第46話 研究所と思わぬ出会い
長らく車に揺られていた俺だったが、とうとう目的地である研究センターに到着した。研究センターと言っても、同一企業の工場棟も併設しているらしく、敷地自体は広かった。駐車スペースがやたらとだだっ広いのも、都市部の企業とは違っていて趣が深い。
趣が深いと言えば、空気や景色も都会のそれとは明らかに違っている。景色からして山の麓がすぐ傍に迫っているのだから。雀にしては低くてよく響く啼き声がそこここで聞こえ、昼間にもかかわらず空気は冷え切っていた。
「和泉君。この辺りは時たま雪が積もる事もあるらしいよ。去年の最強寒波の時とかもね」
「やっぱり寒いんですねぇ」
とまぁ、藤原とはちょっとした世間話を交えつつ、俺たちは研究センターの入口へと向かった。
※
俺たちを出迎えた職員は島崎源吾郎と言った。俺は受け取った名刺と彼の姿とを交互に眺めていた。色々と気になる点があったためだ。
まず名刺に記された肩書と、彼の容貌のちぐはぐさを感じた。名刺の表記によると、彼はもう主任の役職を得ているらしい。だが目の前にいる島崎の姿はあまりにも若すぎる。俺たちよりも年下か、下手を打てば二十歳前後かもしれない。上階から駆け下りてきた彼の姿を見た俺は、まずそう思った。
二十代そこそこで役職を得る事自体は俺も目の当たりにしている。現に隣にいる藤原などは、二十五で既に係長の座に就いているのだから。
だがそうした事を知っていてもなお、二十歳かそこらの若者が研究所で主任になっているという所に俺は強烈な違和感を覚えていた。
研究職などという物は、そもそも学部卒程度であれば門前払いされるような業界であり、修士課程まで修了した人間を雇い入れるような事もざらだという。大学院まで出るとなると、修士課程だけだとしても二十四、五になってしまう訳であるし。
大学では理系分野を専攻してしまったために、そんな事すら脳裏をかすめてしまったのだ。
次に、俺は島崎の顔を何処かで見た事があるような感覚にとらわれていた。それと共に、見覚えがある気がするのに何処での事だったのか明確に思い出せずにいたのだから、何とももどかしい気持ちだった。
とはいえ、目の前にいる島崎はそれほど特徴的な顔つきではない。むしろ特徴が無い事が特徴とでも言った方が良い位の面立ちだった。
もっとも、俺自身が人の顔と名前をあまり覚えられない傾向が強かっただけなのかもしれないけれど。
「そ、それにしても」
俺は今一度名刺に視線を落としながら呟いた。こういう時には藤原も色々とクライアントと話し込むかと思っていたのに、何故だか沈黙を決め込んでいたからである。言うて会議室に向かうまでの道中だから、ちょっとした世間話でも問題なかろう。ぼっちだった時期もあるけれど、そこまでコミュ障ではないはずだし。
「島崎さん、も、お若いのに主任なんですね。いやまぁ、研究所とかだったら、他の企業と色々と違う所もあるかもなのでアレですけれど」
気が付いたら俺はそんな事を言っていた。藤原の肘が俺の二の腕に軽くぶつかった気がするが、それもまぁ気のせいだろう。
少なくとも、島崎は気付いていなかった。彼はただ、俺の言葉を聞いて照れたように笑っていたのだ。
「いえいえ。主任と言っても下がいないんで実質平社員と同じですよ。それに実を言えば、この春僕が主任になれたのも、役得というかおまけみたいなものに過ぎませんし」
この研究センターには、島崎とは別にもう一人若手の研究員がいるらしい。そちらの研究員の方がゴリゴリの理系肌で研究職への適性がすこぶる高いのだそうだ。従って上司は雷園寺とかいうその研究員を主任に引き上げたのだが、その折に「それなら島崎君も主任にしておかないと可哀想だわ」という謎の発言によって、島崎も主任になってしまったのだという。
何というかとんでもない話だと思った。ちなみに藤原は、にこやかな笑みを浮かべていたが、その顔は何となく引きつっていたような気もする。
話を聞いて、笑っていたのは俺だけだったのだ。
「まぁ、僕も今年で八年目なので、主任の役職がついてもおかしくない頃なのかもしれませんけどね」
「八年目、ですか」
俺は思わず目を瞠り、島崎をまじまじと見やった。二十歳前後ながらも社会人八年目。島崎の年齢がますます解らなくなってしまったのだ。決して童顔というわけでは無いのだが、のっぺりとした顔立ちは年齢を掴みづらい。十八、九の若者のようにも、三十路に差し掛かっているようにも見えるのだ。
戸惑う俺の態度に気付いたのだろう。島崎はほんのりと笑みを浮かべながら口を開いた。何処となく人を喰ったような笑顔である。
「和泉さん。僕は今年で二十五になるんです。厳密にはまだ二十四で、来月誕生日を迎えるんですがね。なのでまぁ、学年的には和泉さんや藤原さんとは同学年ですよ。但し、僕は十八で就職したので、職歴はお二人よりも長いだけですが」
そこまで言うと、島崎は俺を見つめながら更に言葉を続ける。
「……それに和泉さんの事は、実は僕も知っているんです。確か小学校と中学は同じだったので」
「そうか。島崎さんと和泉とは同郷だったんですね。そうかそうか、良かったじゃあないか和泉君」
「同じ中学出身同士がこんな所で出会うとは、世間って案外狭いんですねぇ」
島崎に対して見覚えがあると感じたのは、小中が同じだったからなのか。しかし学生時代の彼の事は殆ど忘れてしまっているけれど。
そんな事を思っている間にも、島崎は俺たちを会議室に案内してくれた。
その島崎の瞳が、縦長の瞳孔を具える獣の目に見えたのは、きっと気のせいでは無かろう。
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