第100話 チャーハンと狐娘の帰宅

 結局のところ、俺は喫茶店と本屋とアニメグッズ屋をブラブラとはしごして暇つぶしをしただけだった。ぶらついていたのは二時間ほどであろうか。

 夜の八時と言えば、社会人としてはまだまだ早い時間ではある。残業とかで、これくらいの時間まで残る事だってざらであるし。

 俺はしかし、夜が深まりきらめく灯りに背を向けて、自宅マンションへと歩を進めていた。元より芳佳がまだ帰っていない事を忘れるためだけに、俺は部屋に戻らずぶらついていただけなのだ。それこそ芳佳が戻って来ていて、それで逆に心配させても申し訳が立たない。俺はそんな事を思っていたのだ。

 それに……ポケットの中に忍ばせているお守りを撫でていると、寂しさやコドクな気持ちも和らいでくるのだ。そうなる事を見越したうえで、芳佳はこれを用意してくれたのだとも思っていた。

 芳佳が自分の尻尾の毛を使って仕立ててくれた尻尾型のアクセサリー。ビジネスバッグに堂々とぶら下げる事は出来なかったが、俺はこれを、職場にこっそり持参していたのだ。尻尾のアクセサリーは流行っていたでしょう、と芳佳は言うけれど、流石に狐の毛をくっつける事もある俺が、これを大っぴらに持ち歩くのは気が引けた。それこそ、また藤原にからかわれる気がしたためだ。

 勘の鋭い彼の事だ。もしかしたら、俺がこういうものを隠し持っている事自体も、薄々察しているのかもしれない。


「ただいま……っと。流石にまだ誰もいないか」


 八時をとうに過ぎていたが、芳佳はまだ帰っていなかった。朝早く出かけなければならない程の遠方への出張だったのだ。帰りが遅いのも無理からぬ事だろう。

 芳佳よりも早く帰って来た事に安心したり寂しく思ったりしながら、俺は身づくろいを済ませた。それから台所に向かう。昼過ぎに連絡があったのだが、芳佳は向こうで夕食を済ませるから、俺は俺で夕食を用意してほしいという話だったのだ。

 俺一人の夕食。それは外食やコンビニで済ませようという考えは無かった。相変わらず、外で作った物を口にするとしんどくなってしまうためだ。味気ない、量の少ない料理だったらまだ大丈夫ではある。しかし芳佳に料理を作ってもらう日々を送る中で、俺は食べる事の喜びを知ってしまった。

 そうなったら、下手でも何でも自分で作るのが一番だろう。台所に立ったのはそのためだった。三合炊きの炊飯器にはまだ白米も残っている。竹輪とかハムとか卵もあっただろうから、チャーハンでも作ろうか。


 かすかな軽い物音の後に、ガチャリと鍵穴が動く音が聞こえた。

 俺は出来上がりかけたチャーハンをかき混ぜていた所だったのだが、その物音に、びくりと身を震わせてしまった。芳佳と同棲し始めて三カ月以上になるが、俺自身は鍵が開く音を聞く事は少なかったためだ。ましてや、こんな夜の時間などは初めてだろう。


「ただいま直也くーん。ああ、もう、疲れちゃったわぁ」


 反射的に心臓の鼓動が速まったものの、その間に聞き慣れた声が耳に入り込んでくる。疲れたと言いつつも、芳佳の声は明るく、何処か楽しそうでもあった。

 俺はコンロの火を止めてから、すぐに玄関に駆け寄る。

 芳佳は確かに玄関にいた。リュックサックを背負っているにも拘らず、両手にやや大きめの紙袋を提げている。あるいは女の子が好きそうな小さなリュックサックだったから、荷物がほとんど入らなかっただけなのかもしれない。


「お、お帰り芳佳ちゃん。お疲れ様。夜遅くまで大変だったでしょ」

「大変は大変だったけれど……意外と楽しかったわ!」


 芳佳はそう言うとにっこりと微笑み、ついで提げていた紙袋たちを僅かに上下させた。俺に気を遣ったのではなくて、本心からの言葉である事は、屈託のない笑顔を見れば明らかな事だった。

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