PTA活動

山川タロー

第1話

 PTA活動との出会いは娘が小学校六年生に進級した時だった。当時女房は種々の理由から保護者会活動を離脱しかわりに私が保護者会に出席するようになっていた。年度初めの保護者会はPTAの役員決めから始まった。六年時の役員は五年時までに役員をした経験のない人の中から選出されることになっていた。私は役員をした経験がなかったので役員候補者ということになった。クラスに該当者が何人いたか定かでないがその中から四人の役員が選ばれた。幸か不幸かその四人の中に私が入っていた。保健体育委員だった。

 選ばれた役員が体育館に集められた。各学年の保健体育委員がおよそ三十人はいただろう。その中から部長、副部長が決められた。その前にPTA会長がやってきて、男子の委員が珍しいのだろう、しきりに部長に立候補しろと言ってくる。私は丁重に断りながらくじを引いた。なんと部長こそ回避できたが副部長に当選してしまった。その日は宝くじを買ったら当たるのではないかと思われた。それが良きにつけ悪しきにつけ私のPTA活動の始まりであった。

 PTA活動をやって良かったことは学校の先生と非常に近い関係を築くことができることであった。特に校長先生と話ができるということは子どもの成長を見守るという点で非常に有意義であった。市内の相撲大会で娘が頑張れば校長先生は喜んで私に報告してくれた。私は娘が嫌がるので見に行かなかったのである。

 私は中学校に入ってもPTAの湯悪因になろうと思っていた。それも保健体育部の副部長がベストであった。部長はそばで見ていて大変そうだった。責任もある。また保健体育部以外は大変そうだった。保健体育部が大変ではないという意味ではないが比較の問題である。特に総務部が一番大変そうだった。

 中学の役員決めの時、思った通り保健体育部を希望する人が一番多かった。そしてじゃんけんで負けまくり、最後まで負けて残ったのが総務部であった。そしてその時前任の総務部長が男性だったのだ。それが運の尽きであった。前任の総務部長のご指名により、総務部長を拝命することになったのである。保健体躯部副部長を目指していたのが、総務部長になってしまったのだ。

 PTA活動は大変であった。特に文化祭などの行事があると、一週間のうち半分以上をPTA活動に拘束された。会社に行っている時間より、学校に行っている時間の方が長かった。それでも学校の先生とのパイプが太くなり、子どもの成長を見守るという点ではプラス面が大きかった。

 高校でも保護者会の役員になろうと思っていたが役員決めの日程が分からず、一年目は役員になることができなかった。それでも保護者会活動に積極的に参加しているうちに執行部と仲良くなり、二年に進級する時、会長が次期会長として私を推してきた。そういうことで二年次以降保護者会会長をやることになった。

 そうして保護者会会長を二年務め、三年次には県の保護者会連合会の理事にもなった。こちらは卒業してからも一年やり保護者会の活動を終了した。

 PTA活動を総括すると学校のことがよくわかり、子どもの成長を見守ると言う点で大変有意義であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

PTA活動 山川タロー @okochiyuko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ