第90話 管狐とある提案:芳佳視点
メメトに会うのは二、三カ月ぶりの事だと思う。とはいえ彼女には大きな変化は無さそうだった。まぁ、服装が春から初夏の装いになっているという事くらいだろうか。でもそれは私たちも同じ事だし。
「あらあらメメトさん。しばらくぶりですけれど、一体どうされたんです?」
愛想笑いを作り、私はメメトに問いかけた。もうちょっと滑らかに話すはずだったんだけど、私の言葉は何ともぎこちないものになってしまった。そこが何とももどかしく、そして少し恥ずかしくもあった。
メメトはそんな私の心の動きに気付いているのかいないのか、愛想よく微笑みながら言葉を続ける。
「少ぅしお仕事の話を持ってきたんですよぅ」
仕事の話。メメトの言葉に、私の瞳孔がぐっとすぼまった。
メメトは何かを売りつけようとして、私を待ち構えていたのだろうか。まず頭の中に浮かんだのはそんな考えだった。元々私はメメトから遠見の鏡をレンタルしていて、二か月前――要は直也君に出会った後だ――に鏡のレンタルを終えた所だ。
何だかんだと商売上手なメメトの事だ。こちらの足許を見て、何か画策していたもおかしくはない。
「芳姉……?」
隣にいるスコルは、何故か怯えたような表情で私を見つめている。彼女は妖怪としては幼いから、得体の知れないメメトの挙動を不気味に思っているのだろう。
そんな風に思っていると、平坂さんがすっと手を挙げた。
「スコル、ちょっとここからは大人の話になるかもしれないから、君は部下のワンコたちの様子を見に行ったらどうだね」
平坂さんの言葉は、暗に席を外してほしいという申し出だった。スコルは二本の尻尾を勢いよく振るい、解りましたーっ! と声を上げてその場を去って行った。メメトはその姿を無言で見送り、それから私に向き直った。何処か安心したような表情を、何故か彼女は浮かべていた。
「ありがとうございます平坂さん。私も松原さんとは、サシでお話したいと思っておりましたので。ああですが、平坂さんも同席される事を強く望まれるのならば、私には拒絶する権限なんてありませんがねぇ」
「あはは、別に私はどちらでも良いよ。それに込み入った話があるのなら、松原さんの部屋を使うと良いさ。部屋自体は、今も引き払わずにいるんだからね」
それにしても。飄々と語るメメトと鷹揚に笑う平坂さんに割り込む形で、私は口を開いた。
「メメトさん。一体仕事の話とは何ですか。あなたの事だから、また何か私に売りつけようと目論んでいるんじゃあないの」
「そんなそんな。私は今回、押し売りみたいな事をするためにやって来たんではないですよぅ」
私の言葉に、メメトは両手を突き出して揺らしながら否定した。別段戸惑っているような表情ではない。何処までも芝居がかった動きと顔つきだった。
メメトはそんなパフォーマンスを早々に終えると、手を降ろして半歩ほど私ににじり寄って来た。
「私がやろうとしている事は、むしろ逆の事ですよぅ」
「逆の事、ですって」
私が言うと、メメトは黒い手袋で覆った右手を口許に添え、今再び口を開いた。
「実はですね松原さん。少し前に、私の許に仕事が舞い込んできたのです。数日仕事な上に、一人では骨が折れそうな仕事なんですけどね、私の知り合いたちはどうにも都合が合わず協力を要請できそうにないのです」
あるじと二人暮らしだというメメトであるが、彼女は案外顔が広く、妖怪の知り合いや仲間などはそこそこ多いという。先ほど言った知り合いというのも、そうした妖怪たちなのだろう。
メメトはまだ結論を述べてはいない。しかし私は、この話の行き先が大体解って来ていた。
「協力者がいないから、私に協力してほしいって事ですね」
「そうですよぅ。ビンゴですよ松原さん」
メメトの声は何処かねっとりとしていた。喜んでいる時には、そう言う声になる性質であるらしいのだ。
「もちろん報酬は山分けですし、松原さんも本業の方がおありでしょうから、無理にとは言いませんよぅ。ですが、今回の仕事に参加するのは、悪い事ではないと思うのです。懐も潤いますし、良い気晴らしにもなるでしょうから……」
そこまで言うと、メメトはじっと私の顔を覗き込んでいた。
気晴らしというのは、どういう意味で口にした事なのだろうか。直也君との関係について、それとも夢見鳥サツキに執着している事についてなのか?
しかしともあれ、私は気付けば頷いていたのだった。バイト先の同僚や店長に、どんなふうに説明をしようか。そんな事さえ私は考え始めていた。
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