第73話 冴えない営業マン、アイドルとまみえる事:その②

 若い男の方は光坂テルと名乗り、女性の方は夢見鳥サツキと名乗っていた。敢えて名乗っていた、というのは、二人の名が本名ではないと思っていたからだ。

 確かにその名は名刺に記されていた。しかし名刺そのものがギラギラピカピカしたド派手な物だったし(ビジネスマンの名刺なんて、十中八九白地に黒文字のシンプルなやつなのだ)、そもそも彼らは配信者とアイドルだという。

 配信などという、オンラインでの活動を行っている連中だ。身バレ云々の事も考えれば、馬鹿正直に本名を使う人間の方がまれだろう。ましてや、二人は見る限り俺たちよりも若いのだから。デジタルネイティブ世代である事は明らかだ。


「和泉さん。実は和泉さんの事は、少し前から知っていたんです」


 にやにやと笑みを浮かべながら、光坂が言った。馴れ馴れしい物言いだな。反射的にそう思い、俺の眉間には皺が寄ってしまった。若者のタメ口に渋い感情を抱くのは、俺が社会人としての暮らしに慣れてしまったからなのかもしれない。

 よくよく考えれば、俺には彼ほどの歳の義弟だっているのだから。いや、陽一は彼よりも年下だったか。

 そうだったんですね。ともあれ、俺は光坂の話す言葉に耳を傾け、中学生みたいな言葉で応じていた。


「えへへ。この間、御社のサイトにアクセスして、それで試料のダウンロードをしたんですよ。ええと、夢見鳥さんが、この会社にとっても興味があるって言ってたんでね。それで、その後に俺たちの電話対応をしてくれたのが、和泉さんだったって訳なんすよ」

「そうですか。そんな事があったのですね」


 学生らしさ丸出しの物言いに呆然とする中、取り繕ったようにそう言ったのは藤原だった。彼も光坂の言動には当惑しているらしい。しかし戸惑いの念は、丹念に塗り固められた営業スマイルに押し隠されていた。

 藤原が密かに戸惑っている事が判ったのも、俺が彼とそれなりに付き合いがあるからに他ならない。初対面の、それも学生らしい甘さの抜けきらぬ光坂などは、一生気付かぬものかもしれない。

 そしてそうした若さが疎ましく、そして羨ましくもあった。


「確かに弊社では、資料の閲覧やダウンロードを行った方には、営業の方でお電話をさせて頂くようにしています。ええ、和泉も営業マンですので、彼が電話対応したというのも自然な事ですね」


 よどみない口調でそこまで言うと、藤原は思い出したように俺に視線を向けた。


「それじゃあ和泉君。光坂さんとは初対面ではなくて、電話ではやり取りがあったという事なのかな?」

「それは……」


 藤原に問われ、俺は首をひねってしまった。本来ならば、そこでその通りですと頷くのが正しかったのかもしれない。

 だというのに、この時ばかりは愚直にどうだったかと考え込んでしまったのだ。

 確かに、藤原の説明通り俺は営業マンだ。実際に、資料請求を行っただけのクライアントに対しても、電話を掛ける事もしばしばある。

 しかし、これまでに電話を掛けた者の中に、光坂テルなどという名の男はいなかったはずだ。まぁまぁ特徴的な名前である。だからもし、オンラインでも接触があれば、覚えていてもおかしくはないはずなのだが。


「ああ、すんません」


 真面目に悩みだした丁度その時、光坂が両手を挙げて俺たちに詫びた。と言っても、チャラチャラした大学生が、脊髄反射的に上げた啼き声のような物でしかなかったけれど。


「実は資料請求した時は、本名の方で登録したんすよ。いやその……企業のサイトだったんで、本名の方が良いかなと思ったんです」


 やっぱり光坂テルって言うのは本名じゃあなかったのか。俺は密かにため息をついていた。

 流石に光坂も俺のため息に気付いたらしい。慌てた様子で、彼は言葉を続けた。


「ああ、だけど。実際に仕事をするときには、配信者の光坂テルと夢見鳥サツキとして仕事をしようと思っているので……だから別に大丈夫ですよね?」

「そう言うもんなんですかね」


 一体何なんだこいつら。光坂の話を聞いているうちに、俺は段々とうんざりとしてきた。配信者などというミーハーな仕事に就いている彼を疎んでいる訳ではないのだが。

 そして光坂がペラペラと喋る中で、夢見鳥サツキはただただ無言でこちらを見つめているだけだった。だが俺と目が合うと、いや俺が彼女の顔に視線を向けると、その面に笑みが咲き広がるのだ。

 彼女も彼女で何を考えているのか解らない。それがそこはかとなく不気味だった。だというのに――見とれるような美貌だと、俺は少しずつ思い始めてもいたのだ。

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