第四章:忍び寄りたるは胡蝶のイドラ
前編
第61話 花見と団子と団欒と
※
三月最後の土曜日。俺と芳佳はお花見の為に妖怪団地に遊びに来ていた。妖怪団地というのは、もちろん芳佳が元々暮らしていた所である。実のところ、芳佳はまだ団地の一室を借りている状態で、時々こちらの団地に向かう事もあるらしい。
そんな芳佳はさておき、俺にしてみればこの団地に赴くのは久しぶりの事だった。芳佳と出会ったのが二月の初めの事だから、およそ二カ月ぶりと言ってもいいだろう。
会場は団地内の中庭である。この部分は住民たちの共有スペースとなっており、誰でも気が向いた時にやって来て、他の部屋で暮らしている妖怪たちと交流できるようになっていた。
俺たちがやって来た時、中庭は既に花見会場に早変わりしていた。地面には敷物(しかもビニールシートではなくて薄手のじゅうたんのような奴だ)が敷かれ、団子やおにぎりやサンドイッチと言った軽食や、ちょっとした飲み物が用意されているではないか。
これらの準備は、もちろん団地の住民たちが有志で行ってくれたものだった。妖怪の食事だから……と多少身構えもしたけれど、見た目は人間の食事とほぼ同じだ。良かった。
そして主役の桜であるが、こちらも程よく咲いていた。流石に満開ではないけれど、七分咲き八分咲きくらいだろうか。開花予想では四月の初旬が見どころだと言っていた気もするのだけど。そもそもソメイヨシノではなくて、別の種類の桜なのかもしれない。八重咲のやつとか色が濃いやつとかあべこべに色が薄いやつとか、色々な品種が桜にもある訳だし。
「ナオ兄も久しぶりっ! 芳姉からはナオ兄の話はちょくちょく聞いとったけれど、ほんまに元気そうやなぁ。良かった、良かったわ。それはそうと、皆で用意したお団子、ほんまに美味しいで」
びっくりするほどハイテンションな様子で絡んでくるのは、チワワ妖怪にして芳佳の妹分であるスコルだった。ちゃんと人型を保ってはいるものの、猛スピードで振られる二本の尻尾は、彼女が犬妖怪である事をはっきりと物語っていた。
「あはは、スコルちゃんも、君の仲間のワンちゃんたちも元気そうで何よりだよ」
チワワやトイプーと言った小型犬(もちろん妖怪)に囲まれているスコルに向けて、俺は静かに微笑んだ。初めて出会った時、スコルは俺に対して喰い殺さんばかりの敵意と憎悪を露わにしていた。だが今は、俺の事を兄と慕い、親愛の情すら示しているではないか。
スコルの態度が一変した事には驚きはするが、不思議と彼女には悪感情は湧き上がらなかった。やはり元がチワワだったからなのか、彼女の言動や性格は何処か憎めないものがある。それに態度が一変したのは、この団地の長である平坂さんが、芳佳と俺の交際を認めた直後の事である。その辺りは、やはりスコルも犬なのだなと思ってしまった。彼女にとって芳佳は大好きな姉であり、平坂さんは群れのボスなのだろうから。
「それにしても、スコルちゃんからお兄さん呼ばわりされるなんてなぁ。何か恥ずかしいから、別の呼び方とか考えて欲しいかな」
俺の言葉に、スコルは二本の尻尾をくにゃりと曲げた。怒り顔ではないものの、丸い瞳にはやや不満げな色が浮かび始めた。
「ええ、でもなナオ兄。お姉さんの旦那の事もお兄さんって呼ぶんやって、平坂さんは教えてくれたんやで」
「旦那って……」
全身の気力が空気と共に抜けていきそうな感覚を覚えつつ、俺はため息をついた。俺が芳佳の旦那である。この言葉が冷やかしやからかいの類ではない事は、スコルの表情を見れば明らかだった。俺が芳佳の旦那、要は俺と芳佳は夫婦になっている。スコルは純粋にそう思っているらしい。いっそ冷やかしの類の方がまだマシであるようにさえ思えてしまった。
それにしても、スコルにしろメメトにしろ、何故俺たちが夫婦何じゃあないかなどと言い募ったりするのだろうか。俺たちは単に一緒に暮らしているだけだというのに。
「良いかいスコルちゃん。俺はまだ芳佳ちゃんとは……君のお
なだめるような口調でスコルに語り掛けながら、芳佳が俺の許に戻ってこないかしらと思い始めていた。もちろん芳佳も会場にいるのだが、彼女は団地の住民として、軽食や飲み物の用意やらの手伝いに向かってしまったのだ。
しかも今はその手伝いも一段落したと見えて、来客の一人である妖狐の女性と何やら話し込んでもいる。芳佳自体は楽しそうだし幸せそうなんだけれど、何となくもやもやしてしまうのも事実だった。
「一緒に暮らし始めて二か月も経ってないだって」
ところが、俺の発言に反応したのはスコルでは無かった。やはり来客である声の主は、銀白色の四尾を揺らしつつ、俺を訝しそうに眺めていた。
声の主は島崎である。どうやら彼も来客の一人らしく、ごくごく自然にこの会場にいて、ついで俺の傍に腰を降ろしていた。
「和泉君。君はどうも松原さんと一緒に暮らしている事は大した事ではないみたいに思っているみたいだけど、そもそも男女で同棲してるって、それだけでも大事だと俺は思うんだけど」
まぁ俺個人の考えだけどね。肩に雀ほどの白い小鳥を乗せたまま、島崎は懐っこそうに笑っていた。彼の先祖はあの金毛九尾だという事であるが、彼の物言いや態度などは、先祖の影響はかなり薄いように感じられた。
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