後編

第97話 揺れる尻尾と互いの心配

 そんな訳で、芳佳はメメトから紹介された新しい単発バイトも手伝う事がトントン拍子で決まったらしい。

 と言っても、明日すぐに出向かなければならないとか、そこまで突拍子の無い物でも無かった。俺の家に上がり込んだあの時、どさくさに紛れて夕飯を食べていたメメトの事だ。「それじゃ、松原さんには明日から同行してもらいますよ~」などと言っていたのではないか。そんな風に俺は邪推、もとい推測していたのだ。


「まぁ、メメトさんも少し変わってる所はあると思うわ。だけど仕事の面では彼女なりにちゃんと筋を通してくださるのよ。この間一緒に夕食を貰ったのだって、そもそも私が大丈夫だって言ったからそうなっただけだもの」


 もしかして、メメトさんを上がり込ませたのは嫌だったかな? 芳佳に問われ、俺は首をひねった。あの晩メメトがやって来たのが嫌だったのか。その問いに対する答えは複雑な物だったためだ。メメトの言動は胡散臭く、信用ならぬ所が多い。しかしあの夜見た謎の夢から俺たちを救ったのも、他ならぬ彼女なのである。

 芳佳はというと、幸いな事にメメトの事について深く追求しては来なかった。まっ白な尻尾を揺らすと、そのまま話題を変えた。


「それでね直也君。最初のバイトは四日後なの」

「四日後なんだ。もう連休も終わってるんだね」


 俺が言うと、芳佳は少し緊張した表情で言葉を続ける。


「だからその、今日からちょっと出張の準備とかしようかなって思ってるのよ。別にいつバイトがあっても私は問題無いんだけど……最初から遠出しないといけないみたいだから」


 あ、だけど。俺の表情の揺らぎに気付いたのか、芳佳は取り繕ったような面持ちになった。


「大丈夫だよ直也君。帰りは遅くなるけれど……だからちゃんとその日のうちには帰れるってメメトさんも言ってたの。もしかしたら、帰りは十時とかその辺になっちゃうかもしれないけれど」


 最初だから日帰りの仕事だ。その言葉に引っかかるものはあるにはあった。敢えて日帰りという事を強調するからには、泊りがけの仕事もあるという事なのだろうか? 現にメメトは、(偶発的と言えども)仕事が泊りがけになった事もあるし。

 芳佳も仕事のために外泊し、この家に戻ってこない日があるというのか。その考えは俺を困惑させた。だが俺は、敢えてその考えを脳の外へと押し出す事にした。今その事を考えてもどうにもならないと見切りをつけたからだ。

 それに自慢ではないが、俺は考えたくない事を考えないようにしたり、嫌な事を忘れたりする事は人一倍得意だったりする。地味だが、生きていくにはとても役立つ特技だった。

 俺はだから、気遣いの出来る良い男の仮面でもって、芳佳の顔を見つめる事が出来た。


「そっか。帰りが遅いのなら気を付けるんだよ。都会も都会で夜道とか夜の街は物騒だし、何より芳佳ちゃんは……」


 可愛い女の子だから。最後まで言い切るかどうか考えあぐねていた丁度その時、芳佳は俺を見つめ返しながら笑い始めた。鈴を転がすような、品位ある御令嬢のごとき笑い方だった。背後でエネルギッシュに揺れる尻尾に目を向けなければ、の話だけど。


「大丈夫、大丈夫よ直也君。これでも私はキツネなのよ。夜の暗さとか、そう言うものには慣れているんですから」

「あはは、確かにそうだったね」


 それよりも。つられて静かに笑う俺に視線を向けたまま、芳佳は少しだけ心配そうな表情を浮かべた。


「むしろ私は、直也君の方が少し心配かな。直也君は寂しがり屋さんだし、ずっと私が傍にいた事に慣れているでしょうから……」


 芳佳はそう言うと、自分の尻尾に右手を添えた。白く細い手指は、ただただまっ白な毛並みを撫でさするだけだった。

 毛づくろいとは異なる動きだったけれど、その動きには何か意味があるように感じられた。

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