第7話

翌日の朝、シーンはラウルの執務室へと移る。部屋は書類や書籍で埋め尽くされており、ラウルはその中で事務仕事に没頭していた。彼の顔は集中の表情で、手元の書類に目を通しながら何かを考え込んでいる様子だった。


 ラウルは仕事をしながら心の中で思案を巡らせていた。


「軍事力の強化とは一体どうしようというのだ。我が国の兵の練度は四つの王国の中でも上位に入るはず。今以上に練兵を行うことなど出来ようはずがない。一体、奴は何を考えているんだ・・・・」


 その時、扉をノックする音が響いた。ラウルは思考を中断し、言った。


「入れ」


 扉が開き、ミシェーラが入ってきた。彼女の表情は穏やかで、兄が忙しく働いている様子をやさしく見つめていた。


 執務室の雰囲気は、ラウルの深い思考とミシェーラの静かな存在感で満たされていた。ラウルはミシェーラの到着を受けて、一時的にでも仕事から離れることになった。


 ラウルは、ミシェーラに向けて問いかけた。


「その後、輝弥の様子はどうだ?」


 ミシェーラはもじもじしながら答えた。


「い、いつもと変わらぬ様子でございます、お兄様」


 彼女の声は不安定で、何かを隠しているかのような緊張を含んでいた。


「ん?」


 ラウルは彼女をじっと見つめた。ミシェーラはその視線に耐えられず、目を逸らした。


「もう一度聞こう。その後、輝弥の様子はどうだ?」


 ラウルは彼女に協調を求めながらも、厳しい口調で聞き直した。


 ミシェーラは狼狽しながら答えた。


「い、いつもと変わらぬ様子で・・・・」


「いつもと変わらずとはどういうことだ。あやつがまともであった事など・・・・」


 ラウルは言葉を途中で切り、何かに気づいたようだった。彼の表情には、突然の洞察が浮かんでいた。


 いつもと変わらずだと・・・・


 ラウルは突然の洞察によって勢いよく椅子から立ち上がった。彼の動きは急で、決意に満ちていた。足早に執務室を出ようとしながら、彼はミシェーラに向けて声を上げた。


「奴の部屋に行くぞ」


 彼の声には緊迫した感情がこもっており、扉を開けて輝弥の部屋へ向かう彼の姿には急ぎの意志が感じられた。


 その時、ミシェーラが言い訳じみた口調で言った。


「お兄様、ですからいつもと変わらぬ様子と・・・・」


 しかし、ラウルは彼女の言葉を無視し、一心に歩き続けた。彼の心は輝弥の行動に対する疑問でいっぱいであり、その疑念を解消するために急いでいた。


 ミシェーラは少し戸惑いながらも、兄の後を追った。彼女はラウルの急な行動についていこうとするが、その表情には不安と困惑が交じっていた。


 ラウルの歩みは速く、彼の心は輝弥に対する疑問を解決するために焦っていた。演習場での出来事から一夜明け、新たな動きが始まっていた。


 ラウルは輝弥の部屋へと急ぎ足で向かっていた。彼の心は、何度目かの訪問に備えて覚悟を決めていた。自身に誓いを立てながら、心の中で繰り返していた。


「何があろうと動揺はすまい」


 輝弥の部屋の扉に到着すると、彼は一瞬深呼吸をし、その後、扉を勢いよく開けた。部屋に入るその瞬間、彼の顔には心の準備を整えた決意が浮かんでいた。


 しかし、部屋の中を見た瞬間、ラウルは唖然とした。部屋の様子は彼の予想をはるかに超えたものだった。


 彼の目に飛び込んできたのは、驚くべき砂浜の光景だった。彼が立っていたのは、白い砂が広がる、どこまでも続く砂浜だった。その白さは、太陽の光を反射して眩しいほど輝いていた。


 目の前に広がるエメラルドブルーの海は、穏やかな波を打ち寄せており、その美しさには言葉を失うほどだった。海は限りなく広がり、地平線まで続いているように見えた。


 上空の太陽は強く照りつけており、砂浜に暖かい陽光を降り注いでいた。太陽の光は海面をきらきらと輝かせ、その光景はまるで絵画のように美しかった。


 そして、砂浜の一角にはヤシの木の林があり、その濃い緑色が白い砂浜と青い海の間で鮮やかなコントラストを生み出していた。


 ラウルはこの突然変わった光景に、ただただ驚きを隠せないでいた。彼がいるはずの輝弥の部屋が、いつの間にか砂浜の楽園に変わっていたのだ。


 「こ・・・・これは一体・・・・」


 その次に彼の目に入ってきたのは、輝弥の姿だった。輝弥は、木と布で作られた角度が緩やかな、全身を覆うような椅子に座っていた。その椅子は、まるで彼を包み込むようにしており、快適な休息の場を提供しているように見えた。


 椅子の傍らには、全身を覆えるほどの日陰を作り出す大きな傘が砂浜に刺さっていた。その傘は、炎天下の砂浜でも涼しさを保つための工夫のようだった。


 輝弥の隣にはサイドテーブルが置かれ、その上にはグラスに注がれた鮮やかな色の飲み物が置かれていた。飲み物には、何か棒のようなものが飾りとして刺さっていて、南国特有のおしゃれな雰囲気を醸し出していた。


 輝弥自身は、ほとんど裸で、下半身の一部だけを鮮やかな青い布で作られた下着で覆っていた。彼の姿は、時間をゆっくりと楽しむ人のように見え、ラウルには理解しがたい光景だった。


 「これは一体どういうことだ!」


 激昂しながらミシェーラに問いただそうとした。しかし、彼女の姿を見て言葉を失った。


 ミシェーラは、花柄の布で作られた衣装を身に着けて砂浜に立っていた。この衣装は胸の辺りと下半身の一部のみを隠しており、布にはひらひらとなびく飾りがついていた。その布は風に少しだけ揺られており、南国の暖かい風を感じさせるようなデザインだった。


 彼女は顔を赤らめながら言った。


「輝弥様が、この方が動きやすいって・・・・」


 その言葉には戸惑いが込められており、彼女自身もこの状況に驚いている様子だった。


 ラウルはミシェーラのその姿に、怒りが募るのを感じていた。彼はこの場の状況をどう受け止めればいいのか、頭を抱えるほどだった。


 ラウルはミシェーラのことを一旦諦め、輝弥の方へ向かって歩き始めた。砂浜の上を歩く彼の一歩一歩は、砂に沈み込むたびに少し重く感じられた。太陽の下、彼の足跡が砂に一つずつ刻まれていく。


 輝弥がのんびりと座るその場所に近づくにつれて、ラウルの表情には疑問と不満が混ざり合っていた。彼は輝弥に向けて、厳しい声で問いかけた。


「貴様、今度は何をしたんだ?」


 輝弥はラウルの問いかけに対して、落ち着いた態度で応えた。


「安心しろ、ただの仮想空間だ」


 ラウルはその言葉を聞いて、一瞬困惑した表情を浮かべた。彼の頭の中は、輝弥の言葉の意味を理解しようとする思考でいっぱいだった。


「仮想空間?」


 彼は心の中で繰り返した。


 輝弥はラウルに向かって、自信に満ちた声で語り始めた。


「そうだ、仮想空間だ。ここは物理的実体を持たない、魔法生成の環境だ。現実と仮想の境界を曖昧にする量子魔法により、私はこのような空間を創出することができるようになった」


 彼は続けた。


「この空間は、量子重ね合わせの原理を用いて、複数の可能性を同時に存在させる。つまり、ここは現実世界の物理法則に縛られず、思考とデータのみで構築される」


「ユーザーの意識は、魔法により生み出されたニューラルインタフェースを介してこの仮想空間に接続され、感覚データが直接脳に送られる。こうすることで、現実と見分けがつかないほどの体験が可能になるのだ」


「簡単に説明するとこんなところだ。あとはわかるな。」


「・・・・ああ、もちろんだ・・・・」


 とりあえずラウルは答えたが、実際のところ全然わかっていなかった。


 その時、輝弥がさらに質問した。


「それで、何の用だ?」


 ラウルはその問いかけに意識を引き戻される。


「ああ・・・・そうだ、軍の強化のことだ!貴様、忘れたとは言わせんぞ!」


 ラウルの声には緊張と期待が混じっていた。


「やれやれ・・・・それならばしばらく待て」


 ラウルは不満を隠せずに言った。


「待てだと、まさか貴様、この空間を作るのに疲れたとでも言いだすつもりではあるまいな」


 輝弥はラウルの質問に鼻で笑い、余裕のある様子で答えた。


「勘違いするな」


「何?」


「軍を改善するためには、現状把握が重要となる。現状を把握しないと、対策立案ができないからな。そこまで行けば、あとは簡単だ。実行に移し、確認し、改善する。この工程を繰り返すことで、軍は確実に強化されていく。聡いお前なら、それくらい理解しているはずだ」


「も、もちろんだ」


 ラウルは咳払いをして、自信を取り戻そうとした。


「もちろん理解しているが、一応確認だ。どのくらいの時間がかかる?」


「お前ほどの男なら、通常これは何年もかかるというのはわかっているはずだ」


 ラウルの表情には驚きが浮かんだ。


「な・・・・何年も・・・・」


 しかし、輝弥は落ち着いて続けた。


「安心しろ。魔物の脅威があるからな。特別に一ヶ月で形にして見せよう」


「な・・・・特別に・・・・一ヶ月で!」


 ラウルは安堵の表情を浮かべた。


「そ、そうか、輝弥、一ヶ月でやってくれるのか!」


 輝弥は自信に満ちた声で答えた。


「もちろんだ、ラウル」


 このやり取りで、ラウルの心には新たな希望と期待が芽生え始めていた。


 ラウルの目は、輝弥への期待と不安で揺れていた。彼はすがるような視線で立ち尽くしていた。その時、ミシェーラが穏やかな声で彼に話しかけた。


「お兄様、進捗は私が責任を持ってご報告しますわ。ですので、どうぞ安心してご自身の仕事に集中してくださいますようお願いいたしますわ」


 ラウルはミシェーラの言葉を聞いて、少し呆けながら頷いた。


「ああ・・・・わかった・・・・頼む・・・・」


 ラウルの声は遠く、まるで心が他の場所にあるかのようだった。


 ミシェーラは優しい笑顔で承諾し、ラウルの背中を軽く押し始めた。彼女はラウルを扉の方へと半ば強制的に案内し、彼を現実に引き戻そうとした。


 ラウルは憔悴した様子で部屋を出た。彼の足取りは重く、顔には疲れと心労が色濃く出ていた。部屋の扉を閉めると、彼はふと立ち止まり、深いため息をついた。

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