第76話 米袋と派手なワンピース

 水曜日。週の折り返し地点だという口実をもとに、俺はほぼ定時で職場を後にした。向かう先は芳佳が普段利用しているスーパーだ。財布の中には、芳佳から受け取った割引券が忍ばせてある

 この割引券を利用して、十キロ入りの米袋を買って帰る予定だ。呈示すれば品物の一つを二十パーセント引きで購入できるという割引券は、買い物に行く事が多い芳佳は何かと重宝しているらしい。その辺りは、パートタイムで働き、尚且つお金に関してきっちりしている芳佳らしさが滲み出ていた。

 俺の場合だと、まぁ買えれば良いかと思う事が多く、値段まで気にしない場合が多いからだ。その辺りは、俺と芳佳の違いなのかもしれない。


「ああ……スーパーってやっぱり広いんだな」


 店頭に置かれていたチラシと店舗内をにらめっこしながら、俺はスーパーの中をよろよろと彷徨っていた。何処に何が売ってあるのか、皆目見当がつかなかったのだ。スーツ姿の、さほど若くない男が、チラシを片手にフラフラしている姿はさぞかし滑稽な物であろう。俺自身はその事を思う余裕なんて無いけれど。

 それにしても、芳佳は存外だだっ広いスーパーの中で、どうやって買う物を探していたんだろうか。やはりキツネだから、帰巣本能とか空間認識能力に長けているのだろうか。そんな事に思いを馳せていた俺だったが、芳佳も芳佳でスーパーの中では結構ウロウロしながら買い物をしていたのを思い出した。

 もしかしたら、彼女もスーパーの間取りや何処に何が販売されているのかを全て把握している訳ではないのかもしれない。そう思うと、何故だか解らないが少しだけ気分が楽になった。

 そしてそうしているうちに、米袋を販売しているコーナーに辿り着いたのである。


「カゴには入らないだろうし……担ぐか」


 チラシを折り畳んだ俺は、十キロ入りの米袋を見やりながらそう言った。

 十キロ入りの米袋は流石に大きく、日用品を入れる程度の買い物カゴには入りそうにない貫禄を放っていた。他の人たちは、これをどうやって買って帰るんだろうか。そんな事を思いつつ、俺は米袋に手を伸ばした。


「和泉さん、でしたよね」

「――っ!」


 聞き慣れないような、聞き覚えのあるような声が投げかけられたのは、ちょうどその時だった。今しも米袋を運ぼうとしていた俺は、中腰で屈んで手を伸ばしたままという、極めて間抜けな格好を晒していた。仕事帰りのスーツ姿だから尚更だ。

 ぐるりと首をねじって声の主を見た俺は、さらなる驚きに包まれた。


 声をかけてきたのは、ロングヘアーの美女だった。みどりの黒髪と昔から言うが、彼女の場合は本当に緑色のメッシュを所々入れている。それでもチャラチャラした雰囲気にならないのは、彼女が大人びた面立ちだからなのだろう。

 派手なのは、髪型だけでは無くて服装もだ。ワンピースとボレロ(芳佳との同居生活のお陰で、レディースファッションには少し詳しくなったのだ)を纏った春らしい装いなのだが、ワンピースは柄物だったのだ。何せ濃い緑色の地にオレンジかミカンの花と実を模様としてあしらっているのだから。濃緑色の地に白い星型の花や橙色の丸い模様がある様は、春というよりもむしろ夏に相応しいファッションにすら思えてしまう。

 更に言えば、ボレロは淡いクリーム色と落ち着いた色調であるものの、羽を広げて飛ぶ蝶の透かし模様がそこここに縫い上げられている。これもまた派手というか、全くもって地味な物とは言い難い。


「えと、ええと、あなたは……」

「夢見鳥サツキよ、和泉さん」


 俺が彼女を見て驚いたのは、飛び切りの美女だったからではない。彼女の纏っている衣裳が妙に派手だったからでもない。

 他ならぬ彼女が、謎の配信系アイドル・夢見鳥サツキであると解っていたからだ。彼女もまた、買い物カゴを提げていたが、俺を見るなり満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしているではないか。

 それこそ飛ぶ鳥を落とすような勢いの彼女が、何故俺を見て喜んでいるのか。ぼんやりとした頭で、俺はそんな事を考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る