断章その5
第96話 ある元配信者の狂信
※
「――ねぇテル。私が
※コ※神さまもとい夢見鳥サツキ様が俺に問いかけたのは、タワマンの一室での事だった。
タワマンは都市部の一等地に建てられたものである。しかも俺たちは、最上階の一番広くて高価な部屋の中で共同生活を行っていたのだ。
それもこれも、サツキ様のカリスマ性と神様としての御業によるものだった。このお方には、財を集め信者を富ませるお力があるのだから。彼女の集めた富にすり寄っている俺はヒモ男そのものではないかって? そんな考えは糞喰らえだ。
サツキ様を真摯に崇拝しているからこそ、その見返りとして俺は富の一部を賜る事が出来る。ただそれだけの事なんだ。というか俺の事をやっかんでいる暇があるなら、信者になってサツキ様を崇拝すれば良いだけなんだよ畜生共が。
そんな取り留めもない事をしばし考えていた俺だが、すぐに意識をサツキ様の方に向けた。サツキ様の質問には答えねばならないからだ。
「た、確か……サツキ様がご降臨なさってから、一か月ほどかと思うのです」
俺の言葉を聞いたサツキ様は微動だにしなかった。生まれたままの姿でお立ちになっていて、背中から生えた一対の翅――それは左右非対称の、アゲハチョウの翅そのものだった――を僅かに動かすだけだった。
花のごときサツキ様のかんばせには、特段表情の揺らぎはない。能面のようなサツキ様のご尊顔を眺めているうちに、俺は不安に駆られた。
「ですが、ですがサツキ様! あなた様はこの一か月で、目覚ましい活動をなさっていると私は思っております。だってそうではありませんか。元々俺は……私はあなた様とは何もない廃墟で出会ったのですよ。それが今では、こんな立派な豪邸に過ごす事が出来ているのですから」
「ああそうだ。テルの言葉には一理あると私も思ってるわ」
ややあってから、サツキ様がお言葉を返してくださった。その表情に違わぬ、のっぺりとした物言いだったけれど。
サツキ様は長い腕を伸ばし、テーブルの上に置かれた夏みかん(確か信者の誰かがサツキ様の為に献上した物だ。とにもかくにも、サツキ様は柑橘類を好まれるのだ)を一つ掴んだ。
何処か芝居がかった様子で、サツキ様は夏みかんに口づけした。アゲハチョウの翅が独立した生き物のように蠢き、鱗粉がキラキラと輝きながら部屋を舞う。同じ部屋でサツキ様にお仕えする信者共が、輝く鱗粉を見て間の抜けた歓声を上げていた。
「私が※※ヨ神である事はあんたも知っているでしょ。だからこそ私は財をもたらし、そして永遠の命を与える事も出来るの」
そこまで言うと、サツキ様は手にしていた夏みかんを床に放った。サツキ様の手つきはいささか乱暴な物だったが、しかし放り投げられたものが潰れる事は無かった。
それどころか、床にぶつかると硬質な音を立てて転がるほどだった。
サツキ様が口づけをした夏みかんは、ややこしい話だがもはや夏みかんでは無かった。黄金色に輝く金塊に変化していたのだ。時価がいくらなのか。そんな事を考えるのも野暮というものだ。
「ああ、だけどねテル。私はまだ不完全なのよ」
転がる金塊を眺めながら、サツキ様は言葉を続けていた。そのお顔には、何処か物憂げな表情が浮かんでいたのを俺ははっきりと見た。
「不完全ですって。そんな、サツキ様が不完全だなんて……」
「私の事は私が一番解っているの」
慰めようとする俺の言葉を、サツキ様はぴしゃりと跳ねのけた。俺は自分の言動の浅はかさを思い、少しだけ落ち込んだ。
その間に、サツキ様は俺に背を向けてゆったりと歩き始めていた。その間に何か呟いておられたけれど、何を仰っているのかははっきりと聞き取れなかった。
せいぜい「取り込まねばならない」「あの青年」「化け狐が憑いている」と言った、断片的な言葉を耳にするのが、凡人である俺にはやっとだったのだ。
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