺なんか見捨てて自分の命を優先することだってできたのに、彼はそうしなかった。
本当に、感謝してもしきれない。
助けられたからには、精一杯彼の分も生きよう。
死んでしまった彼は、もう生きてこの世を歩き続けることはできないのだから。
「──よしッ」
決意を新たに、俺は貝を生で食う覚悟を決めた。
川底に落ちている石を拾い、軽く水でさらってぬめりを落とす。
「おりゃ!」
そして、一気に貝へ叩きつけた。
バキッ、ゴキャッ。
思いのほか頑丈で、何度か繰り返して、ついにひび割れの音。
触手などは出てこない。
「ちっさ」
中身を見ると、なんというか「貝だなぁ……」って感じの身が小さく縮んでいた。
ひっぺ剥がし、目の前に掲げて観察。うん。普通にキモイ。
恐る恐る口の中へ放り込む。
もっきゅもっきゅもっきゅ、ゴクン。
「──ゥ、お、ゔぉえッ」
口を必死に両手で抑える。
ゴムっぽい食感にジャリっぽい身肉。
貝類特有の妙なえぐみ? とでも表現すればよいか、泥臭さもあって、俺は涙目になりつつも、我慢して次の貝を口へ運んだ。
「ゔぉえェ……」
不味くて仕方がない。
けど、生きるためには必要なこと。
ああ、命って斯くも、素晴らしいな……!
(大丈夫、大丈夫。まだイケる。まだ舞える)
栄養補給なのにものすごく体力を消費しながら、俺はそれでも川の貝に感謝した。
────────────
tips:ドラゴン
動物界・天地道に分類される獣の最強種。
竜ではなく龍。
基本的には空を飛ぶ翼と火を吐く一般的なイメージをそのまま形にした生き物。
純龍ないし雑龍から、何らかの幻想や神秘を帯びた古龍であったり巨龍がこの分類に該当する。
太古の昔、新原生竜代と呼ばれる時代から〈渾天儀世界〉に存在したらしい。
それぞれの詳細については、またいずれ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます