第三十一話 約束を果たす時


「――ツッ」


 長髪を後ろになびかせ、突如として飛び込んで来た乱入者、大量の血飛沫を撒き散らしながら、その場へ倒れ込む。

 

「クソ……」


 この一瞬を逃すな……奴はまだ、状況を理解できていない。

 迷っている暇は無い。


 俺は即座に、体勢を持ち直し、イニールドとの距離を一気に詰める。

 渾身の力を込めた一撃……だが、相手の反応速度も凄まじい。


 自身の足元に転がる乱入者の身体を蹴り飛ばし、すぐさま俺の斬撃に反応する。

 振り下ろした刃は、二本の剣で受け止められる。


 しかし、イニールドはその体制を完全に立て直すことは出来ていない……それでも、このまま力で押し切る事は恐らく不可能。

 ならば……。


 両手で握った柄……片手を離し、外套の裏地へその手を伸ばす。

 力が半減し、次第に押し戻される刃。


 外套へ伸ばした手で衣嚢を探り、忍ばせて置いた木片を掴む。

 押し戻される刃が、僅かに皮膚を裂く……イニールドが不気味に口角を上げる。


「爺さん……油断しすぎだ」


 俺は取り出した木片を顔面へ目掛け、突き刺す様に振り翳す。

 瞬時に顔を逸らし、回避を試みているが……力任せに翳した木片は、イニールドの眼球を抉る。


「ぐうぅ……」


 呻き、よろめく。

 今なら、止めを刺せる……だが。


「サイディル!生きてるか?」


「……だから言ったじゃないか……相手が視界から外れない様にって」


 座り込む地面には大きな血だまり、肘から先を斬り飛ばされた左腕を抑えながらも、うっすらと笑みを浮かべる。

 

「説教が出来るなら十分だ!」


 俺は直ぐにサイディルを担ぎ上げ、壁下へ降りる階段を目指す。


「何をしているんだ?何故止めを刺さない?」


「いいから、少し黙っててくれ。死んじまうぞ」


 荒い呼吸、伝わる鼓動の度にドクドクと溢れ続ける大量の血液。

 早く止血しなければ、本当に……。


「少し揺れるぞ」


 呼びかけに帰って来るのは、今にも消えそうな、か細く弱々しい掠れた声。

 階段を駆け下りる最中、視界に飛び込む数人の兵。


 此方へ向かって来る……。


「不味いな」


 上へ戻ればイニールドと対峙する事になる、しかしこのまま降りても数名に囲まれる事となる。

 ……奴の相手をするより数倍マシだな。


 俺は足を止める事無く、階段を駆け下りる。


「まぁ、そうだよな」


 壁を背に、取り囲まれる。

 どう切り抜けるか……。


「怪我人を抱えてるんだ。通して貰えると有難いんだがな」


 構えられた刃が、ジリジリと此方へ迫る。




 

 ――瞬きの合間、一瞬の出来事だった。


 噴き上がる深紅の飛沫、立ちはだかる者達は地に伏す。

 身体を失った頭部が足元へ転がる。


「兄ちゃん、大丈夫か?」


「リアムさん!サイディルさんを直ぐに診せて下さい」


「すまない、クルダー助かった。……レイラ、サイディルの状態はどうだ?」


 余裕が消え失せた表情、釈然としない口調。

 明らかな物々しい雰囲気が、一気に辺りを包み込む。


「……止血は出来ますが……負傷者が多く、殆ど薬が残っていません。今、この場を凌ぐことは出来ますが……」


「レイラ、薬は他も者に使いなさい……私は」


 ――足音が響く。

 金属を地面に小さく打ち付ける足音が。


「そんな状態でも他人の心配とは……まったく、君らしいな」


 絶望、そんな言葉が頭をよぎる。

 そんな不安を裏切る様に、徐々に此方へ迫るイニールドは襲い掛かる素振りを一切見せない。


「そう言う、貴方こそ……何も言わずに背後から私達を切り捨てる事も出来たじゃないですか。其れで全てが終わると言うのに何故です?」


「ハハハ。確かにその通りだ!だが、彼とは真正面から決着を付けたくてね……誰かと刃を交える事に、これ程までに高揚したのは初めてだ」


 イニールドは此方へ狂気じみた笑みを向ける。

 何れにしても、今此処で決着を……せめて足止めでも出来なければ、サイディルは……。


「……その心遣い、無碍にする訳には行かないな。あんたの思う存分、付き合ってやる」


 だが、短剣と長剣の二本でやっと対等に渡り合えた。

 今の俺の手元には、長剣と……この木片……。


 いや、を貰った時の約束を果たして貰おうか。

 俺は、手に持った木片を……いや、小さな木剣をサイディルへ放る。


「これは……一体……」


 一瞬、戸惑いの表情を見せるサイディル。

 朦朧とした意識の為か、それとも自身の手元に転がって来たを見る為か、細めていた目を見開きながら笑みを此方へ向ける。


「忘れた訳じゃ無いだろうな?約束だ……早くそいつを寄越せ」


「ハハ。忘れる訳無いじゃないか!随分と大きくなったね……その代わりに少し可愛げが無くなってしまった様だけど。さぁ、存分に振るうと良いよ今の君なら大丈夫だ」


 差し出された長剣を剣帯へ差し込む

 十数年越しに果たされたこの約束、何故か目頭が熱くなる。


「……クルダー、サイディルをキーンメイクの所へ……魔族やエヴェルソルの脅威が無い今、極彩の森はただの森と変わらない。付き添いはミーナで全く問題無いだろう」


「……分かった」


 俺の頼みにクルダーは、憂わし気な表情を見せ、絞り出す様な声で答える。

 そして、とうとう立っているのも、やっとなサイディルをゆっくりと担ぎ上げ、背を向ける。


「死ぬなよ、兄ちゃん」


「あぁ、必ず戻る」


 幾度目だろうか?イニールドとの相対。

 柄を握る手に、力が入る。


「リアム!……待っているよ」


 何が理由か……高鳴る鼓動を掻き消す様な声が背後から響く。

 俺の返答は、小さな頷き一つ。


 足音が段々と遠ざかる。


「随分と待たせてしまったな」


「なに……待ち焦がれる時間が長ければ、長い程に其れを手にした時、より気持ちは高まる物だ。さて、そろそろ始めるとしようか」


 血に塗れた、顔の前に二本の剣を構える。

 それに呼応するかの如く、俺の手は自然と腰に差した、もう一本の……サイディルの長剣を引き抜く。


「イニールド、これで終わりにしよう」


 眼前に剣を構える。

 その直後、地面を掘り返す程の踏み込み……イニールドは迅雷を思わせる様な速度で此方へ迫る。


 切り倒される丸太を受け止めるかの様に重く、強烈な一撃。

 受け止める、二本の剣がギリギリと音を立てる。


 先程まで、見えていた僅かな体力の消耗、穿った眼球……それ等全てを無に帰した様な殺気、闘気、覇気が伝わる。

 だが、この一撃が此方に届くまでに辿った軌道、確実に狙えたであろう脳天を……即ち、急所を大きく外れている。


 加えて、俺とイニールドの間に開くこの空間。

 此方としては踏み込みの余地がある分、有り難いが最大限の力を剣撃に乗せ、其れを相手に伝えるのであれば、今立っている位置から更に一歩踏み込んだ位置から剣撃を放つのが最適だ。


 考えられる理由は一つ……潰れた片目だ。

 俺自身も苦労したものだ。


 自身と対象物との距離感や位置のズレ、離れた場所から一気に距離を詰め、斬り込むのならば余計だ。

 そして、其れを利用すれば確実に勝機は此方に有る。


 決して、視界からイニールドの姿を外すことなく、最大限に撹乱し確実な一撃を叩きこむ。

 奴が、視界の違和感に気付き、感覚を取り戻す前に、何とか隙を見出し決着を着ける。


「どうした?忠臣よ……こんな攻撃も弾き返せないとは……体力の限界か?」


「老いぼれと一緒にするなよ」


 先ずは、この剣撃を何とかしなければ……少しでも力加減を誤れば、間違いなく凶刃の餌食となる。

 僅かに、剣を傾け接する刃を地面へ流す。


 勢い良く地に叩き付けられた刃が砂煙を立てる。

 其れに紛れて飛びだす、刹那の斬撃……後ろへ飛び避け、更にそのまま数歩、後方へ。


 これで完全に間合いの外側だ。

 此処から、一気に踏み込み懐へ飛び込む。


 体重を乗せた重い攻撃は必要無い……重要なのは手数だ。

 只管、速くそして多くの剣撃を浴びせ続ける。


 手を止めるな、足を動かせ、常に視界に留めるんだ……只管、手数で翻弄しろ。

 反撃は躱す事を控え、受け流すことで感覚を取り戻す迄の時間を僅かでも稼ぐ。


「軽い!軽すぎるぞ。命どころか、髪の一本刈り取る事も出来んぞ」


「そうかい……」


 それで良い、まだ間合いの詰め方も不安定だ。

 二本の剣で攻守を同時に……動作の隙を予備動作で補うんだ。


 精密に無駄なく、確実に捌く……あの、流麗な剣舞の様に――

 刃を弾き返し、後ろへ半歩……僅かに間合いを外れる。



 ――二本の剣が振り上げられる……此処だ。



 片手で、頭上へ迫る刃へ備えつつ、もう一方の剣で狙うは腋下。

 長身の剣、横方向への突き……体重を乗せづらい体制だが、この永遠にも感じる隙。


 力を込め、確実な一撃を放つには十分すぎる。

 身体の可動部を守る、鎖帷子を貫き、刺し込んだ刃が身体の逆側面から鮮血と共に切っ先を露わにする。 

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