【幕間】

【幕間】 歪んだ愛国心 第一話

 足元、地べたを這い回る虫、泥に塗れた小動物。

 時折響くポタポタと雫が落ちる音、鉄柵越しに見える暗い世界が俺の全てだ。


 昼か夜かも分からなければ、最早ここへ来てどれ程の月日が経ったのかすら分からない。

 聞き慣れない音が響く……硬質な足音。


 次第に音が近づく。

 揺らめく炎に照らされ、石壁に人影が映し出される。


「此処までで大丈夫です……後は余が一人で」


 微かに聞こえる話し声、人の声を耳にするのは恐らく数か月ぶりと言った所だろう……一日に何度か、水や食料を運んで来る者は居るが彼等は皆、俺へ声を掛けるどころか視線すら合わせない様に振舞うのが殆どだ。

 まぁ、無理も無いだろう、何故なら……


 更に此方へ近づく足音。

 コツコツと次第に靴の音が迫る、人の息吹を感じる。


 やがて、壁に映し出された影の主が、その姿を現す。


「久しいですね、ジルベルトさん」


 俺の名を口にするその人物……覚えている様な、いない様な、その面影。

 暗がりの中で、しっかりと自信を認識させる為か、鉄柵の外に立つ人物は自分の顔面へ手に持った燭台を近づける。


 ぼんやりと照らされるその顔、その瞳を見るなり、あの日の事が鮮明に蘇る。

 碧色の瞳と金色の瞳の青年。


「随分と立派になられましたね……して、国王様ともあろう、お方がこの薄汚い地下牢にどのようなご用件で?」


 表情を変える事無く青年……いや、ラルフ国王がゆっくりと口を開く。


其方そなたの知識、技術が必要なのです。もし、協力すると言うのならば、国家の転覆を目論んだその罪を不問とする所存です」


「……断ったら?」


「今の、その暮らしを続けて貰うだけです。そのまま命が尽きる迄永遠と」


 へたり込んでいる俺の顔を覗き込む。

 触れてこそいない物の、久方ぶりに感じる人の体温に思わず顔が綻んでしまう。


と変わらない目をしていますね」


 横目に映る青年の表情、僅かにその口角を上げている。

 そして、暫く流れた静寂の時、おもむろに立ち上がり呟く。


「返事は後日で構いません。また数日後に此処へ訪れます、その時には是非」


 去って行く背中、揺れる影と遠ざかる足音。

 次第に其れが聞こえなくなると同時に俺の胸には、感じた事が無い程の虚無感が広がる。

 

「不問たぁ……少し度が過ぎるんじゃないか?」


 静寂に立ち戻った空間へ僅かに響く俺の声……何故だろう、頬を温かい雫が伝う。




 青年の……ラルフ国王の訪問からどれ位の日が経っただろうか。

 これ迄は、ただ息をして出された食事を胃の中へ詰め込むだけだった日々の中に、物思いに耽ると言う時間が出来ていた。


 物思いと言っても、何故今更、国家への反逆を企てた自分への助力を求めたのか?と言うだけの物だった。

 それでも、不思議と思考が巡り続ける中、再び足音が響く。


 何時もの食事を運んで来る者の足音ではない、聞き覚えのある硬質な足音。

 初めて訪れた時と同様、足音の主は鉄柵の向こうから、二色の瞳を此方へ向ける。


「答えを聞きに来ました」


 ただ其れだけを口にする。

 

「何故、俺を頼るんだ?」


「国家存亡の危機だからです」


 間髪入れずに返す言葉からは表し難い緊張感が伝わる。

 しかし、ますます分からない……国家存亡の危機とあるのならば、何故俺の様な大罪人を世に放つのか?。


 更に、そんな人物に助力を乞うなど……。


「国を愛し未来を憂いてくれた其方だからこそ頼んでいます」


 愛国心……か

 さて、どう返したら良い物か?。


 確かに、国を愛して憂いたのは事実だ。

 だが、今更……この国を変えようなどと……。


 ――いや、変えるのでは無いな。

 今度は、持ち得る力の使い方を誤ってはならない。


 静寂を引き裂く。


「良いだろう。協力しよう」


「良い返事が聞けて喜ばしい限りです。……明朝、迎えを此方へ送ります」


「至れり尽くせりだな。久しぶりに人間らしい扱いを受けた気がするよ」


 心の底から漏れたその言葉にラルフは微笑を浮かべる。


「勘違いしないで頂けますか?其方は未だ大罪人の身、その様な者を自由に街を歩かせ混乱を招きたくないだけです。其れにもう十年も経っているんです……街並みも大きく変化していますので」


 時の経過に驚きつつも、やはりその対人間らしい口調に安心感を覚える。


「王様も冗談を言うんだな。同じ様な文言を口にする此処の奴等はもっと顔を強張らせて言うぜ」


「……では明日、また」


 鉄柵に貼り付き、遠ざかる背中を見送る。

 胸が高鳴り、胸が躍る。


 やっと地下牢ここから出られる、そんな喜びよりも自身の技術を覚えていた者が居た事への喜び。

 成し遂げられなかったとは言え、国家転覆の企みは国にとって大きな汚点となる。


 故に歴史、そして人々の記憶からは消し去られる運命だと思っていたが……。

 再び与えられたこの好機……今度こそは正しい方法で、この国の在り方を正そう。




「――おい!起きろ!大罪人め、何時まで寝ている!出発の時間だ」


 誰かの怒号で目が覚める。

 最悪な目覚めだが……何時ぶりだろうか此処に来て初めてと言える程の深い眠りに落ちていた様だ。


 耳に触る嫌な音を響かせながら鉄柵の一部が解放される。


「さっさと出ろ!」


 蔑視の眼差しと共に放たれるあざけるような声。

 未だ大罪人……此奴の言葉はどうも、冗談には聞こえないな。


 凝り固まった体で小さな出入口を何とか潜ろうとすれば、襟を掴まれ半ば強引に柵の外へと放りだされる。


「おいおい、国王陛下直々の解放の命だぞ?少しは丁寧に扱ってくれよ」


「……」


 鉄の仮面に覆われ、表情こそ見えないが苛立ちがひしひしと伝わって来る。

 ゆっくりと剣を引き抜き、切っ先を俺へと突きつける。


「あぁ、分かったよ……」


 階段を上り、十年ぶりに太陽の光を浴びる。

 思わず、その眩しさに目を瞑る……段々と目が慣れ視界にしっかりと移る街並み。


 光を絶たれる前に目にしていた変わらない、その街並み。


「何だ。以前と然程変わってねぇな」


 更に周囲を見渡し、目に入る一台の煌びやかな装飾が施された馬車。


「あの馬車だ。人目の付かぬうちに早く乗れ!」


 だったら、もっと地味な馬車を用意したらどうだ?。

 思わず笑みが溢れる。


「じゃあになったな」


 俺は散々、になった衛兵へ敬意と感謝を込め一言。

 そして馬車へと乗り込む。


「ハハ……国王自らお迎えとは」


「こんな所迄、わざわざ……と?馬車を出して下さい」


 皮肉じみたラルフの返し。

 馬車が動き出す。


 今の発言は少々、不味かったか?


「とんだ不敬を――」


「構いませんよ」


 あぁ、不味かったな……。

 暫くあまり心地よさが感じられない静寂の中で馬車に揺られる。


 そんな最中、突如馬車が停止する。

 何事かと、ラルフは御者ぎょしゃの背後へと繋がる小窓から身を乗り出す。


「どうされましたか?」


「申し訳ありません。『国議会』の方々が街の様子を視察していた様で……横断が終わる迄、少々お待ち下さい」


「分かりました。先を急ぐ訳では有りませんので」


 その後、短い会話を終え座席へと戻るラルフ。

 俺は、考えるよりも先に問い掛ける。


「国議会とは何だ?」


「王政と似て非なる組織です。独自に国民の意見を聞き、政治へと反映させる為のこの国を支える新たな組織です」


 驚愕、そんな言葉が俺の頭の中を埋め尽くす。


「それって……」


「えぇ、そうです。あの後あなたの言葉、思想を元に独自の考え、思想を持つ者を集めこの様な政治組織を立ち上げました」


「ぁ……あぁ」


 返事が上手く言葉に出来ない。

 この思いを、どんな言葉にして返そうかと迷っている内に再び馬車が動き始める。


「そして結果は好調。以前よりも国内の生産量等も上昇の一途を辿っています」


 やはり、俺の考えは間違っていなかった……のか?。


「そうか……そいつは何よりだ」


「貴方の考えは確かに正しい物でした。ですが、暴力に任せ其れ等を行うのはやはり間違っています。……ですが、視点を少し変えれば向かう方向は変わると、貴方は気づかせてくれました」


「あぁ……嬉しい限りだ。しかし余計に分からないな、国内の情勢が安定しているのにも関わらず国家存亡の危機とは?」


 ゆっくりと馬車が停止する。

 厳めしい表情、口調……緊張が奔る。


「戦争です。世界を巻き込んだ大きな戦争が、この国を滅ぼさんとしています」 

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