第三十三話 覚悟
軋みながらゆっくりと開かれる扉、淡く光るランプに照らされる青年の姿。
衣服は酷く乱れ、至る所に赤黒い染みが点々と確認できる。
「久しいね。……取敢えず中へ入ると良い」
「すまないな。邪魔するぞ」
火の焚かれた暖炉、その付近に転がる焼き色の付いた金属製の器具。
薄い朱に染まった水が張られた桶、血濡れの布切れと床に染みる血液の跡。
悲惨、その一言で表す事が出来る様な散らかった室内。
治療の際の光景が目の前に浮かぶようだ……。
「サイディルは?」
「傷は焼いて塞いだよ。その後の処置も出来る限りの事はしたつもりだよ……後は彼の体力次第だろうね。まぁ、熱も下がっているし、呼吸も整っているから、余り心配は要らないと思うよ」
「はぁ……そうか、良かったよ」
安堵のあまり、吐いた溜息と同時に身体から力が抜けていき、無意識のうちに床へとへたり込んでいた。
「溜息なんて……幸せが逃げちまうぜ」
「……仕方ないだろう?張り詰めていた緊張が一気に解れたんだ。お前と違って俺は、殺るか殺られるかの瀬戸際だったんだ」
「お?何だ、皮肉か?……誰のお陰で此処まで来れたと思ってるんだ?」
暫く続いた不毛なやり取り。
そんな俺達を見ながら頬を緩ませるキーンメイク。
「どうした?キーンメイク何かおかしいか?」
俺の問い掛けを聞くとキーンメイクは更にその表情を崩し、口元へと手を運ぶ。
「いやね……前に会った時、君はそんなに表情を表に出すことが無かったからね」
「リアム、お前……本当に暗くて寂しい奴だったんだな」
おい、何だその
「大丈夫、安心しろ。これからは俺が友人になってやるからな……あぁ、悩みは無いか?」
何故、俺は慰められているんだ?そして何なんだ……悩みって。
上げるとするのなら今のこの状況が悩ましいのだが。
「そうか。其れは有難いな」
全力の笑みと共に返したつもりだ。
だが、鏡を見なくとも分かる……俺の顔面に映る表情は確実に引き攣っている。
未だ向けられる憐みの視線。
無くなるどころか、もう一つ増えているのだが……そんな視線を受けながらも暫く談話が続いた。
先刻まで張り詰めていた緊張感との差異のせいか、何時もより口が回る様な気がする。
そんな、束の間のひと時に、本来なら安らぎを覚える筈だが……。
「やっぱり、そうだよな?キーンメイク!お前とは気が合いそうだ」
「そうなんだよ。初めて此処に訪れた時なんか、眉間に皺を寄せた仏頂面で剣を磨いていたからね。しかも終始無言ときた」
「あぁ、分かるぞ!重苦しい空気を換えるのにどれ程苦労した事か」
そう、安らぎどころの話では無い。
本人が目の前に居るのを忘れて無いか?それとお互いに話を盛りすぎだ。
仏頂面は認めるが終始無言は事実無根だろう?。
最早、悪口の域だ。
数秒ごとに精神を斬りつけられる最中、眠気まなこを擦りながら、のそのそと寝床からミーナが顔を出す。
「リアム、何だか楽しそうだね」
口元を綻ばせる。
「起こしてしまって、すまんな」
「ううん。大丈夫」
「サイディルの事、ありがとうな。お前のお陰で助かりそうだ」
ミーナ無言で、少し照れた様子を見せ小さく頷く。
その後、直ぐに綻んだ表情を不安げな面持ちへと一変させる。
「もう、この争いは終わったの?」
「……」
どう返したら良い物か。
争いの終わり……多くの血が流れ、無数の命が失われる凄惨な争いは一先ず終わりを迎えたが……。
「そうだな……争いの終わりに向けて、やっと一歩踏み出したって所だな。俺達の次の目的は新政府の転覆だ……だから今後、お前は……」
「で……でも私は……」
瞳を左右に泳がせながら口籠る。
「それでもリアムと一緒に居たい、だろ?リアム、嬢ちゃんが決めた事だ。止めるなんて事はするなよ?」
「勿論そんなつもりは微塵も無い。だが俺達の成そうしている事は、成功すれば革命、失敗すれば反乱と成り得る事。其れに関わると言う事が、一体どういった事なのかを理解しておいて欲しいだけだ」
革命として成し得た時、理想は打ち砕かれ逆賊の反乱とされた時……各々が負う責任と責務。
そして、ライドがミーナを助け、俺達に助力を求めた事の真意。
華奢な手が小刻みに震える。
拳を硬く握り締め沈黙を破る。
「も、もちろん……王家の生き残りとして先頭に立ち、時にはみんなを率いて……時には進んで死――」
「おっと、嬢ちゃん……その覚悟が有れば十分だ。なぁ?リアム」
「そうだな。だがミーナ、進んで命を投げ出す様な事は絶対に許さない。助けた理由がどうであれ、お前が其れを望まないのなら、自分の気持ちを押し殺す必要は無い」
ミーナの顔に掛かる霧が一気に晴れる。
「未来で後悔しない選択をって事だね」
その言葉を聞くと同時にライドはミーナの前にしゃがみ込み、両肩を力強く叩く。
「そう言う事だ!心配は要らねぇな。……じゃあ、俺はそろそろ行くぞ。まだ色々とやる事が有るんでな」
立ち上がり、扉へと向かうライド。
此方へ小さく手招きをする。
「そうか。街道に出る迄、同道してやる。ミーナ起こして悪かったな、ゆっくり休んでくれ」
冷たい外気、全身に鳥肌が立つ。
「何時から気付いてたんだ?」
「……何の事だ?」
嘲笑を浮かべ鼻を鳴らすライド。
「
「あぁ、じゃあな」
準備とは言ってもな……先ずは身体を万全に戻すのが先だな。
俺も、サイディルも。
気づけば見つめていたライドの背中が見えなくなっている。
そろそろ休むか。
「――随分と早かったね」
「あ、あぁ……途中であいつの仲間が迎えに来てな」
納得した様な、していない様な返事が返しながら、暖炉の方へと向かうキーンメイク。
何やら、作業をし始め数分もしない内に、湯気の立つカップを両手に振り返る。
「すまない、机の上を少し退けてくれるかい?適当で構わないよ」
言葉通り、机の上に散らかる小瓶やら布切れを机の端へと追いやると、カップが置かれる。
椅子に腰を下ろすと同時に、脳内そして口内に渋い思い出が蘇る。
「大丈夫。味は保証するよ」
浮かべる笑みを信じながらも、恐る恐る口を付ける。
中身を口に含めば、余韻の残る芳醇さと仄かな甘みが広がる。
「良い茶葉が手に入ってね」
「あぁ、旨いな」
やっと、安らぎと言う物を実感する。
だが、平静を取り戻した事で、クルダー達に対する少しの不安を覚える。
しかし、サイディルを放って置く訳にも行かない……まぁ、戻った所でクルダーには突き返されるだけだろうな。
「――早く争いが終わると良いね」
「……?」
突な呼び掛け、返す言葉に迷う。
「争いが無くなれば怪我をする人達も少なくなるからね。そうすれば今度は、病気を治す為の薬の研究に没頭できる」
「多くの人を救いたい……か?」
「そうだね。僕の父も薬師でね……病気の治療に使う新たな薬を研究しながら、君達と同じ様に戦っていた。より多くの人を救う為に」
憂いを帯びた表情。
聞くべきでは……無いだろうか?
「……結果……聞いても良いか?」
「叶わなかったよ。父を悪く言うつもりは無いけどね、様々な事に通じて、色々な事が出来て見えてしまうと余計な事まで見えてしまうんだ。だから僕は薬師として、其れだけを只管極めて多くの人々を救おうと思う」
「そうだったのか。じゃあ、お前はお前の、俺達は俺達のやり方で、より多くの命を救えるよう互いに尽力しよう」
出来る事を出来るだけ。
止まる事の許されない俺に出来るのは其れだけだ。
「うん、お互いに力を尽くそう。しかし、やっぱり君と話すのは楽しいね」
先程まで散々な程に悪口が聞こえていたがな。
まぁ、確かに会話を楽しめてるのは否定できないな。
こいつとの会話……いや、誰かと話すのに退屈さを感じなくなったのは……。
そうか、サイディルと出会ってからかも知れないな。
「あぁ、俺もお前と話せて気が楽になったよ」
その言葉に笑顔を浮かべる。
そして、大きな背伸びと、声が出る程の大きな欠伸。
「さて、君も疲れたろう?ゆっくり休むと良いよ」
「そうさせて貰うよ」
椅子を離れ、ミーナの傍らへともたれ、目を瞑る。
数える間も無く、意識は深い所へと落ちて行く。
【二章】 志 完
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