第5話 老執事

 シスイとエリスが城の中へ入ると、天井にある大きなシャンデリアによって、装飾品たちが煌びやかに照らされた豪華絢爛な空間が瞳に映った。


 そしてシスイとエリスの足元には、高級な素材で作られたカーペットが敷かれていており、その横にはアスタリオン王家の使用人たちが並んでいた。


「「おかえりなさいませ、エリス様」」


「ただいま、皆さん」


 寸分違わぬ動作でお辞儀をする使用人たちに、エリスは軽く会釈をしてから笑顔を返した。


「………」


(本物の王女様なのだな……)


 シスイはエリスの“この国の王女なのですよ”発言に半信半疑であったようだが、この光景を見てエリスが王女なのだと確信を持った。


 すると、右側の中央に並んでいた、白髪の髪をオールバックに片眼鏡を掛けた老執事がシスイとエリスの前に現れた。


「おかえりなさいませ……エリスお嬢様。先ほど城門の騎士たちにフェルネスト帝国の者たちに襲撃されたとうかがったのですが……まことでしょうか……?」


 酷く真剣な面持ちでエリスに尋ねる老執事。


(ものの数分もしないうちに情報が行き渡っているとは。流石、王家に仕えるだけのことはある……この者たちは優秀なのだな)


 シスイは老執事に視線を向け、その情報伝達力の高さに感心した。


「はい……確かにわたくしたちはフェルネスト帝国の者たちに襲撃され命に危機に瀕しました……。ですがキュリオス……騎士たちにお伝えした通り、その者たちを隣にいるシスイ様が助け―――」


「大変申し訳ございませんでしたァアアアアアアアッ!!!」


 老執事ことキュリオスは―――地面がめり込むような勢いの土下座をした。


 なぜ、キュリオスが唐突に土下座をしだしたのかというと、トルーラ家というアスタリオン王家を長い歴史の間、裏から支えている一族の現当主であるからだ。


 トルーラ家は、アスタリオン王国内部にいる、国家転覆を図ろうと他国と取引をしてクーデターを画策する者を始末し、またアスタリオン王国に敵対する他国の要人について情報収集をするなど、暗殺と諜報活動を生業としている一家である。


 しかし、今回の一件でトルーラ家は、である王族の一人を他国の騎士に襲撃されるという、責務と義務を超越した―――使命に対して怠慢を働いたのだ。


 キュリオスが土下座をした経緯は単純明快、おのが一族の矜持に反する行いをしたからだ。


 しかし、そんなことを知り得ないシスイは―――


(この老人……キュリオスといったか……突然土下座をするなんて……頭大丈夫か?)


 当然、キュリオスの猛省の土下座を突如の奇行として受け取られ、ドン引きするに決まっている。


「あ、頭をお上げくださいキュリオス! シスイ様の前でそんな見っともない姿を晒さないでください! わたくしたち王族がじゃないですか!」


「はっ?」


(この女……自分が変人だということに気づいていないのか?)


 何時いつ如何いかなる時でも冷静沈着なシスイが、珍しく驚きの声と共に目を見開きながらエリスを見る。


 しかし、その驚きは終わらなかった。


「申し訳ありません……。エリスお嬢様のようなに泥を塗るような行為をしてしまいました……。この無知蒙昧で愚かなわたくしめを……許していただけないでしょうか……」


「えっ?」


(品行方正は合っていると思うが……この老人、まさか自分の主が聡明だと本当に思っているのか? 聡明とは真逆の変人だぞ、お前の主は)


 またもシスイは驚き、立ち上がるキュリオスを目を見開いて見た。


「許しましょう、あなたを。この……アスタリオン王国第二王女である、エリス・アスタリオンの名の下に」


「ははぁ……。寛大な御心に感謝を申し上げます……」


 キュリオスは右手を左胸に当て、この場にいる全員が誠意と敬意が伝わるような深いお辞儀をした。


 だが一人だけ……伝わらない者がいた。


「………」


(何だこの茶番劇は……こんなものを目の前で見させられて俺はどうすればいいのだ……)


 ―――シスイであった。


 シスイは呆れた冷ややかな目で、その光景を見ていた。


 それから、キュリオスはゆっくりと上体を元に戻した。


「……して、エリスお嬢様」


「はい? 何でしょうか、キュリオス」


「この者―――シスイ殿がフェルネスト帝国から、エリスお嬢様を守ってくださったようですが……」


「えぇ、シスイ様がわたくしたちを助けて下さいましたけど……何か問題でも?」


「いえ、そのことについてわたくしめが申し立てる権利はございません。己の使命と誇りに傷がつき、今も悔やんでも悔やみきれません。ですが、こうして無事なエリスお嬢様を見て安堵しているのです。―――それは」


 キュリオスがシスイに身体を向け、


「あなたのおかげです……シスイ殿」


 目尻にあるシワをさらに深くさせて、微笑みながら手を差し出した。


「………」


 そして、シスイも手を差し出し、


 普段のシスイであれば、この握手は拒否している。キュリオスは王族ではないからだ。


 ではなぜ、シスイがキュリオスと握手を交わしたのか、その理由というのは……。


(貴様のような若僧がエリスお嬢様を助けるなど一億年早いわ……! とっとと死んで生まれ直せこのクソ餓鬼が……!)


 ―――笑顔とは、全く正反対の殺気を感じ取ったからである。


 シスイはそれに興味を持ち握手に応えたが、その直後、もう一つ握手を交わす理由を見つけた。


(こいつ、老人のくせして握力が凄まじいな……老人というのは嘘ではないのか……確実に年齢詐称しているぞ……)


 そう。キュリオスはシスイと握手を交わした直後、瞬時に全身を使ってシスイの手を握り潰そうと力を込めたのだ。


 しかし、シスイはそんなことなどものともせず、顔色一つ変えない。


 むしろ、キュリオスの顔が真っ赤になり、額には血管を浮かせ、今にも呼吸困難に陥りそうなほど危険な状態だ。


 なぜ、そこまで危ない事をするのかって?


 単純明快、力を増大させるために、息を止めて力入れるためだ。


 それに気づいたシスイは……。


(この老人……死にそうではないか……。仕方ない……このまま続けてしまえば俺は殺人者になってしまうし、罪を犯していない人を殺すことは胸が痛い……罪悪感が生まれてしまう……終わらせるとしよう)


 グググッ。


「……ッ!!」


 シスイが、ほんの僅かだけ手に力を込めただけで、キュリオスは「かふーっ!」という謎の呼吸を繰り返し、ジタバタと足を動かして上半身を仰け反った。


(……これで呼吸もしやすくなるし、俺に喧嘩を売ってきた仕返しもできる。我ながら頭が良いな)


 十分満足したシスイが手を離すと、キュリオスは勢い良くお尻をカーペットの上に激突した。


「だ、大丈夫ですか!」


 手に「ふーふー」と「はぁはぁ」と息を当てるキュリオスに、エリスは屈んで心配そうに見つめた。


「だ、大丈夫ですエリスお嬢様! わ、わたくしめも老骨ゆえ、手に力が入らず抜け落ちてしまいました! なははっ!」


「そうだったのですか……。はぁ……本当に良かったです……突然の病とかではなくて……」


「ご心配をおかけ申し訳ございません、エリスお嬢様……。ですが、もう大丈夫です! エリスお嬢様の優しさに触れ元気になりました!」


「ふふ…それなら良かったです」


 エリスとキュリオスは仲睦まじく笑い合っているが……。


(確かに、あの憎き若僧が突然の握力勝負に動じず、このを圧倒し勝利した強者だということは認めよう……。だが、これだけは認めぬッ! いつだって、どこだって主の危機に駆けつけるのは―――我々トルーラ家だッ!! 覚えていろよ……ッ!)


 と、エリスにバレないように隙を見てシスイを睨みつけるキュリオス。


 一方シスイは、その視線を感じたくないため顔をキュリオスから逸らすが……。


(そう言えば……何ゆえ、俺はあの老人から敵意を向けているのだ? 俺は悪いことをしていないはず……全く心当たりがないのだが……。どうしてだ?)


 と、今さら疑問を抱いたシスイであった。


 たが、もう遅い。


 キュリオスの中でシスイはもう―――


 ブラックリスト抹殺対象入りをしてしまったのだから。

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