第105話 謎の失踪とあやしい電話
※
「ただいま……ってあれ、芳佳はいないのか」
夜。普段通りの時間に帰宅した俺を出迎えたのは、がらんとした玄関と部屋だった。てっきり芳佳が出迎えてくれると思っていたので、俺は面食らい、そして思考が一瞬フリーズしてしまった。
その間にも俺の足は進んでいた。部屋のあちこちを、それこそ風呂場やトイレなども確認したが、芳佳の姿も痕跡も無かった。そうして確認している間に、芳佳の予定の有無を思い出していた。今日は確か、珍しく何もない日だと言っていたではないか。
――一体何があったんだ。
重たい物が落ちる音が、すぐ傍で響いた。手の力が抜けて、鞄が床に落ちて横倒しになっている。その拍子に、芳佳から貰った尻尾のアクセサリーが飛び出してきた。鞄の奥に入れていたはずなのに。しかも尻尾のアクセサリーは、引き裂かれたように真っ二つにすらなっていたのだ。
俺は頭を振って、二つになったアクセサリーを鞄の中に押し込んだ。何か不吉な暗示のように思えて、しかしそう思うのが怖かった。
胸騒ぎなど気のせいだと言い聞かせ、俺はリビングの周囲を見渡した。部屋は荒らされた形跡はなく、小綺麗にまとまっている。空き巣が入ったとか、居直り強盗の類が芳佳を攫ったという事では無さそうだ。
かといって、家出したという感じでも無さそうだ。そもそも芳佳は、結構マメに書置きを残したりスマホに連絡を入れてくれたりする性質である。万が一家出したとなれば、それこそ書置きをしたためて出ていくであろう。
そもそも部屋は整頓されていたが、芳佳が使っている日用品などは、普段置かれている場所にきちんと置かれたままだった。家出したとなれば、そうした物をそのまま放っておくだろうか?
となると、日中出かけている間に、何かに巻き込まれたという所なのだろうか。
そんな考えに至った次の瞬間、ポケットに収めていたスマホが震え始めた。
ぎょっとしてスマホを取ると、着信があると表示されている。芳佳からではない。見覚えのない電話番号だった。それでも俺は、画面を触って通話モードに入ったのだけど。
「もしもし……」
『あ、あのっ。和泉直也さん、ですよね? 私です。メメトです』
俺に電話を掛けてきたのは、何と管狐のメメトだった。普段の妙にもったりとした声音ではない。早口でやや甲高い声だ。機械越しの声という事もあって、一層普段の彼女の声とは違っているようにも感じられた。
「メメトさん……ですか。何故俺のスマホの番号を知っているんだい?」
『それはまた、暇なときにお教えします。そんな事よりも、あなたにお尋ねしたい事があるんです。松原さんは、松原芳佳さんはそちらにいらっしゃいますか?』
「――っ!!」
芳佳がそこにいるのか。メメトの問いに俺は絶句した。俺もまた、芳佳が何処へ消えたのか探そうとしている最中だったのだから。一体何があったのか。何故メメトも芳佳の行方を気にしているのか。色々な感情や疑問が頭の中を駆け巡り、上手く言葉が出てこなかった。
『その後様子ですと、松原さんはそちらにはいらっしゃらないようですね』
「ああ」
やっとの思いで出てきたのは、ため息のような声だけだった。知った風に語るメメトに対してじりじりと怒りを感じ、それ故に冷静さを取り戻していた。
「芳佳はいない。俺も、変だなと思って何があったか調べようとしている所なんだ。どこどこへ出かけているって書置きもないし、急に家出するなんて考えられないから」
『和泉さん! 松原さんは家出なんかなさりません。それはこの私も断言できます!』
思う所があったのか、メメトは声を張り上げた。
『だって松原さんは、今日の昼過ぎに私に電話を掛けてきたのですよ。何を話そうと思って電話を掛けられたのかは、今となっては私にも解らないのですが……ともあれ、その時は仕事で電話を受ける事が出来なかったので、取り敢えず折り返しの電話を掛けてみたんです。ですが、何度か電話を掛けてみても繋がらなかったので、それで胸騒ぎがしたのです』
結局のところ、そこから二言三言ばかり言葉を交わした所で電話を終えた。
やはり芳佳は何かに巻き込まれて、それで失踪してしまったのだ。
俺はスマホの画面を眺めたまま、着替えるのも忘れてしばし立ち尽くしていた。それでもしばらくすると、指先が動いて番号の羅列をタップし始めていた。緊張と不安で指先はぶるぶると震えていた。しかしそれでも、俺の指先は俺の意志とは裏腹に仕事をやり遂げた。すなわち、芳佳の持つスマホの電話番号をタップしたという事だ。
松原さんは電話に出なかった――メメトの言葉が、俺の頭の中で何度も何度も反響する。スマホの呼び出し音に耳を澄ませるふりをして、その言葉を忘れようとした。
と、スマホが繋がった。
「もしもし?」
『――ごきげんよう、和泉直也さん。あなたなら、必ず連絡をくださると思っていたわ』
電話の向こう側から聞こえてきたのは、いやに妖艶な女の声だった。もちろん、聞き慣れた芳佳の声ではない。
雑踏めいたざわめきと獣めいた唸り声を背後に、電話の主が余裕と悪意たっぷりに嗤っているであろう姿が、俺の脳裏にはありありと浮かんできたのだった。
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