【幕間】 歪んだ愛国心 第二話

 久しぶりのまともな食事と上等な寝床、射し込む朝日で目を覚ますのは一体、いつ以来だろうか?。

 小さな洗面台で顔を流し、用意された衣服へ袖を通し、廊下へと足を踏み出す。


 先が見えない程に続く長い廊下、俺の足音だけが小さく響く。

 丁寧に磨かれた壁掛けの燭台、たった一つの染みも見当たらない整えられた絨毯、長く地下牢あそこへ居たせいか、そんな清潔さに些か違和感を覚えながら暫く歩く。


 足音以外が聞こえない空間に少し気味悪さを感じ始めた頃、昨日の晩に案内された部屋へと辿り着く。

 鉄格子と木製の二重扉、渡された鍵を差し込み、一枚ずつ扉を開く。


 開かれた先で真っ先に目に入ったのは、整然と並べられた製薬器具。


「一体、何のつもりだ?それにこの器具や材料……」


 薬師として活動していた時ですら入手が困難だった材料や高精度の計量器具を目の前に、思わず声が漏れる。

 恐らく、一年程は貴族と同等、いやそれ以上の生活が出来る程の価値が付いている物だろう。


「もう来ていたのですね」


 背後から声が響く。


「あぁ……国王……」


「見ての通り、この部屋には最高級の器具そして最高級の材料を揃えています。これ等は全て自由に使って頂いて構いません」


 どう言う事だ?元々ここへ来る時も、力を貸して欲しいとだけ伝えられ訪れた訳だが……。


「と、言うと?」


「薬学とこの国特有の資源を使った兵器の研究です」


 益々、頭の中に困惑が広がる。

 薬学、資源、兵器?……魂胆が全くと言っていい程に分からない。


「一体それは……」


「近年とある学者が、この国のある地域で資料に記載の無い、新たな種子を発見しました。人の恐怖心を無くす物です……其れを使い――」


「人の身体に使うつもりか?」


 ラルフの言いかけた言葉に、少々怒りを覚えた俺はその続きを遮った。

 つい、口調が荒々しくなる。


「……」


「良いか?俺は今、答えによっては地下牢あそこへ戻る事も厭わないと思ってる」


 また暫く沈黙の時間が続く。


「……その通りです。恐怖心を消し去り、この国の為に戦って貰うつもりです」


「……」


 怒り、いや呆れだろうか?返す言葉が見当たらない。


「無論、無差別に使用するつもりは有りません。同意を得た者にのみ使用します」


「そんな事をした所で、兵を無駄死にさせるだけだ。其れを理解した上で言っているんだな?」


 そう、恐怖心を取り去っただけで人は強くなれる訳じゃ無い、仮に兵士の士気が下がっていると言うのならば、全く理解できない訳じゃ無いが。

 街の様子を見る限りは、士気の低下どころか国家存亡の危機すら感じさせない程に穏やかだった……。


 確かにこの国は小さな島国だが、世界貿易の中心地。

 攻撃の可能性は低い……いや、必要性が低いと考えられ軍事力には余り力を注いで無かったが……。


「……国家存亡の危機だと言っていましたね。昨日の街の様子を見る限りでは、衛兵含め士気の低下も感じられませんが」


「そうです。兵は皆、士気は高く必死に戦ってくれています。この国へ侵略国の上陸を許さんと必死に……ですが、其れも限界なのです。戦力差に押されつつ在ります」


 分からない……感情の抑制をして更なる士気の上昇を狙っているのか?

 いや、一時的な恐怖心の抑制など、恐らく対して効果も望めないだろう。


「士気の低下への懸念なら兎も角、戦力差となると……」


「戦場へ赴いた兵士達は敵の軍勢を目の前にすると、圧倒的な戦力差で異常な迄の恐怖を抱いてしまう……これは兵士達、自らの願いなのです」


「兵士、自らの願い?」


 ラルフの表情は次第に陰りを見せ始める。


「皆、口を揃えて言います。自分達はこの国を守るべく、望んで戦場へと赴くが、圧倒的に数で勝る敵の軍勢を目の前にすると恐怖で剣を握る手は震え、身体が硬直してしまう……愛国心に勝る恐怖心が戦う事を阻害してしまうのだと……自分達にもっと力が有ればと」


「だから種子これが必要だと?」


「そうです。ですが、その種子の状態だと効果が不安定で幻覚など、他の副作用が現れる事もあります」


 成程な……俺に助力を求めた理由は其れだったか。


「つまり、種子これが安定して必要な効果だけを作用させる様に精製しろって事か?だが、恐怖心を取り去っただけでは強くなれる訳じゃ無い。其れこそ兵を無駄死にさせるだけでは?」


 感情、其れは人が生き抜く為に必要な物でもある。

 其れだけの制御は何の利益も生み出さないと思うが……。


 思考を巡らせる最中、ラルフは小さな瓶を差し出す。

 中には乾燥した植物片の様な物。


「これは?」


「近年発見された身体能力を向上させる効果がある薬草の一種です」


「……成程な。この二つを同時に投与し恐怖心を抑制した上で更に身体能力を向上させるって事か?まるで生物兵器ですね」


 一つ小さく頷き、重たそうに口を開く。


「勿論、人道を外れているのは承知しています。ですが、兵士彼等が抱く国を愛し守りたいと言うその気持ちを無碍にしたくは無いのです」


 そうだ、俺もそうなんだ。

 柵越しのあの時ラルフに言われた通り、俺もこの国を愛した……それ故に、その未来を憂い、あの様な手段を講じ今に至る。


 そしてこの国は変わった。

 今更、変革や革命を起こそうなどとは思わないが、それでも――


「かつては……いや、今でも俺はこの国を愛しています。同じく、この国を愛する者の願い、叶える事が出来るのなら……任せてくれ」


「ありがとう。余はあの時、其方に出会う事が出来て本当に良かった……あの時、判断を誤らなくて本当に良かった」


 判断を誤らなくて……か。


「せめて其れが、後悔に変わる事の無いように努めよう」




 ――激しい雨風が窓ガラスを強く叩く、ガタガタと今にも窓が吹き飛んでしまいそうな音が室内に響く。


「精製は……これで十分だな」


 二本のガラス容器の中で揺れる、少量の液体。

 二つの原料から必要な効果のみを抽出、精製した薬剤、後はこの二つの薬剤を同時に投与する際の割合を調べたいところだ。


 恐怖心の抑制と、身体能力の向上、そのどちらに重きを置くかで調合法も大きく変わって来る。

 加えて、同時に投与した時の副作用なども詳しく調べなければ……。


「――順調に進んでいるみたいだな」


 突然響く背後からの声に少々、驚き瞬時に振り返る。

 

「何だ、お前か。……抑制作用と能力向上をもたらす成分だけを抽出し精製、更に濃度を高める事が出来た」


 返答すると、訪問して来た男は満足そうに何度か頷く。

 そんな少し、偉そうな態度のこの人物……此処に来てからこの三か月間、共にこの薬剤の研究をしていた者だ。


 一週間ほど此処へ顔を出さなかったが……。


「シェルズ、暫く顔も見せずに何をしてたんだ?其れに……」


「国議会の打ち合わせでな……正式にこのは俺達、国議会が指揮を執る事になった。これで晴れて、お前さんの上司って事だ」


 嫌味な奴だな……この一言が無ければ、尊敬されるであろう腕の立つ良い薬師なんだが。


「あぁ、実に光栄だ……で、隣に居るそいつは誰だ?」


 振り向いた時からずっと気になっていた見知らぬ人物、質問に対しシェルズは得意げに口角を上げる。


「この計画の被験者として連れて来た。国王からの許可は勿論、本人からの了承も得ている……他にも何人か候補は居たが、特に健康状態の良い彼が、リヴィルが適任だと判断した」


 成程、健康状態が良い……か。

 顔色は問題ないな、体格や肉付きを見る限りでは栄養不足などによる不調も見て取れないな。


 外見の限りでは、正に健康そのもの……これが薬剤の作用にどんな影響を与えるかだが。

 しかし……。


「リヴィルと言ったか?あんたは本当にそれで構わないのか?」


「はい。生まれ育った故郷を……この国を守る事が出来るのなら構いません」


 この国を守る為なら……。

 愛国心……本当にこれで良いのか?


「……そうか」


「じゃあジルベルト、後は頼むぞ」

 

 頼むと言われてもな……別に構わないが。


「あんたはどうするんだ?」


「悪いが、また暫く離れる事になるな。対上陸防衛戦に備えなければならない……実験の日程はお前さんに任せる。報告書を議会本部へ送っておいてくれ」


 対上陸防衛戦……都市部までの侵攻を許してしまうのも時間の問題だな。

 試験から実用までを急がなければ……ならば。


「――今日だ、今日実験を行う。そしてシェルズ、その結果をもってして防衛戦に備えるんだ」

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