断章その4

第※※話 とある※神の記録

※※

――太秦うずまさは 神とも神と 聞え来る 常世の神を 打ちきたますも(皇極記)


 今から一四〇〇年余り過去の事である。東国の富士川の近辺にて、常世神とこよのかみを祀る新興宗教がにわかに勃興した。

「常世神を祀れば貧しい者は富み、老いた者は若返る」――シャーマンであった大生部多おほふべのおほは民衆にそう語り、常世神を祀るように推奨した。それにより、人々は常世神を祀り、のみならず家財を投げ打ち歌い踊るという椿事が発生した。


 だが――それで常世神の恩恵を、人々が受けたわけでは無かった。それどころか、私財を投げ打ち却って貧しくなる人々が増え、常世神信仰は徐々に社会問題となっていった。

 そしてこの騒動を鎮静化したのが、秦河勝はたのかわかつであった。聖徳太子の重臣であった秦河勝は、大生部多を捕らえ、懲らしめた。これにより、常世神信仰は終わりを迎えたのである。


 なお、神として祀られていた常世神は、長さ四寸(約十二センチ)の緑色の黒点を持つ芋虫であり、橘や山椒の木にいるとの事である。その正体はアゲハチョウの幼虫、またはシンジュサンの幼虫ではないかと言われている。

 特にアゲハチョウの幼虫は、橘などの柑橘類の葉を食草である。

 橘自体もまた、常世国にある、不老不死をもたらす非時香菓ときじくのかぐのこのみではないかという伝承が残っている。そんな橘を食するアゲハチョウの幼虫が神聖視され、常世国から訪れた常世神であると思われる事もまた、自然な事なのかもしれない。


 また、常世神信仰自体は、大陸由来の道教的な信仰の影響を受けて発生したとも考えられる。民間道教の一種であるともされているが……ある種のなども参考にしていた可能性ももちろんある。そしてその信仰を滅ぼした秦河勝は、仏教の信仰が篤い人物であった。

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