第63話 チワワと半妖と父の面影

橘の枝と真面目な話


 島崎は自分が結婚した事を自慢げに話していたが、別段俺は羨ましくはなかった。

 実のところ、俺には結婚願望なんて無かったからだ。まだ二十五で若いから、そうした事に興味がない、と言った意味ではない。もっと根本的な理由が、俺の中にはあった。

 結婚だけではない。家族の繋がりとかそういう物を、俺はそんなに重要視していなかった。所詮は書類上の物であろう、と。

 そしてそう思うのは、俺が養子である事に起因しているはずだ。育ての親も、一緒に育った弟(養父母の実子だ)とも血が繋がっていないのだから。それどころか、何故養父母が俺を養子にしたのか。その事すら俺は知らないのだ。


「ナオ兄。あたしら、芳姉の所に行ってくるね」


 島崎に意識を向けていた俺の背に声が掛かる。声の主は芳佳の妹分であるスコルだった。相変わらず彼女の周囲には弟妹分である犬妖怪たちがたむろして群がっている。島崎が、ほんの少し羨ましそうな表情を見せているみたいだった。


「良いよスコルちゃん。何というか、別に俺に断りを入れなくても良かったんじゃあないのかい」

「そうかもしれないけれど、ナオ兄にも言っておかなきゃって思ったんだよ」


 明るく弾んだ声音でスコルは言うと、そのまま立ち上がって芳佳の方へと向かっていった。人懐っこい所もまた、犬妖怪の特徴なのだろうか。俺はそんな風に思っていたのだが、玲香さんと島崎を交互に見やりながら、小声で尋ねた。


「島崎君。島崎君の奥さんは犬って大丈夫なんですか? 芳佳ちゃんはスコルちゃんを妹分として可愛がっているから、犬は平気みたいだけど」


 狐、妖狐は犬を恐れる。そんな昔の伝承ないし法則を俺が思い出したのは、スコルが玲香さんたちの方に向かった後の事だった。芳佳は犬を怖がらないから、そんな事はあんまり意識しなかったのに。

 とはいえ、俺の問いかけに対して島崎は朗らかに笑っているだけだった。


「玲香さんは確かに妖狐だけど、犬は大丈夫だよ。仕事の進め方によっては、野良犬に変化する事もあるらしいから、ね」

「ふうん。島崎君の奥さんも犬は平気なんだな。世間では狐は犬を怖がるって言うけれど、実際にはどうなの?」


 見知った女狐は二人とも、狐ながらも犬を怖がらない。その事が何とも不思議な事のように思えて、俺は島崎に問いかけていた。もしかして、妖狐の世界では狐が犬を怖がると言うのは、迷信か都市伝説の類なのだろうか。

 そう思っていると、島崎は口を開いていた。


「まぁ個人差の範囲かな。玲香さんとか松原さんは犬を怖がらないけれど、知り合いの妖狐の中には犬が苦手なひともいるしさ」

「言うて島崎君も犬は苦手なんだったっけ? どっちかって言うと猫好きってイメージがあるけれど」

「フワフワした生き物なら何でも大好きだよ。確かに、中学生の時に拾った仔猫を家で飼いたいなぁって思った事もあったけどね。だけど今は、ホップがいるから犬とか猫は良いかな」


 島崎はそこまで言うと、肩の上に止まっていた小鳥に手を伸ばし、その背や翼を撫で始めた。「ぼく、犬や猫なんかこわくないもん!」ホップと呼ばれた小鳥の、雀のそれにそっくりな嘴からは、幼い少年の声がまろび出ていた。


「それにしても、島崎君がまさか玉藻御前の末裔だったなんてなぁ。何か不思議な感じだぜ」


 小鳥との触れ合いが終わった頃合いを見計らい、俺はそっと島崎に話しかける。流石にこの質問は不躾な物だったらしく、島崎は眉根を寄せ、それとなく憤慨したような表情を作っていた。


「和泉君。和泉君も玉藻御前の末裔らしくないって言うんだろう。そりゃあまぁ、俺とて玉藻御前の末裔らしくないなりだと思ってるよ。美形のイケメンでもないし。だけどこれは、父親に似てしまったから仕方のない事なんだよ」


 父親に似てしまった。そう語る島崎の顔を、俺は食い入るように眺めていた。

 目の前にいる島崎源吾郎という青年が、父親である島崎幸四郎の若い頃に生き写しであるのは、俺も流石に知っている。幸四郎氏の著書の奥付にある顔写真を見た事があるし、実際に幸四郎氏を見た事もあるからだ。

 そうした事実を知っているからなのか、俺は島崎の表情により注目していた。自分が父に似ている。そう言った時の島崎の表情は、何処か嬉しそうで誇らしげでもあったのだ。実際問題、学者であり老齢な彼の父親は、末息子である島崎の事を溺愛していたとも言う。父親に似た姿をコンプレックスに思っているのかもしれないが、無邪気に父親を慕っている事もまた事実なのだろう。


「ああ、確かに。島崎君はお父様にそっくりだったもんなぁ」

「まぁ逆に言えば、見た目だけ父親に似たから、妖狐としての能力を沢山受け継ぐ事が出来たとも言えるのかもしれないけどね」

「……?」


 神妙な面持ちで語られた島崎の言葉に、俺は首を傾げた。島崎はそんな俺の表情を見て、ハッとした表情を見せてから付け足した。


「この前言いそびれたかもしれないけれど、俺は半妖なんだ。厳密には妖狐の血が四分の一なんだけど。とにかく妖狐の血は母親から受け継いだもので、だから父親は純然たる普通の人間なんだ」


 半妖の女性と結婚し、半妖として異形の特徴を具える息子を可愛がっていたのだから、幸四郎氏も普通の人間とは言い難いのではないか。そんな事を思いながら、俺は島崎の尻尾を眺めていた。

 人間の血が濃かろうと、島崎は強い力を持つ妖怪には変わりないだろう。四尾の妖狐なんてそうそうお目にかかれないし、何より彼の周囲からは、魔性めいた気配が漂っているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る