第三十二話 後は頼んだ
「――ガハッ」
溢れ出す大量の鮮血……しかし、地を踏み締める両の足が揺らぐ事は無い。
心臓を外したか……?。
早く止めを……いや、その必要は無さそうだな。
肩を激しく上下に動かしながら、次第に荒くなる呼吸。
膝を折り、地面へと崩れる。
「素晴らしい……」
今にも途絶えそうな、弱々しい吐息。
刃を頸部へ、ゆっくりとあてがう。
「今、楽にしてやる」
刃を掴み、此方へと真っすぐに視線を向ける……まだ、こんな体力が……。
「その必要は無い。理想の為と多くの命を踏み台にして来た……楽に死ねるとは思っていない。代わりと言っては何だが、少し老人の話に付き合ってくれないか?」
楽に死ぬ……何が
信念、罪悪感……俺自身ですら分かっていないんだ、他人の考えなど到底分かる筈も無い。
だが、だからこそ。
「……何だ?」
「私は今、後悔をしている」
「後悔?自分の判断が、己の死と言う結果を招いた事にか?」
「違う……私は、あの遺跡で君と戦った時、君になら託して良いと思った……ゴフッ……ゲホッ」
再び大量の血を吐き出し、地面を朱へと染め上げる。
「ゴホッ……だが、私には其れが出来なかった。あの時に至るまでも、既に多くの命を踏み台にしていた。私は無数の命と屍の山の上に立っていたんだ。故に立ち止まる事は出来ないと……国王の理想よりも己の信念を貫いてしまった」
「確かにそうだな。あの時、俺達に全てを託していたら此処迄、多くの血が流れる事も無かっただろうな」
「ハハッ。痛烈だな」
血に塗れた顔へ苦笑を浮かべる。
「だがな、其れは俺達にも言える事だ。あの場所で唯、否定するのではなく……剣ではなく言葉を交えて歩み寄る事が出来ていたのなら、
「そうか……歩み寄る、か。君が、後ろの彼とそうして来た様にか?」
震える手を何とか持ち上げ、俺の背後を指差す。
示す方向へ視線を向けると其処には、フードを深く被った一人の人物……此方へ近づき、肩を優しく二つほど叩く。
「良くやった……は、少し違うか?まぁ、無事で何よりだリアム」
小さく吐きながら、ゆっくりとイニールドへ歩み寄るその人物。
顔を覗き込む様にしゃがみ、フードを取り払う。
「ライド・ゾンディス……何故、君の様な男が彼等に手を貸した?」
ライドは垂れた前髪を掻き上げ、僅かな笑みを浮かべる。
「何故も何も俺は元々、真実を知る為にエヴェルソルを作った……それに手を貸したんじゃねぇ。手を借りてるんだ」
「手を借りている?其れこそ――」
「其れこそ何でだ?ってか……良いか?俺は質問が多い奴が苦手だ、其れにそいつが老いぼれた爺さんとなると余計だ」
何時も通りの辛辣な言葉にイニールドは、困った様に微笑を見せる。
「先程から、耳が痛い言葉ばかりだな。彼の手を借りたのは、老いた者が苦手だからか?」
イニールドの言葉に鼻を鳴らしながら、ライドは俺の傍へと歩み寄る。
肩へ手を回し、その顔には誇らしげな表情を浮かべる。
「年食った奴が苦手なんじゃねぇ……唯、あんたの考えや生き方に柔軟さが無かった、其れだけの事だ。信念を貫く事が悪い事だとは思わないが、時には己の信念を曲げたとしても、正しいと思える判断をしなければいけない時が有る」
「……!」
沈黙、そしてイニールドは悟りを思わせる、表情を見せる
「コイツには其れが出来ると確信したんだ。だからこそ、俺はコイツ信じ助力を求めたんだ」
「そう……か」
今にも、消えてしまいそうな声で一言返すと地面に倒れ込み、天を仰ぐ。
……もう限界だろう、呼吸は浅く小さい。
満足気に浮かべる微かな笑み、既に死相へと変わりつつある。
俺はそんなイニールドへ近づき傍らへと座り込む。
「どう取り繕っても、俺……そして、あんたがあの時下した判断はこの結果を見れば正しくは無かった……多くの命が散って逝った。だから次は、次こそは必ず正しかったと思える判断を下さなければならない――」
「そう気負う必要は無い。人は人である以上、必ず過ちを犯す……そして其れを悔いる事が出来る。其れに、今の君には正しく導こうと先を往く仲間がいる。今自分の正しいと思える事をすると良い。例え其れが間違っていたとしても
腹から引き出したような力強い声色……そして力強く俺の腕を掴む。
「あー……確かにその通りだがな……今まさに、その仲間が死ぬか生きるかの戦いをしているんだがな」
この男は……まぁ、確かにそうだ。
このまま、悠々と話し続ける訳にも行かない。
敵とは言え、目指した果ては同じ……心苦しいが。
「まぁ、待て。まったく今際の際に在る老人を少しは労わって欲しいものだ」
掴む腕を振り払おうとするも、その言葉と同時に其れを阻止される。
「私が死した時、全ての戦闘行為を止める様に命を下してある」
「そうかい……」
「あぁ……ではライド……そして忠臣よ、後は頼むぞ」
天へ目を見開き、俺の腕を掴むその手からゆっくりと力が抜けていく。
「今世にて役目を終えた命、来世にて再びの遭逢を願わん……地獄でしっかり見てな。ライド行くぞ」
瞼へ手を、そして血に濡れた顔を拭う。
二本の剣を横たわる頭上へ突き刺し、千刃乱れる大道へと歩を進める。
戦場の中心、幾多の刃があらゆる方向から迫る。
それ等、全てを掃い除け、屈強な体躯を俺達の前へ躍らせる。
「兄ちゃん、無事だったか……終わったんだな?」
「あぁ」
未だ迫る無数の刃、全てを跳ね除け、掃い除けクルダーは声を上げる。
「よく聞け。お前さん等の大将はどうやら、敗れたみたいだぜ」
その言葉と同時に、迫り来る兵達は剣を槍を斧を……その手に持つ全ての武器を収める。
戦の終結。
鋼のぶつかり合う音、爆発音と怒号と悲鳴。
全てが已み、辺りは異様な静寂に包まれる。
その光景に怪訝そうな表情を見せるクルダー。
「やけに諦めが良いな」
「アイツが仕込んでいた様だ……最後の最後で借りを作ってしまった様だ」
「あぁ、有り難いと言いたい所だが……どちらにせよ、これ以上の戦闘は無駄な程に、お互いに被害を出してしまった。勝利……などと喜べる状況ではないな」
そう言う通りだ、無駄な程に……いや、この戦いに意味を作るのは俺達の役目だ。
失われた命に価値を、意味を与えるのが生き残った者の使命だ。
そして今ある命も……。
「クルダー、生き残った者は全員、手当てをしてやるぞ。敵だ味方だと言っていられる様な状況じゃない――」
「おい、兄ちゃん!お前はそんな事している場合じゃ無いだろう?早く支部長の所へ向かうんだ」
突として上げた、物々しい口調での声。
立ち込めた重い空気、ライドが俺へ視線を向ける。
「おいおい、何が有った?」
「サイディルが重傷なんだ……左腕が斬り落とされた」
唇を噛み締め、帰って来る返事は声にならない様な細く、小さな呟き。
「リアム、生きているんだろう?」
「あぁ……少なくとも此処を離れる迄は」
「直ぐに向かうぞ。クルダーこの場は任せていいか?」
今にも走り出そうと、ライドは俺の腕を掴む。
「あぁ、構わない……それに、手は貸せないんだろ?」
「何だ?皮肉か?」
「いや、何も出来ないんじゃ心苦しいだろ?……兄ちゃんの事、頼むぞ」
「確かにな……じゃあ、リアム行くぞ!」
体力の限界なんだ……二人とも肝を冷たくさせる様な事を言わないでくれ。
何はともあれ、この場をクルダーが収めてくれるのであれば、心置きなくサイディルの下へ迎える。
俺は一言、頼むとクルダーへ投げ門へと駆ける。
色とりどりの木々が揺れる極彩の森、吹き抜ける風が葉擦れの音を響かせる。
「リアム、何故すぐに手当てをしなかった?レイラもいた筈だが……」
「勿論そうしたかった……だが、負傷者が多く薬が不足していたんだ。自分の怪我なんかより他の者の手当てに使う様にと拒んだんだ」
「そうか。並の人間が出来る事じゃねぇな」
「あいつは、そう言う奴だ」
そう、次へ繋げる為に必要なら自分の命を代償とする事すら厭わない。
自分の命と仲間の命を天秤に掛けてしまう……。
「人の気持ちも知らないで……」
既に陽が落ち、闇に染まる森の中に現れる、ぼんやりと灯る明かり。
寂れた小屋、年季の入った扉を叩く。
「キーンメイク、居るか?リアムだ」
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