第72話 冴えない営業マン、アイドルとまみえる事:その①

「ええっ、本当ですか藤原さん……いや藤原係長」


 朝の八時四十七分。藤原もとい藤原係長の言葉に、俺は驚きの声を上げてしまった。当の藤原は、「焦っていてもちゃんと僕の事を係長呼びしたのは偉いね」などとのたまって微笑んでいるのだが。イケメンで藤原会長の御令孫である事は知っているが……何となくイラっとしてしまった。

 それでも藤原は藤原だった。にっこりと微笑んでいたかと思いきや、真面目な表情を浮かべながら、じぃっと俺を見つめてきたのだから。渋い表情が滲む彼の真顔は、イケメンという事も相まって中々に凄味がある。


「先方から直々にご指名が入っているんだから仕方ないよ。いや、営業マンとしては、名前をクライアントに覚えてもらうというのは名誉な事なんだけどね」

「ええ、まぁ……そうなりますかね」


 確かに、営業マンがクライアントを確保できるのかどうかは結構死活問題である。特にうちの会社は、最大手のキーテックとライバル関係にあるのだから尚更だ。


「しかし和泉君。君は彼らとは面識はあるのかな?」

「それが皆目解らないのです」


 神妙な面持ちで問いかける藤原に対し、俺も素直に応じた。

 配信者やアイドルの知り合いなんて俺にはいないからだ。いや、厳密には昔なじみの島崎は、配信者とかアイドルの類に近いかもしれない。だが彼の本職は研究員であって、ドラマ制作は副業ないし遊びの延長だという。それに島崎や雷園寺がわざわざ来訪したというのなら、藤原は大喜びで彼らを出迎えるであろう。藤原もまた、島崎達とは面識がある。何となれば良い所のボンボン同士という事で、彼らとは大分打ち解けているみたいだったから。


「……まぁともかく、僕と一緒に彼らに会ってくれるね? 彼らとどういう関係を構築するかは、実際に面談してから考えようではないか」


 はい。困惑しつつも冷静な藤原の言葉に、俺は頷いた。少しいけ好かない所もあるように感じられる藤原であるが、会社員としてのスペックは彼の方が俺よりもはるかに勝っている。俺はもはや、その事を素直に受け入れていた。芳佳が俺の家に来てくれてから、精神的な余裕が出来たのだと思っている。

 だからだろう。隣にいた蒲生が「和泉っち頑張れよ!」と言っているのが、微笑ましく感じられたのも。


 応接室にて俺たちが出会ったのは、一組の男女だった。どちらも相当若い。俺たちは二十代半ばで……会社の中では若手と見做されてしまう立場と年齢だ。それでも、そんな俺たちを以てしても、彼らは若かった。何しろ応接室の落ち着いた空気からは、明らかに浮いてしまっているのだから。

 ああしかし。学生みたいな連中であると、そんな話では無かったか。藤原が言っていた事を思い出した俺は、一人で納得して頷いていたのだった。


「初めまして。本日は弊社に足を運んでいただき、誠にありがとうございます」


 まず口を開いたのは藤原だった。そしてそのまま俺に目配せをし、流れるように名詞交換が始まった。もしかしたら、交換などでは無くて俺たちが一方的に名刺を配布するだけかもしれない。

 だが以外にも名刺交換は成立した。スーツに着せられているような若者たちであったが、彼らもそれぞれ名刺を持っていたからだ。

 とはいえ、他の企業の相手と行った名刺交換とは違っていたけれど。何せ若い男の方は、俺たちから名刺を受け取っただけで、相当興奮していたのだから。

 社会人みたーい、って、お前らも所得税支払ってるんなら社会人じゃあないのかよ。そんなツッコミを行いたかったが、藤原係長の手前だしグッと堪えておいた。

 一体全体、打ち合わせと言ってどんな感じになってしまうのか。面談が始まって数分と経たぬうちに、俺は少し不安になってしまう。

 とはいえ、もう一人の女性の方は、幾分落ち着いた態度を見せているからまだマシだ。まぁ何というか、含みのある笑みを浮かべながら、俺をまじまじと見つめているのが気になりはしたけれど。

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