第91話 義弟、アパートに襲来す

 タイミングというのは、妙な塩梅で重なるものなのだ。俺がそんな事を思ったのは、わざわざアパートにやって来た洋一と向き合っていた時の事だった。

 平日ながらも連休の最中にいる俺と、バイトが入っているものの普段より早く上がれる予定だった芳佳。本来であれば、俺も芳佳も昼過ぎには予定がないという事で一緒に遊べるような状況だったのだ。

 ところが、俺の許にはこうして洋一が遊びに来たし、芳佳も芳佳で急遽団地へと向かう事になった。しかも芳佳を団地にいざなったのは、義妹いもうとであるスコルとの事だった。

 義弟おとうとないし義妹いもうとによって用事の変更がもたらされる。示し合わせたわけでは無いというのに、俺たちはそんな状況に見舞われたのだ。洋一とスコルには面識がないからもちろん偶然のたまものだ。そう思っても不思議な事には変わりはないが。


「それにしても洋一。急に俺の部屋までやって来るなんて、どういう吹き回しなんだい」

「そんな事言わなくても良いじゃん」


 不思議に思って問いかけてみると、洋一は少し拗ねたような表情を見せた。思い通りにならないと、すぐ拗ねたり拗ねる素振りを見せるのが、こいつの癖なのだ。多少生意気だとは思うものの、不思議と憎らしいと思う事は無かった。


「本当は、ちょくちょく直也兄ちゃんの部屋には遊びに行きたいと思ってたんだよ。それこそ、兄ちゃんが一人暮らしを始めた頃からさ」

「俺が一人暮らしを始めた頃って、それこそ小学生くらいの頃じゃあないか」


 洋一の言葉に、俺は驚きつつも納得してもいた。俺が一人暮らしを始めたのは大学に進学してからの事である。その時洋一は、まだ十か十一くらいだったのではなかろうか。

 洋一は俺と目が合うと小さく頷き、それから困ったような表情で言葉を続けた。


「ほらさ、今なら俺も高校生だから、父さんたちも少し遠出しても何も言わないよ。だけど中学生を出るまでは、県外まで遊びに行くのだって良い顔はしなかったし……」


 やはり養父母も、である洋一の事は、何かと心配して過保護にしているのだろうな。そんな俺の思いを知ってか知らずか、洋一は無邪気な表情で言葉を続ける。


「かといって、父さんたちと一緒にお兄ちゃんの部屋に行くって言うのも何かアレだなぁって……」

「そりゃあそうさ!」


 気付けば俺は、洋一の言葉を遮って叫んでいた。純粋に俺に会いたがっている洋一と、その背後に控えている養父母。悪夢のごときその光景は、俺の脳裏に鮮やかに浮かび上がってしまった。


「洋一。お前ももう高校生だから解ると思うけれど……俺だって一人暮らしを始めた時は若かったんだ。義父とうさんも義母かあさんも良い親だったと俺も思ってる。だけどやっぱり、部屋にやって来られるのは気恥ずかしいとも思うんだよ。お前も男だし、兄ちゃんの気持ちは解るだろ?」

「うーん。まぁ何となくは」


 洋一はじっとりとした眼差しで俺を見つめていた。俺はだから、言葉を続けて彼にフォローを入れた。


「だけどな洋一。だからと言って、俺の部屋に洋一が遊びに来ることは別に気兼ねしなくても良いんだぞ。親と兄弟じゃあ、色々と違うからさ。だけどな、遊びに来るときは一本連絡を入れて欲しかったかな。兄ちゃんももう社会人だし、色々と用事もあるからさ」


 そこまで言うと、洋一は部屋の中をぐるりと見渡した。それから俺の方を見やると、にっこりと微笑みながら言い放ったのだ。


「そうだね。兄ちゃんは彼女さんと同棲しているみたいだもんね。松原さんだったっけ。今日はいないのかな?」

「彼女ならバイトだよ。その後ちょっと野暮用があるみたいでな。多分夕方には返って来るだろうけれど」

「そうなんだ。それならよ」


 何処か安堵した様子でそう言った洋一の顔を、俺はじっと覗き込んだ。芳佳が出かけている事で、何故洋一が安心しているのだろうか、と。

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