第40話 朝の日差しと二人の寝坊

 俺が目を覚ましたのは、目覚まし時計や芳佳の呼びかけではなくて、窓辺から差し込む日差しだった。夜間は消灯し、ベランダに面する窓は雨戸を閉めてはいる。それでも、部屋の上部にある窓までは雨戸を閉める事が無い。だから上の窓からは、朝になれば日差しが差し込んでくるのだ。そして季節柄、陽光はある時間帯になると寝ている俺の顔面に直撃する事となる訳だ。


「しもた……寝すぎたやん」


 日差しの眩さに目がくらむのも一瞬の事だ。俺はがばと布団を跳ね上げ、その勢いのままに起き上がろうとした。勢いだけが先行して転びそうになったり、派手な動きで芳佳を驚かせたり吹き飛ばしたりしてしまったのかもしれないが、その時はそんな事を考える余裕すらなかった。


「あああっ、直也君。おはよう」


 芳佳の声は向こうの床から聞こえてきた。彼女は既に起きていて、俺よりも先にベッドを出ていた。しかしまだ白狐の姿のままだった。俺を見ると、さも申し訳なさそうに耳を寝かせ、ふさふさの尻尾をしゅんと垂らしてしまった。


「私もさっき起きたばかりなのよ。本当なら、直也君を起こして、というかその前にお米も炊いてお弁当の準備とかしないといけなかったのに」


 そこまで言うと、芳佳は項垂れてため息をついていた。きっと気が動転し過ぎて、人型に変化するどころではないのだろうな。俺は半ば他人事のように、芳佳の心情について分析していた――置時計の時間を確認するまでは。


「そりゃあまぁ寝坊するのも仕方ないって……八時四十五分、だと!」


 八時四十五分。時計の示す時間を確認した俺もまた、思考がフリーズしてしまう。

 職場の始業時間は九時からであり、ここから職場までは徒歩七分程度の立地である。つまり、ここからダッシュで向かえば始業時間に滑り込む事は出来るには出来る。

――但し、食事も支度もゼロ分で考えた場合の話であるが。


「芳佳ちゃん。俺もう出発するわ! 何か着替えて出る位しか時間が無いからさ、もうそのまま出発せなあかんのよ」

「朝ごはん食べないなんてしんどいんじゃあないの。あ、でも、私たちも時には一食二食抜く事もあるから……それなら大丈夫かしら」

「すみませんねぇ、松原さんに和泉さん。私は少し早く起きていましたので、お二人に代わってご飯やお弁当の支度をすれば良かったのかもしれませんが」


 芳佳の言葉が終わった後に、のっそりとした口調でメメトが告げる。芳佳や俺の代わりにメメトがご飯を炊く。その提案に、俺と芳佳は思わず顔を見合わせてしまった。流石に一晩泊っただけの相手にそんな事をさせるのはおかしな話だろう、と。


「いやいやメメトさん。そんな、あなたは単なるお客様なんですから。別に俺らの事について気遣う必要なんて無いんですよ。というか、よく考えたら具合が悪くなったから、うちに泊まる事になったんでしょうし」

「お陰様で、私もゆっくり休めましたので、どうにか元気になりましたよぅ」


 メメトはそう言うと、俺たちの前でにっこりと微笑んだ。顔にも血の気が戻っているし、その仕草や態度には、無理をして動いている素振りは見受けられない。

 元気になったんだ。良かった……しんみりと感動しかけた俺ではあったが、直後にメメトの腹が盛大に鳴り始めたので、しんみりとした空気は吹き飛んでしまった。


 それはそうと、俺は急ピッチで支度を済ませ、そのまま家を出て職場へと向かった。職場の始業時間には、どうにか間に合った。

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