第三章:ビジネスマンは、敷居を跨げば七倍の妖あり
第43話 新規営業と社用車ドライブ
同い年にして直属の上司たる藤原怜央と共に、新たな営業担当として他社への挨拶に出向く。今日はそんな予定が入っていて、それ故に普段の水曜日とは違っていた。俺は確かに営業職だけれど、むしろまだ社内でのデスクワークの方が多かったからだ。
と言っても、外回りだからと言って狼狽えなどしない。その話は前々から決まっていた事だし、何より藤原が一緒だからだ。藤原の事はいけ好かない男だと思ってはいる。しかしビジネスパーソンとしての腕前は、残念ながら確かなものだったのだ。
「和泉君も最近仕事を頑張っているみたいだからさ、新しい営業先の担当者とも顔合わせをしたいと思ったんだ」
滑稽なほどに威厳たっぷりに語る藤原を前に、俺はまず息を漏らしていた。
しかしすぐに居住まいを但し、ついできりっとした表情も作る。仮にも上司を前にしているのだから、きちんとした態度は作っておかねばと思ったのだ。
「藤原係長も、僕の仕事ぶりまで見てくださっているのですね。お褒め頂きありがとうございます」
「いやいや。部下の面倒を見る事こそが上司の務めだからね」
最近仕事を頑張っているという事は、それまでは仕事を適当にやっていたとでも言いたいのだろうか。言葉とは裏腹に、俺はそんな事を考えてしまっていた。
そうやってうだうだと勝手に考えこみ、何気ない言葉に悪意が宿っていないか考えてしまう。それが俺の悪い癖だった。
だってほら、藤原はあっけらかんと、いっそ無邪気と言えるような笑みを見せているのだから。
とはいえ、以前よりも仕事への意欲が上がっている事、段取りよく仕事を終えるようになった事じたいは本当の事だ。
それもこれも、同棲している芳佳のお陰だった。彼女と一緒に過ごす時間を少しでも増やそうと思い、仕事を効率よく捌くようになったためだ。思っただけですぐに仕事が捌けるようになるわけでもない。試行錯誤しているうちに、少しずつ効率のいい仕事のやり方が解り始めたという感じだったけれど。
それでも、無邪気な心根の藤原には、それが良い兆候であると解釈してくれたのだろう。
「そう言えば、今回の営業先って研究センターでしたっけ」
そうだよ。それとなく尋ねた俺に対して、藤原はそう言って頷いた。
「隣の県の、吉崎町って所にあるんだけどね。確か神戸に隣接している町だったはずなんだけど……和泉君の方がその辺の地理は詳しいんじゃないの?」
「いえ。僕は姫路の出身なので」
俺は高校を出るまで姫路で暮らし、大学に入ってから今に至るまで大阪で過ごしている。だからその中間にある神戸の事は、実はそんなに詳しくはなかった。まぁ確かに、港町だとか海に面しているだとか、そう言うフワッとした事は流石に知っているけれど。
「ああそうか。姫路の出身だったんだね。これは失敬。いやはや、同じ兵庫県だからちと土地勘はあるかなと思ったんだけど、流石にそうでも無かったよね」
「言うて兵庫県は広いですからね」
そう言って笑う藤原は、もちろん大阪出身であるらしい。であれば兵庫県がひとまとまりとは言い難い事も知っているような気もする。だがその辺もそれほど気にしない所もまた、彼らしいと言えば彼らしいのだけど。
吉崎町にある研究センターとやらには社用車で向かう事になった。俺たちの会社は車要らずの立地条件ではあるけれど、他の会社が全てそうという訳でもない。むしろ車でないと行けないような場所にある会社の方が多いかもしれない。
とはいえ、今回は藤原がハンドルを握ってくれるので、俺はそんなに大仰に構える必要はない。そこもまたありがたい事だと言えるだろう。
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