#002「言語の壁と飲み水」



 しんしんと雪が降っている。

 真っ白な空に真っ白な地平線。

 相変わらず、何の変わり映えもしない退屈極まる光景だが、風が弱いぶん今日は幾分マシな空模様。

 俺はのそりと雪洞から顔を覗かせて、それとなくあたりの様子をうかがうと、「よし」と頷き外へ出る。


「うおっ、さむっ」


 すると、たちまち肌を刺してくるような外気が全身の穴という穴を襲って、ブルリと体が震えた。

 どうやら、昨夜はかなりひどい吹雪だったようだ。

 記憶にある積雪よりも、数十センチは嵩が上がっている。


「……こりゃ、カマクラ作って正解だったな」


 即席の雪洞、もといカマクラ。

 昨夜は突然風が強くなってきたもので、命の危険を感じて大慌てで施工に着手した。

 そのせいで心底疲れきっているが、努力の甲斐あって、素人作にしてはうまいこと目的を果たしてくれたらしい。

 先人の知恵はバカにならない。

 カマクラの中と外では、気温がまさしく段違いだった。

 無事に凍死を免れたのも、だからだろう。

 ……まあさすがに、安眠というワケにはいかなかったが。


「フゥゥ……また一つ、賢くなっちまった」


 豪雪地帯で突然の吹雪に見舞われ、野宿で夜を明かさなければいけなくなった場合。

 雪洞は暖を取って避難するのに有効──うん。しっかり記憶しておく。

 少なくとも、雪壁に背を預けるだけの野ざらし状態で眠るより、万倍も快適だった。


「にしても、まさか前世でサバイバルチャンネルから聞きかじってた知識が、実際にこうして役立つ時が来るなんてなぁ。人生何があるか分からんぜよ」


 ディ○カバリー・チャンネル万歳。

 娯楽エンタメとして消費できながら、タメになる知識もくれるドキュメンタリー番組。

 YouTubeは偉大だな。

 動画配信サービスの盛んな時代に生まれて心底よかった。

 たぶん、いや、二度と見れないけど。


「さて」


 ザッ、と音を鳴らして雪洞に背を向ける。

 この生活が始まってすでに四日。

 ダークエルフの体が、どこまでホモサピエンスと一緒か分からないけれど、さすがに飲まず食わずで延々平気なほど、非常識極まる種族じゃないだろう。

 手のひらにすくった少量の雪を、ヒィヒィ言いながら体温で溶かし、溶かした雪解け水を、ぶるぶる震えながら喉を潤すなんて苦行も、いいかげん限界に近い。

 手が霜焼けになりかけだし、着の身着のままとか根本的にサバイバルに向いてない。

 電気ストーブ……いや、ティファールの電気ケトルとかその辺に落ちてないか? 落ちてても電気がないからムリか。


「そろそろ水場がないと、まじめに死んじゃうんだけど……俺」


 漏れる呟きは当然日本語。

 周囲に誰もいないので、ここ数日ですっかり独り言が止まらなくなったが、つい最近までずっと日本語を喋るのを我慢していたので、反動が止められない。

 異世界言語、マジ難しすぎてウケる。

 どいつもこいつも、何言ってんのかさっぱり分からなかった。

 せめて五十音表とかでさ、一から勉強させてくれない?


「って、もうまともに、勉強できそうな状況でもないんだけどな! ガハハ!」


 笑い声も虚しい。

 やれやれ。

 いったいぜんたい、どうして俺はこうなってしまったのか。

 とぼとぼと歩きながら、「ハァ」と溜め息を吐いて思考に埋没する。

 これももう、幾度となく繰り返した記憶の反芻だけれども。




 ────────────

 ────────

 ────

 ──




 物心ついた時には、すでに自分の頭の中に、誰か知らない別人の記憶があった。

 本来知り得るはずのないことを、なぜか当然のものとして受け入れ、疑う気持ちも湧き上がらない。

 ただ〝そういうもの〟だと平然と理解し、これが自分の背景バックボーンなんだと誰に言われるまでもなく確信していた。


 この世界でのはじまり。


 俺の人生がどこから始まったかと定義づけるなら、やはりその点に関して、スルーを決め込むことはできないだろう。

 年齢にして四〜五歳。

 自意識、自我と呼べるものが芽生え出した頃と同じタイミングで、俺は『俺』を自覚するようになった。


 だが、その感覚は決して前世からの地続きなんかじゃなく。

 どちらかというと、過去に存在したAという人物の記録・情報を、データ転送されたようなカタチに近い。

 なぜなら、いわゆる知識、教養、常識といった部分ばかり印象深く残り、Aが経験した体験に付随する感情や思い出の類は、かなり無味乾燥になっていたからだ。


 なので、俺は過去に自分が〇〇というチャンネルを見て、ほにゃららという知識を学んだ事実は知っていても、その際、Aがどういったことを思っていたかまでがよく分からない。他人事のように思える。


 そうだな。大袈裟に自己分析すれば、自分を人間だと思い込んでいるアンドロイド。

 そう言われた方が、まだしも素直に納得できるだろう。

 なんだか知識チートとかできそうな背景だな?


 けど、そんな背景があるからといって、この世界での俺の人生が素晴らしく花開いただとか、神童と持て囃されて、周囲から次々に賞賛を集めたなんて特別な展開は、あいにく何一つとしてない。


 ゼロ。まったくの無である。


 というかだね。

 むしろ、マイナスに働いたことの方が現状では遥かに多い。

 なんと言っても、俺は言葉の壁につまずいてしまった。



「************」

「*****、********?」


(ヤッベ。何言ってんのか全然わかんね)



 黒い肌と翠の瞳。

 彫りの深い顔立ちをした容姿端麗な生き物たちが、自分の周りで何かを話し合って、時には直接声をかけてくる。

 前世知識のおかげで、それがおそらく、ダークエルフの言葉なんだという推測はたしかにできたが。


 繰り返す通り、俺の脳にはすでに日本の一般社会人一人分に相当する莫大なサイズのログファイルが、まるまるっと埋め込まれていたわけで。

 そりゃ、多少の英語や単語レベルの外国語なら理解できたかもしれないものの、基本は日本語オンリーの思考形態。


 はじめの数ヶ月は、マジで何も分からなかった。


 ダークエルフ語の文法体系が、日本語に近いものなのか。

 それとも、中学高校で習った英語のように、SVOが基本の形なのか。

 そんな詳細コトは分かるわけがなかったし、俺にできたのはまず、身の回りの椅子だとかコップだとか、日常的に使用される単語の見極めから。


 よく、海外留学をして一年も向こう側で暮らせば、ペラペラになって帰ってこられるなんて話を聞くけれども、バカを言っちゃいけない。

 アレはあくまで、留学前に最低限の下準備をしているから成り立つ理論なんだと確信した。そうじゃなきゃ、真の天才だろう。俺は天才じゃない。


 けどまあ、なにも辛いことばかりの始まりってワケでもなかった。


 幸い、俺が生まれたのは、どうやらかなり裕福なお家だったようで、周りにいた人物も、それ相応の知性と教養を感じさせる人々が大半だった。

 暮らしも豊かで、質素なんて言葉とは、最もかけ離れた贅沢な衣食住環境。

 それがダークエルフ全体としての基準なのか、あくまであの家に限った独自のそれだったのかは、いまいち分からなかったけども。

 ともあれ、俺のダークエルフ生活のはじまりは、まるで中世だか近世だかの金持ち貴族みたいな暮らしだった。


(ルネサンス? ヴィクトリアン? ゴシック……いや、それともバロックですか?) 


 身の安全はある程度保証されていた。

 着る物は上等。

 食い物は十分。

 寝起きする場所は常に使用人に清掃されて衛生的。

 部屋の中は、傍目に見ても十分察せられるくらい高価な調度品でいっぱい。


 だったら、だ。


 これから先、相当に文化レベルの落ち込んだひどい暮らしを送らなきゃいけない、とか。

 悪質な衛生環境で、とんでもない我慢を強いられるぞ、とか。

 そういった、ものすごく悲壮な覚悟とは無縁っぽい──って、誰だって安心するはず。


 だからこそ、俺もしばらくは『観察』に専念することができた。


 口を閉ざし、耳をそばだて、ひたすらに周囲の言葉をヒアリング。

 表情や身振り手振り、言葉の抑揚、イントネーションのささやかな違い。

 五感で感じるあらゆるヒントを頼りにして、俺はダークエルフ語を理解しようと全神経を集中させたし、そうでもしないと、マジでこの先、どうにもならないと直観していた。


 けれど。


 観察を続けていくうちに、俺はすぐにとんでもない大問題が立ち塞がっていることに気がついてしまった。



「****、****」

「***? @@@@!」

「@@@@@@、++++」


(……おい、もしかして……)



 どうもダークエルフは、日常的に複数の言語を使いこなしているようだったのだ。

 その疑惑は、一つの実験によって、残念ながら確信へと変わっている。


 ある時、俺は小さな子どもの特権をフル活用して、目についた使用人の服の裾を、片っ端から引っ張ると、しつこいくらいに同じ質問をした。

 もちろん、ダークエルフ語ではない。

 異世界言語はさっぱり分からないので、質問の仕方は指をさしてのボディランゲージによるものが基本だった。


 例えば、身長が小さいために、手が届かない。あの棚にある『本』を取って欲しい。


 というようなコトを、指をさしたりジャンプしたりして必死に伝える。

 質問というより、使用人たちにとっては懇願に近かっただろう。

 しかし、俺の意図としてはアレは紛れもなく質問だった。

 棚には本以外にも別のもの──花瓶だったりよく分からない置物だったり、が置かれていたため、親切な使用人は必ずと言っていいほど、同じ反応をした。


「あの『本』が欲しいのですか?」

「お花が見たいの? それとも、『本』に興味があるのかしら?」

「ああ。『本』を読みたいのですね」


 無論、本当にそう言っていたかはだいぶ怪しい。

 全然違う内容を言われていた可能性も、大いにありえる。

 だが、このシチュエーションで同じアクションなら、大抵の返答は限定されるだろう。

 相手の顔やリアクションからも、なんとなくニュアンスは通じるもの。

 そして、俺はそんなことを約半年間にもわたって他の物でも試し、使用人たちがいいかげんうんざりした気配を醸し出してきたところで、ついに結論を出した。


 ズバリ、同じ一つの単語でも、大きく分けて三パターンの言い方がある。


(──マジか。こいつら最低でも、三言語以上は使いこなしてやがるのか……!?)


 頭を抱えて本気で天を仰いだ。

 加えて、本があったことから分かった事実なのだが、ダークエルフが使用している言語は、三パターンどれをとっても、まったく日本語と共通点が無かった。

 文字を見れば分かる。

 公用語っぽいヤツひとつに絞っても、記憶にある既知の文字でたとえれば、ルーン文字とジャワ文字を融合させたそんなイメージに近い。

 そんなん読めるか? ムリだろう。記号の羅列にしか見えん。


 てなワケで、俺の異世界言語学習は初っ端から苦難と挫折で始まった。

 英語だってちゃんと話せないのに、たった二〜三年で未知の三言語を独自学習しろとかハードルが高すぎる。

 何もかも、あまりに時間が足りない。

 なので結局、俺は今でも両手で数えられるレベルの単語しか話せない。それだって、ちゃんとした確証があるワケじゃない。

 おかげで、自分がなんでこんなところに連れてこられたのか。

 それすらも分かっちゃいないチンプンカンプンぶりだ。

 やれやれって言いすぎて、やれやれ系主人公みたいになってしまう。


 ──Youはどうして異世界でサバイバルを?


 答えはマジでなんも分からん。





 ──

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「お、川だ」


 思索に耽りながらのしのし歩き続けていると、目の前に小さな川が現れた。

 といっても、まだほとんど凍っていて、チョロチョロと切ない量の水しか流れていない貧相なそれだが、ありがたい。

 どうやら救いの神はいるらしい。

 俺は地面に膝をつくと、まずは手をすすいで、お椀をつくり、ゆっくりと久方ぶりの飲み水を楽しんだ。


「ああ」


 喉を通る水がこんなにも気持ちいい。

 まだまだ死ねない。

 勝負はやはり、これからだろう。


「異世界め……見ていやがれよ?」


 対戦、よろしくお願いします。







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tips:異世界言語


 〈渾天儀世界〉には多種多様な種族が存在するため、生活の中では基本的に多くの言語が使用される。

 高度な知性と社会形態を築き上げている種族であれば、最低でも二言語以上の話者であることは当然の教養として求められるのが実情だ。

 貴族などの特権階級であれば、最低でも三言語以上は使いこなせないと、恐らく低脳の謗りは免れまい。

 この世界はそれほどに多種族で渾然一体としており、言葉の壁はあらゆる面で不都合を発生させてしまうだろう。

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