四人兄弟、末っ子で五男
山川タロー
第1話
私は四人兄弟だった。末っ子で五男だったが五人そろったことはない。 なぜらな私が生まれる前に三男が享年二歳という若さで亡くなっているからである。亡くなったのは昭和二十五年仁賀田宇、その年の十一月、四男が生まれた。その後の歳月を経て昭和三十二年五男タローが誕生した。
昭和三十二年という年は戦後十年が経ち復興から発展へ国民生活の向上が急速に進んだ年であった。石橋首相が病気のため内閣総辞職し岸信介内閣が成立した。
タローはまるまると太った健康優良児で表彰されるほどであった。母の妹は結婚していたが子宝に恵まれず、タローを養子に欲しがったが母は手放さなかった。
タローが二歳の時、父の仕事の関係で東北地方に引っ越した。
兄たちとは歳がはなれていたせいでタローは兄のパシリとなっていた。兄たちはタローを小間使いのように扱っていた。タローは兄たちに命令されると「はいっ、はいっ」と言ってなんでも言うことを聞いていた。こうしてタローは大人になってり結婚して女房、娘に小間使いのように扱われるようになったのである。タローが今なお従順なのは、小さいときからの兄たちの影響によるのである。
五男という立ち位置はそうした性格、小間使いであっても不満を感じず、ひたすら従順に仕える性格を醸成するには十分であったのかもしれない。また生まれ持ってタローの性格が穏やかというのもそうした性格を形成するのに役立ったのだろう。母曰く「この子は本当に怒ったことがない」とよく人に話していた。
しかしながら結婚してからそうした穏やかな性格から逸脱することが頻繁に起こるようになった。つまり女房と喧嘩をするようになったのだ。
結婚する前は考えられなかったが結婚してから人が変わった。自分でも不思議だが、なんにもしない女房を見ていると怒りがわくのである。それで娘が小さいときよく女房と喧嘩をした。女房が娘に手を上げる時も怒りがわき女房を叩いてしまう。そういうことが何度かあった。
そうして月日が経ち今は諦観した感がある。何もしない女房を見ても何もかんじなくなったのである。温かいお茶が欲しいと言われれば自動販売機に買いに行き、夕方になればご飯を炊き夕飯の支度をする。食べ終われば食器を洗い後片付けをする。ゴミを出してと言われればゴミ出しをする。女房が寝ると言えば布団を敷く。そうした生活が幸せだとかんんじるようになった。私は飼い慣らされたのか。いや長い年月の間に精神が醸成され仙人の域に達したのである。
毎日が清々しい。これが幸せな老後というものか。これからも生ある限り、この穏やかな生活をつづけていきたいと考えている。
四人兄弟、末っ子で五男 山川タロー @okochiyuko
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