第十話 束の間の休息

 ミーナに手を引かれ居住地区に構える立派な建物へ到着する。

 セラフィアの女将、そしてミーナが共に住まう家屋だ。


「さぁ、入って入って!」


 扉を開け此方へ振り返りながら嬉し気に、入室を促される。


「……邪魔するぞ」


「はい、いらっしゃい!お着換えとか準備して来るから適当にくつろいでてね」


 バタバタと足音を立てながら上階へと駆け上がって行く。

 俺は目についた適当な椅子へと腰を掛けミーナを待つことにした。


 非常に上階が騒がしい……ああでもない、こうでもないと独り言すら聞こえてくる始末。

 暫しその声に耳を傾け待っていると、再び大きな足音を立てながらミーナが駆け下りてくる。


「お待たせっ!……はい、これがリアムの分ね」


 先程までの給仕用の装いとは、打って変わって簡素な衣装で降りて来たミーナはそう言いながら短弓と矢筒を差し出す。

 何気なく受け取った短弓を見つめ俺は少々、驚いた。


「珍しい構造造りだな……」


 つい、驚きがそのまま口から放たれる。


「ん?……あぁそれね、鍛冶屋の人に作ってもらったんだけど……私じゃ重くて引けなくて……」


 ぶつぶつと何処か恥ずかしそうに呟く。


「木材で……薄い金属を挟んでいるのか?……なるほど、複合弓って奴か……良いのか?使わせてもらって」


「うん!もし気に入ったらリアムにプレゼントするよ……あと、これ腕当てね……これも忘れないでね」


 思い出した様に幾つか荷物を差し出し、早くしろと言わんばかりにそわそわしている。

 俺は手早く受け取った物等を身に着ける。


「準備できたぞ、行くか?」


「行こう、行こう!」


 大門を抜け、北へ一時間程も歩かない間に太陽の光も遮る様な鬱蒼うっそうとした森へと到着する。

 目前に伸びる獣道へ足を踏み入れ、少し歩いた所で早速、道脇の草陰で何かが動くのを感じる――


 前を歩くミーナはそれに気づき素早く其方へ矢を放つ。

 それとほぼ同時に小さな鳴き声が耳に入る。


 生い茂る草木など気にも留めずに、矢を放った先へと向かったミーナは何かを抱え戻り、それを自慢げな表情で此方へ掲げる。


「兎か……相変わらず、良い腕をしてるな」


 彼女の弓の腕は正にと言える程の物だ、そして俺の弓の技術も共に何度か狩猟に出掛ける中で身につけたものでもある。


「幸先が良さそうだね!」


 嬉しそうにミーナが答える。

 そして再び獣道に沿って森の奥へと進んで行くと少し拓け、強い日差しが差し込む小さな池へと辿り着く。


「ねぇ、あれ」


 池の端を、指さしながら小声で呟く。

 指がさす方には数匹の鴨が悠然と水面を泳いでいる……矢を番え弦を弾き、狙いを定めるが、太陽光が水面に乱反射し上手く狙いが定まらない。


「ミーナ、これを投げてくれるか?」


 鴨が泳ぐ方向を指さしながら、拾い上げた石を手渡すとミーナは察した様に頷く。

 俺は再び弓を構え……。


 引き絞るのと同時に視線で合図を送る。

 大きく振りかぶりながら思いっきり投げ放たれた石は、弧を描き水面へと落ちる。


 上がる水しぶきと同時に飛び立つ、鴨へ目掛け矢を放つ――

 飛び立つ一羽を捉え地面へと降下する。俺はすぐさま、もう一本矢を番え軽く引いた状態から放つ。


「すごい!二羽も取れるなんて!」


 二本目の矢もどうやら獲物を捕らえていた様だ。

 ミーナは碧色の瞳を輝かせ手を鳴らしている。


「……これ使いやすいな」


「本当?じゃあ、それはリアムにあげるね!……さぁ、行こう行こう!」


 またもや強引に腕を引かれ、獲物の回収に向かう。


「香草に漬けてロースト……葡萄酒の煮込み……んー、迷うな……」


 調理方法だろうか、ぶつぶつと呟くミーナを横目に獲物の処理を行う。

 そんな最中、足元にを見つける。


 足元の湿った地面には二つに分かれた蹄の跡がある、それは池を背に森の方へと続いていた。


「ミーナ、これを見てみろ」


「……蹄?何だろう……鹿かな?森の方に向かってるね」


 興味津々に観察しているミーナをよそに周りを見渡し散策する。

 蹄の続く方には皮が剥がれた木が立っている、何かを擦り付け剥がれた様な跡……爪?だとすれば少々、大きすぎる様な気がする。


 ミーナの所へ戻り先程の木を見せる。


「爪研ぎ?それとも角かな?……まだ近くに居るかな?」


「追ってみるか?」


「うん!」


 釘付けになっているミーナに問いかけると、弾ける様な明るい声で答える。

 そうして蹄の主を求め再び獣道を辿り森の中へと足を踏み入れる。


 森の深部へと近づくにつれ段々と険しくなる道のり……最早、道とも言えない木々の間隙かんげきを掻い潜り更に進む。

 次第に早まる鼓動を感じながら足を進めていると再び、少し開けた土地が目の前に広がっている。


「リアム……これ」


 開けた景色を目の前にミーナがしゃがみ込み、地面を見つめ俺を呼び止める。

 ミーナの見つめる地面を同様に注視すると、其処には黒く丸みを帯びた何かが転がっていた。


「……なんだ?鹿の糞か何かか?」


 以前にも何度か鹿を狩った際に、見たものと類似していた。

 恐らく排泄物であろう、それはまだどこか生々しさを残している。


「近くに居るかもしれないな……」


 ミーナにそう呟いた矢先、近くの草むらからゆっくりと獲物それが姿を現す


「雄鹿だ……でかいな」


 大きな体に立派な角を有する鹿はまだ此方に気づいていない。

 未だ隣にしゃがみ込むミーナと目を合わせ、ゆっくりと矢筒の中の一本を取り出す。


 音に敏感である為、警戒されない様にゆっくりと矢を番え引き絞り狙いを定める。


「あっ――」


 ――パキッ


 傍らで立ち上がろうとしたミーナの足元から音が響く……それに気づき鹿は、瞬時に走り出す。

 俺は咄嗟に其方へ目掛け矢を放つが……足に命中し少々、体勢を崩すがその動きを止めることなく瞬く間に姿を消してしまった。


「……ごめん」


「気にするな……さて、追うぞ」


 悲しそうな表情を浮かべながらぽつりと呟くミーナに少し微笑みかけると、再び明るい表情を見せ大きく頷く。


「大丈夫、相手は手負いだ……それに血痕これを追って行けば直ぐに追いつくだろう」


 ミーナに声を掛け、鹿が血痕を残しながら掻き分け進んで行った草むらへと踏み込む。


「狩りの獲物を、手負いで走らせたり興奮させるとお肉の味が落ちるって……」


 獲物を追う最中、突然ミーナがそんな事を呟く。

 何処か食い意地を張った様な言葉に思わず笑みが零れる。


「……ハハッ、お前は食べる事しか考えて無いのか?」


「ち、違うよ……折角食べて貰うなら美味しい物を食べて貰いたいし……」


 からかう様な言葉を投げると少し顔を赤く染めぶつぶつと答える、そんな会話繰り広げている間に程なくして獲物に追いつく。

 大木の陰に座り込み、大きく腹部を伸縮させている、首を頻りしきりに動かし周囲を警戒している様だ。


「俺が木の陰から誘い出すから、お前は出てきた所を狙ってくれ」


 小さく頷いたミーナと別れ俺は、獲物の背後へと向かうい、音を立てない様に慎重に木々の間隙かんげきを縫ってゆっくりと近づく。

 衣擦れの音で気づかれるのではないかと言う辺り迄、辿り着き勢い良く木陰から飛び出す。


 草木が激しく揺れる音と突如現れた人影に驚き、瞬時に立ち上がり大木の陰から走り出す。

 走り出したと同時にミーナが構えていた弓から矢が放たれる。

 

 そして続けざま、更に一本の矢が空を裂きまるで獲物に吸い込まれるかの如く一直線に――

 そんな言葉が妥当だろう……放たれた二本の矢は頭部の、ほぼ同位置を捉え……走り出した勢いのままに倒れ込む。


「やったー!」


 森の中を突き抜ける様に大きな声が辺りに響き渡る。

 獲物に駆け寄り、傍で飛び跳ねるミーナの元へ向かう。


「流石だな……到底、真似できないな」


 満面の笑みで喜びを顕にする


「えへへ、凄いでしょ!……それにしても大きいね……」


 改めて間近で見る大柄な雄鹿に二人で驚愕していた。

 余りの大きさにどう持ち帰ろうか悩むほどの巨体である。


「そうだな……一先ず、解体するか」


 地面に倒れ込む巨体を、どうにか二人掛かりで縄で括り立ち木に吊り下げる。

 出発前に受け取った大柄な剣鉈を取り出し、首へ深く突き刺すと瞬く間に地面を赤く染め上げる。


 その状態から少し間を置き続いて、腹の中心辺りを剣鉈で割く――

 そうして夢中になって二人で作業している間、既に日が傾き辺りに黄昏が降り始める。


「ふぅ……やっと終わったな……」


「日が落ちる前に此処から出ないとね」


 周囲に散らかる道具を片付け解体した獲物をまとめ背負い込みその場を後にする。

 先刻辿った道なき道に沿い森の外を目指す。


 次第に灯りが無ければ心許ない程に辺りが闇に染まり始め、昼間とは打って変わって飛び立つ鳥の羽音、草陰から覗く動物の陰全てに何処か不気味さを感じ思わず外を目指す足の動きが早くなる。

 足早に歩を進める中、後ろに続くミーナが俺の左手を強く握る


「……もう少しだぞ」


「うん……」


 不安げな声で答えるミーナの手は少し震えている。

 そうしてミーナの手を引きながら幾らか進む内に出口へと辿り着く。


 森を抜けると恥ずかしそうに手を放し再びリングランデ《都市》へ向け歩き始める。

 都市へ到着する頃、辺りは既に黄昏の薄闇は夜に染まっていた。


 俺たちはそのままの足でセラフィアへと向かう。


「――ただいま戻りましたー!」


 勢い良く扉を開けるなり店内に声を響かせる。

 大荷物を抱える俺たちを目にすると店内は客達の声で騒々しくなる、それを聞くなりミーナは今日の出来事を自慢げに語り始める。


「……ミーナ……荷物、預かるぞ」


 獲物やら何やらを預かり、足早に俺は厨房へと向かう。


「……すまないな、女将……店の中を騒がしくしてしまって」


「構わないよ!……あの娘が楽しんでくれてるならねぇ……所であんた、獲物それどうするんだい?」


 俺は狩りの途中にミーナが調理方法について楽しそうに悩んでいた事を伝える・


「そうかい……この時期だから、直ぐに傷むこともないだろからね……地下の保管庫に入れておいてくれるかい?……多分あの調子じゃ、乗せられて酒でも飲んで寝ちまうだろうからね。あんたも獲物それ片付けたら、此処の使って良いから湯浴みでもしてきな!」


 女将に言われるままに獲って来た獲物を保管庫へ仕舞い、店の裏側にある浴場へと向かった。

 服を脱ぎ捨て胸部を締め付ける固定帯を取り去り、桶に水を汲み頭から被りそして湯気の立つ浴槽へ浸かる。


 疲労した体から更に力が抜ける感覚がする。

 夜の静けさの中、遠くから響く喧騒。


「ふぅ……」


 小さく息が零れる。

 雲一つなく広がる星空を見上げながら暫く呆ける……次第に体の火照りと鼓動の早まりを感じる、少し歪んだ視界に耐えながら浴槽を後にする。


 冷えた外気がとても気持ちいい、地面から足が離れた様な感覚すらも心地よく感じる。

 そんな余韻を感じながら浴場を後すると、脱ぎ捨てた服はきれいに片づけられ、新しい服と麻布あさぬのが用意されていた。


 身体を麻布あさぬので拭い、再び煩わしい固定帯を付け用意されていた服を着用し、店内そして厨房へと向かった。

 手慣れた様子で、山積みの食器を次々に洗う女将の傍らで、椅子へ腰かけながら調理台にミーナが突っ伏している。


「女将、服……ありがとうございます」


「気にしなくていいんだよ……まったく、この娘は……案の定だね」


 ミーナの方へ微笑みかけながら呟く


「悪いんだけど、二階の寝床に運んでやってくれるかい?」


 俺は頷き返しながら、ミーナを抱き抱え二階へ向かった。

 ゆっくりと寝床へ下ろし、布団を掛け立ち去ろうとするが……強く腕を掴まれる。


「……ん」


 掴む手を外そうとすると小さく声を上げる。


「……はぁ」


 無理に放し起こしてしまうのも、心苦しいので仕方なく寝床へ腰を掛ける。

 静かな部屋の中に小さな寝息だけが耳に届く……少しずつ睡魔に襲われ始め、そのまま腰を掛けた寝床へ倒れ込む――

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