第51話 白狐の休息ときつねうどん
「ごめんね直也君。病み上がりってほど大げさな物じゃあないけれど、何となくしんどくて……」
「良いって良いって。芳佳ちゃんもずっと頑張っていたんだからさ」
三月の第二土曜日。既に昼前になっていたけれど、俺と芳佳は部屋の中でぼんやりと過ごしていた。朝は晴れていたのだが雲が徐々に増えていき、それと共に寒さも増しているように感じられた。
芳佳は白狐の姿のまま、彼女の専用ベッドの傍らで腹ばいに伸びていた。そうした彼女の挙動こそが、普段とは違っていたのだ。
数日ほど前に、芳佳は少し体調を崩してしまったのだ。医者(もちろん妖怪専門らしい)に診て貰った所風邪とのこと。症状自体はそれほど派手ではないものの、身体のだるさがあるらしい。芳佳はだから、人型に変化せずに、本来の白狐の姿で大人しく読書に励んでいるのだ。
厳密には彼女が目を通しているのは「あやかし学園」の特典写真集なので、読書と言っていいのかどうかは定かではないけれど。
「病院の医者も、ちょっと気を張りすぎているって言われたんだろう。よくよく考えたら、芳佳ちゃんもここ一カ月くらいは生活環境も変わったから、そのストレスの反動とかじゃあないのかと俺は思うんだ」
「ストレス、ですって」
俺の言葉に驚いたのか、芳佳が弾かれたように顔を上げる。それと共に、写真集を押さえていた前足の位置がずれる。硬い紙質の写真集は、押さえていた物がなくなったので、そのまま閉じられてしまった。
閉じた写真集の事など気にも留めずに、芳佳は不思議そうに首を傾げた。
「私、別に直也君と暮らし始めて嫌な事とか無いわよ? それなのに、ストレスの反動ってあるのかしら」
「それがね、あるにはあるんだよね」
問いかける芳佳に対し、俺はゆったりとした口調で告げた。
「まぁ、俺も大学で知った事の聞きかじりとかになるんだけどさ。ストレスって何も嫌な事とか悪い事だけに発生するんじゃあないんだって。要するに環境の変化とかでストレスを感じるらしいから、結婚とか就職みたいな嬉しい事でも、ストレスって発生するらしいんだよ」
「そ、そうだったんだね」
俺の言葉を聞いた芳佳は、耳を前方に傾けて目を丸く見開いていた。
結婚、という言葉に鋭く反応していたようにも思えるけれど、それはきっと気のせいかもしれない。俺もちょっと、結婚って単語を口にするときはドキドキしてもいたし。
「芳佳ちゃんも、俺の許で暮らすようになって、大分生活も変わっちゃったでしょ? 確かに、俺と一緒にいる事を嬉しく感じている事はひしひしと感じるよ。だけどその代わり、向こうの団地の妖たちとの交流も少なくなっちゃっただろうし」
「……そうね。そう言われると、直也君の言う通りかもしれないわ」
芳佳は静かにそう言うと、鼻面と前足の先を使って器用に写真集を開き始めた。妖怪たちが表立って暮らしている世界を、そこでの学園ドラマの写真集を、芳佳はどんな気持ちで眺めているのだろう。もしかしたら、単純に男妖怪が女の子に変化して女子学生をやっているという事を面白がっているだけかもしれないけれど。
「とりあえず、お昼は俺が作るよ。食べたい物とかある? レバーとか調理した方が良いのかな?」
そろそろお昼の支度もしないといけないもんな。芳佳は驚いたように耳を前後に動かしていたが、前足をクロスさせながらおずおずと答えた。
「それならきつねで良いよ。何というか、あっさりしたものの方が食べたいから。あ、でも、ゆで卵とかついていたら嬉しいかな」
「オッケー。解ったよ芳佳ちゃん」
リクエストを聞いた俺は、そのまま冷蔵庫に向かった。卵は良いとして、うどんや油揚げがあるかどうかを確認しないといけないからだ。
きつね:京都を除く関西圏ではきつねうどんの事を指す。油揚げの入った蕎麦は「たぬき」と呼び、「きつねそば」が存在しないため(筆者註)
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