【幕間】 歪んだ愛国心 第三話

「ったく、随分と急だな……俺は別に構わないがリヴィル、お前はどうなんだ?」


「自分も其れで問題ありません。一刻も早く実戦で運用できる様にするべきだと思います」


「だがジルベルト、実験すると言っても薬剤の効果をどうやって調べる?……俺達で襲い掛かるか?」


 実験方法……そう、この計画を始めてからずっと気掛かりだったのが薬剤の効果をどう確かめるかだ。

 恐怖心を抑制する作用を試すには、恐らく実際の戦場でないと意味が無い。


 命を奪い合う際に生じる本物の殺気を再現する事が出来ない、そして何より研究段階の薬を実験の為とは言え同時投与するのは危険が大きすぎる。

 其れに『恐怖心』だが、圧倒的な戦力差から生まれているものだとすれば、その戦力差を減らす事で恐らく抑制出来る。


 そうなれば二つの薬剤を投与する必要は無くなる……だから。


「先ずは身体能力を向上させる、この薬剤の実験をする。大幅な身体能力の向上によって戦力差を埋める事が出来れば、恐らく抱く恐怖心も和らげる事が出来るだろう」


「成程な……確かに身体の能力ならこの場で確かめられない事も無いな」


「じゃあリヴィル、本当に良いんだな?……返事を変えるつもりが無いのなら、其処の椅子へ掛けてくれ」


 リヴィルは迷いは無いと言わんばかりに、俺が指差した椅子へと歩み寄り、無言のまま其処へ腰をゆっくりと落とす。


「袖を捲ってくれ」


 机上に置かれた注射器、液体の入ったガラス容器を手に取り、少量の薬剤を注射器で吸い出す。

 針を腕に深く刺し込み、押子にあてがった指先に力を入れ薬を注入する……室内に異様な緊張感が奔る。



 ――一つの大きな雷鳴。

 窓ガラスが飛散し、部屋の中へ突風が吹き込む。


 机の上の瓶や器具が周囲へ散乱する。


「――痛っ」


 吹き抜けた風に煽られ床に尻を着いているリヴィル。


「大丈夫か?」


 差し伸べた腕を掴む手のひらからは紅い雫が滴る。

 見た所、傷は深くは無さそうだな。


「瓶を割ってしまった様で……」


 リヴィルが座り込む床には、粉々になったガラス片と何かの液体が浸透した様な小さな染み。

 薬剤の小瓶は?と心配になり机へ目を向けるも、幸い元の場所から動いていない。


 と、なると……。


「材料として置いておいた熊の胆汁か何かだろう。恐らく問題は無い筈だ……シェルズ、リヴィルの手当てを頼む。片付けは俺が済ませておく」


 二つの薬瓶を鍵付きの木箱へ仕舞い、飛散したガラス片を箒で掃きまとめる。

 さて、窓はどうするか……このまま吹きさらしと言う訳にも行かないしな。


 辺りへ目を配ると、丁度いい大きさの木の板が立て掛けてある。

 窓枠へ木板を立て掛け、適当な重石で支える……こんな所か。


「リヴィル、身体の様子は?」


「少しむず痒い様な感覚が……」


「薬剤の効果が表れ始めているのかも知れないな。身体能力がどれ程、向上したか確かめるか……シェルズ、何処か広い場所は有るか?」


「あぁ、其れなら大広間が空いてる筈だ」


 シェルズはそう言うと扉へ手を掛け、付いてこいと手招きをする。

 案内され辿り着いた広々とした空間、豪華絢爛な装飾が施された舞踏会場の様なその一室。


「さて、どうやって確かめる?」


「そうだな……先ずは脚力だ。これだけ広ければ走力や跳躍力くらいは確かめられるだろう」


「では、一先ず端まで走りましょうか?」


 端まで……この距離なら普通の人間であれば十数秒程だろうな。


「そうだな。良しと言ったら端まで全力で駆けてくれ」


 だだっ広い空間に緊張が奔る。

 遂に成果がこの目に映る瞬間。


「――良し」


 瞬き一つの間の出来事だった。

 風圧で髪が掻き上げられたと思った瞬間には端の壁までリヴィルが辿り着いている……其れは正に一瞬の出来事。


「凄まじいな」


 傍らのシェルズが呆気に取られた様子でポツリと呟く。

 しかし、本当にその通りだ……凄まじい、その一言に尽きる。


 正直な所、せいぜい数割程度の向上だと思っていたが……恐らくこの能力だけでも大幅な戦力増強に繋がるに違いない。


「おーい、こっちへ戻って来い」


 放った声が空間に反響すると同時にリヴィルが此方へ辿り着く、そんな状況に恐怖すら覚える。


「どうだ?」


「何と言うか……全身に力が湧き上がって来る様な感覚ですね」


 自身の身体をさすりながらリヴィルは、自分ですら理解できないと言った様な表情を見せる。

 

「他に何か感じないか?違和感とか……何でも良い。なるべく詳しく知りたいんだ」


 俺とリヴィルの間に割って入る様に、少々興奮した様子でシェルズが質問を投げ続ける。

 困惑気味なリヴィルを気にする様子も見せずに、些か狂気の様な物を感じさせる瞳をギラつかせながら熱心に手帳へ控え書きをしている。


「と、特に異常は有りません」


「シェルズ、そろそろ次も試したい……リヴィル、次は跳躍を試してみるか?」


「は、はい……では」


 半ば強引にシェルズを引き剝がすとリヴィルは深く腰を落とす。

 又も、其れは一瞬の出来事だった。


 石英の床材が砕けると同時に、目の前から姿を消す。

 天井から吊り下がる照明が揺れ、幾つかの連なったガラス玉が床に叩き付けられ砕け散る。


 揺れ動く照明に目を向けると、其処にぶら下がったリヴィルの姿。

 四階層ある屋敷の吹き抜けだぞ……。


「もう良いぞ。降りて来てくれ」


 要求と同時に手を離し降下したリヴィルは造作も無く着地をして見せる。

 だが、その直後様子が急変する。


 床にうずくまり全身を掻き毟る。

 容態を訪ねるも、返って来るのは言葉にならない呻き声。


 そして自分の目を疑った……次第に全身の筋肉が隆起し始め衣服が裂け、露わになった体を覆う真っ白な体毛。

 その姿はまるで熊の様だ。


「おい、ジルベルト……これはどう言う事だ?」


「分からない。一先ず実験は中止だ……」

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