第32話 ストーキングと特別なあの娘

 芳佳はずっと探していた俺を見つけ出して幸せだし、俺は自分だけを見てくれる芳佳に巡り合って幸せである。

 互いが互いの幸せにつながっているのだから、それはそれで良い事なのではないか。俺はそう思っていたし、芳佳だって同じ気持ちのはずだ。だというのに、第三者であり客妖であるメメトは、腑に落ちぬと言った表情で俺たちを眺めているのだ。

 それだけではない。彼女はラムネの甘い香りを漂わせながら口を開いたのだ。


「和泉さん。あなたは本当に松原芳佳さんの事を愛しているのですか? 松原さんは和泉さんでなければならないと心に思い、あなたに執着の念を、いえ恋慕の情を寄せています。ですが和泉さんはどうなのですか?」


 メメトの口調と眼差しはやけに真剣なものだった。急にそんな事を言われたものだから、俺も戸惑って目を白黒させていた。もちろん、芳佳もだ。

 メメトはしかし、俺たちが戸惑っている事に気付きながらも言葉を続ける。そのあどけない顔に、何処か意地の悪そうな笑みを浮かべながら。


「言い方を変えましょう――和泉さん。あなたはただ単に、自分を愛してくれる相手であれば、誰でも良いのではありませんか? 向こうから積極的に愛情を投げ与えてくれれば誰彼構わず尻尾を振る。それこそがあなたの本質であるように、私には思えてならないのです」

「メメト、黙って聞いていれば――!」


 芳佳が身を乗り出し、メメトを睨む。まだ少女の姿を保ってはいるが、細い喉からは獣そのものの唸り声が僅かに聞こえていた。


「直也君を悪く言うために、あんたはわざわざ時間潰しの冷やかしでもやってるのかしら。直也君の事を……私の思いを悪く言うな! メメトには何も解らないくせに!」


 芳佳の声は怒りに震え、やはり獣の吠え声が入り混じっていた。先日の時のように、またしても彼女は狐の姿に戻るのかもしれない。

 ところが、メメトは物憂げな眼差しで首を振り、芳佳の腕におのれの手指を伸ばした。掴むでもなく撫でるでもないメメトの手つきは謎めいていたが、それ以上に彼女の指先から何かが逃げ出していくのが俺には見えた。それは黒紫の、薄いもやのように見えたのだ。


「松原さん。確かに私は何も知りませんよぅ。少なくとも、当事者である和泉さんや松原さんほどには、ね」


 メメトは少しおどけたような口調で話しているようだった。それに耳を傾ける芳佳の表情も、何故だか険しさが薄らいでいるではないか。俺に普段見せる柔和な表情とは異なり、何処か気だるげな、そして不思議だと言わんばかりの表情だけど。


「ですけどねぇ、経験や知識から推論する事は、この私めにも出来るんですよぅ。ええ、ええ。私めは下賤な狐、いえ狐ですらない単なるメスイタチですが、それでもこのお粗末な脳味噌には多少なりとも知識はありますゆえ」


 それからメメトは、また真剣な表情に戻った。


「はっきりと申し上げましょう。普通の感性を持つ人間であれば、松原さんのしたことに強い恐怖心を抱いて然るべきことなのですよ」


 そこまで言うと、メメトは一旦言葉を打ち切って俺たちの様子を窺った。もっとも、彼女の瞳には怯えや媚の色は見受けられなかったのだけど。


「この二十年間で松原さんが行ってきたのは、単なるストーカー行為に過ぎないのですよ。私は、遠見の鏡の件があるからその事は解るんです。松原さんは幼かった和泉さんに出会い、それ以来あなたの動向を探り続け、そして絶妙なタイミングで姿を現した。その上で、和泉さんと同居にまでこぎつけてしまった。客観的に考えれば、恐ろしい行為だと思いませんか? ましてや、彼女は人間とは全く異なる、異形の妖怪なのですから」


 仮に人間同士だったとしても、ストーカー行為は恐怖と惨劇に繋がりやすい物なのだ。念押しとばかりにメメトはそう付け加えた。俺の目を、じっと見つめながら。

 もちろんメメトが言わんとしている事は解っていたし、ストーカー行為が恐怖をもたらす事も何となく解る。それでも俺には、メメトの言葉は遠い世界での出来事のように思えてならなかった。

 芳佳はメメトについて少し嫌な奴だと思っているようだが、それは確かにその通りではないか。俺もそんな風に思い始めていたのだ。しかも冷静に理路整然と思い込んだ事を話し続けるのだから、あのチワワ少女のスコルよりも厄介かもしれない。

 今までに、無条件に俺を愛してくれる存在なんてこの世にはいなかった。だが芳佳は――何でもないこの俺の事を全て受け止め、その上で愛してくれる。俺にとって彼女こそが特別な存在だった。

 特別な事をしてくれる特別な存在が傍にいるのだから、彼女を愛するようになるのは自然な事ではないか? 何故メメトは、そんな事を疑問視するのだろうか。それがいっそ、俺には不思議でならなかった。

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