第94話 芳佳の帰宅と天狗のお守り
団地に向かっていたという芳佳が帰ってきたのは、洋一がそろそろ帰ろうと腰を浮かせた丁度その時の事だった。絶妙なタイミングというものは、かくも連続するものなのだろうか、あるいは芳佳は狐であるから、何か勘が働くという事もあったのかもしれない。
芳佳の帰宅に少し戸惑う洋一と、さほど戸惑っていない様子の芳佳とを見比べながら、俺は静かにそんな事を思っていた。
※
「お帰りなさい、芳佳ちゃん。ごめんね、さっきは
良いのよ。芳佳は肩から降ろしたバッグの中身を整理しながらそう言った。
「洋一君も、きっと直也君や私に気を遣ってくれたのよ。ああ、本当に素直な良い子よね。私には
「そうかな。そんなものなのかな」
淡く微笑む芳佳に対し、俺は愛想笑いを浮かべるだけだった。芳佳は弟の存在を良いものだと思っているみたいだけど、それが本当なのかどうかは俺にはよく解らない。身近で当たり前すぎるからありがたみが薄いだけなのかもしれないけれど。
そうしているうちに、芳佳の表情が僅かに歪んだ。その手には、弁当箱ほどの大きさの風呂敷包みがあった。
「平坂さんから柏餅を貰ったのよ。四、五個ほど入っていたから、洋一君にも渡そうかなと思ったんだけど……」
「良いって芳佳ちゃん。あいつにそこまで気を遣わなくても大丈夫だよ」
言いながら、俺は洋一が持ってきた手土産を顎で示した。
「洋一のやつもな、わざわざ俺の部屋に遊びに来るって事でああして手土産を持参してきたんだよ。それで一緒に食べたばかりだから、そこからまた更にお菓子を食べようって気分じゃあなかったと思うぜ。こっちもこっちで饅頭の類だし」
「あら本当。しかも姫路の銘菓じゃない」
「そうだよ。これもこれでそこそこ値が張るのになぁ……」
気が付けば、俺は上手い塩梅に話題を柏餅から洋一の持ってきた茶菓子へとスライドさせる事が出来た。特にチョコレートとかが使われている物でもないし(何となくだが、洋一は俺がチョコレートを苦手とする事を知っていた気がする)、甘味が強いという訳でもない。人間用のお菓子であるが、妖狐である芳佳も美味しく頂ける代物ではなかろうか。
※
芳佳の手土産は柏餅だけでは無かった。護符の類も、芳佳が団地から持ち帰って来た手土産に含まれていたのである。
「どうぞ直也君。これはメメトさんからじゃあなくて、平坂さんが私たちのために、手ずから用意してくれたものなのよ」
「あ、ありがとう」
芳佳から受け取った護符は、まさしく神社で見かけるお守りそっくりの姿だった。お札などがむき出しになっているのではなく、錦の巾着袋に入れられているのだから。
護符を受け取りつつも、俺の頭の中には色々な考えが浮き上がっては消えていた。妖怪が護符を作り、他の妖怪から護符を受け取るというのが何となく不思議だった。もう一つ不思議と言えば、先程芳佳がメメトの名を口にしたのも謎めいている。
「あら、どうしたのかな直也君」
不思議だなぁ、と思っていたのが顔に出てしまったのだろう。先んじて芳佳に問いかけられた。俺は何やら申し訳なさと気まずさを感じながらも、口を開いた。二つ浮かんだ質問のうち、無難だと思う方を選びながら。
「いやさ、ふと思ったんだけど、芳佳ちゃんも平坂さんも妖怪だよね? 妖怪ってお札とか神社とかお寺に弱いってイメージがあるけれど、本当はそうでもないのかな?」
俺が言い終えるや否や、芳佳は口許に手を当てて笑った。さりげなく顔を隠してはいたけれど、吹き出しているであろう事は容易に察せた。
「ふふっ。直也君ってば面白い事を言うのね。そうね、確かに漫画とかアニメではそう言う描写もあるかもしれないけれど、別に私たちにとって、神社のお守りや神社の敷地が害になるような事は無いわ。むしろ、神様や仏様にお仕えできることは、私たちの中でも名誉な事なの。人間界で言えば、公務員勤めみたいな感じかしら」
芳佳のたとえ話に、俺もまた思わず吹き出してしまった。芳佳も、なし崩しと言えども団地でひとときを過ごしたのだ。気の合う仲間や可愛い義妹と言葉を交わした事で、元気を貰えたのかもしれない。明るく元気な芳佳の姿を見ながら、俺はふとそんな事を思っていた。
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