第41話 秘められた嘘と密かな推論:芳佳視点

「それじゃ、芳佳ちゃんにメメトさん。俺はもう会社に向かうね。行ってきまーす!」

「気を付けてね、直也君。急ぎ過ぎてケガをしないようにね」


 朝起きてすぐは色々と一悶着があったけれど、直也君が勢いよく家を出て行った所で、それも一段落したんだと私は思った。

 直也君は寝坊をしてしまって、それで大慌てで出社する事となってしまった。だけど寝坊したのは私も同じ。普段通りに私が起きていれば、まだここまでてんてこまいにならなかったはず。

 そう思うと、自分の不甲斐なさが腹立たしくなって、思わず唇を噛んでしまった。


「……和泉さんも、急ぐくらいならば遅刻するなり休みを取るなりなさっても良いと、私は思うんですけどねぇ」


 斜め後ろで呑気そうな声が上がる。声の主はメメトだった。眠たげで気だるげな表情で、私と同じくドアの向こう側にぼんやりと視線を向けている。

 むっとした私は、メメトを睨んだ。呑気な彼女の言葉が、どうにも腹立たしかった。


「そんな事言わないで下さいよ、メメトさん。直也君が、頑張って出発した所は、あなたも見ていたでしょう」

「頑張っているからと言って報われるとは限りませんし、頑張り過ぎてガス欠になってしまう事だって、この世にはあるんですよ」


 私の言葉に対し、メメトは肩をすくめながら告げた。それから私の顔をじっと覗き込んでくる。その眼差しに宿る真剣さにぎょっとしてしまった。

 その間にも、メメトは言葉を続ける。


「そりゃあまぁ、私だって妖怪的にはまだまだ若いですよぅ。ですけれど、仕事柄頑張り過ぎて駄目になっちゃったヒトたちの事は、嫌というほど見てきたんですよ。もちろん、私もギリギリまで頑張っちゃうヒトの気持ちは解ります。だからこそ、余計に心配になっちゃうんですよぅ。松原さんも和泉さんも、特にギリギリまで頑張りそうな気配がありますんでねぇ」

「…………そうね」


 長い沈黙の後に、私の口から言葉が漏れた。無理をしてしまう事、それで平坂さんやスコル、そして目の前にいるメメトに迷惑をかけてしまった事は度々あったのだから。

 そんな所まで知っているからこそ、メメトは心配して私に声をかけ、その上で堕落した暮らしも悪くないなどと言いだすのだ。全くもって厄介な相手である。


「それに昨夜は、松原さんも和泉さんもようですし。起きるのが遅くなってしまうのも無理からぬ話ですよぅ」

「悪夢、ですって……?」


 さり気なく放たれたメメトの言葉に、私は片方の眉を吊り上げた。

 またお腹が、お腹の古傷が痛むかもしれない。左手をお腹に添えながら、私はメメトの様子を窺った。

 昨夜、私が悪夢を見たのは確かにその通りだ。幸か不幸か夢の内容は覚えていない。それでも、怖くて嫌な夢を見たという事だけは覚えている。夢の中での自分はまだ仔狐で、それで何かから逃げ出していたはずだ。怖くて、腹立たしくて、でも途中で直也君と出会ったような気もする。

 ここで私は考えを打ち切った。古傷が痛み始めたからだ。嫌な事があったり嫌な事を考えると、必ずこの古傷が痛む。傷自体は大昔に塞がった物で、だから痛む原因はストレスだって、ずぅっと前に平坂さんが教えてくれた。

 それにしても、よりによってメメトがいる時に痛むなんて。メメトは慌てた様子で、私に札を渡した。護符の一種で、妖気とかを安定させるための物だった。


「それは松原さんにプレゼントいたします。昨夜泊めて頂いたお礼だと思ってくださいな」


 顔を上げればメメトはへらりと笑っていた。それとともに、古傷の痛みがすっと引いていくのを私は感じた。


「悪夢って、私たちが悪夢を見ていた事を知ってるのね」

「ええ、ご存じですとも」


 気分の落ち着いた私が尋ねると、さも当然のようにメメトは頷いた。


「夢というのは個人の中で完結している事も多いですが、時にはああして、している場合もありますからねぇ。松原さんも、ドリームランドという単語自体は聞いた事はありますでしょう?」


 微妙な表情で頷いていると、メメトは更に言葉を続けた。


「ともかく私も管狐の端くれですからねぇ。普段はやりませんが、人の心に取り憑く事も出来るのです。お二人の夢の中に入り込んだのも、その業の応用みたいなものですかね」

「そう、だったのね」


 そこまで言うと、メメトは思い出したように帰り支度を始めていた。

 泊めてもらった礼だという魔道具を取り出し、メメトは私に半ば押し付けるような形で手渡したのだ。


「ねぇメメトさん。あなたもしかして、昨夜具合が悪くなったって言うのは半分ほどだったんじゃあなくて?」

「さぁて、どうでしょうねぇ」


 魔道具たちを受け取った私が問うと、メメトはのらりくらりとした様子で笑っていた。


「もしも仮病だったとしたら、やはり松原さんは怒りますかね?」


 逆に質問を投げるメメトに対し、私ははっきりと首を振った。


「別に怒らないわよ。メメトさんにも、その時そうするに値する理由があったんでしょうから」


 もしかしたら、メメトは私たちが悪夢を見る事を知っていたのではないか。だから敢えて昨夜は泊り込んだのではないか。そんな考えが浮かびはしたけれど、正直にそれを口にする勇気は、その時の私には無かった。

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