第31話 二人の世界はミラーリングで
いやはやすみませんね。何とも言い難い空気がテーブルを覆う中で、メメトが軽い調子で謝罪の言葉を述べた。
「何と言いますか、楽しい夕食時だというのに、私が余計な事を言ってしまって水を差したような形になってしまったんですからぁ」
「べ、別に、その事は大丈夫よ」
何が大丈夫なのかは定かではないが、芳佳はメメトの言葉にすかさず反応してそう言った。彼女も落ち着きを取り戻したようで、頬の火照りも幾分収まっている。
「私もね、夫婦って言葉で少しのぼせちゃっただけなんです。直也君とは、そう言う関係になれたらッていう思いとか、私自身の願望とかがごっちゃになっちゃって……だけど、それでもそんな事を直也君の前で言っちゃうと、やっぱり戸惑っちゃうわよね」
「そんな事、無いよ」
上目遣い気味な芳佳の瞳が僅かに潤んでいる。可愛い女の子の泣き顔も可愛らしいのだけれど、生憎と俺は敢えて女の子を泣かすような趣味は持ち合わせていない。だから先程の返答も、心からの物だった。
「夫婦と同じだって思ってくれる、芳佳ちゃんのその気持ちが俺には嬉しいんだよ。よくよく考えたら、芳佳ちゃん以上にこの俺を愛してくれた人なんて、この世にいない気がするからさ」
「……? お父様やお母様は?」
「両親と言っても育ての親だよ。あの人たちは保護者としての責務を果たしてくれはしたけれど、本当に俺を愛していたのかどうかは……」
育ての両親が、俺を愛していたのかどうかは解らない。最後の一文は結局の所口にはしなかった。芳佳は既に俺の境遇を思い出し、申し訳なさそうな表情を見せていたからだ。
芳佳にどんなふうに声を掛けようかと思案していたまさにその時、メメトが小さく咳払いした。それとともに、ラムネの甘い香りが広がっていく。
「あのですね、あくまでも私が夫婦みたいと言ったのは、本当に深い意味なんて無かったんですよ。ただ単に、お二人の動きがシンクロしていて、それで何となく、一緒に過ごしてきた雰囲気というのを感じ取っただけに過ぎませんよぅ」
それで若い男女でそこはかとない親しさがあったから、夫婦という言葉をチョイスしたのだ。メメトは軽妙な調子でもってそんな事を言い足した。兄妹とも、ルームシェアの二人組とも違う雰囲気だったのだ、と。
とはいえ、実際に親しい者同士・親しくなろうと思っている間柄の二人の動きがシンクロする事はままあるのだという。
「ミラーリング効果ってやつでしたっけ」
ご名答。俺の呟きを拾い上げ、メメトは頷いた。何故だか知らないが右手を手遊びの鉄砲の形にしており、その姿は何とも茶目っ気に溢れていた。
「そうです。そうですよぅ。恋愛心理学とかでも使われる手法なのですがね。実はこのミラーリング効果って、使い手が意識して行う場合と、意識せずとも行ってしまっている場合との二通りがあるんですよ。私はまぁ、結構意識して行う事があるんですけどね――クライアントさんの、心の隙間に入り込む事が大切な事もありますので」
そう言って微笑むメメトの右手は、もう鉄砲の形ではない。それとともに、あどけない面に浮かぶ笑みも、何処か狡猾そうな雰囲気が漂い始めていた。
「松原さんと和泉さんの場合は、特段意識していないにもかかわらず、お互いの動きがそれぞれシンクロしているように見受けられたのです」
「へぇーっ。メメトさん。そんな所まで見ているとは、探偵みたいだね」
「実際に、探偵というか捜査官みたいな事をメメトさんはなさっているのよ」
感嘆の声を上げた俺に対して、芳佳が告げる。メメトとばかり話していたからだろうか、その声は少し硬くよそよそしかった。
それはそうと。しかしメメトは芳佳の口調や態度は特に気にせず、俺を見据えつつ問いかけてきた。しかも先程までの飄々とした雰囲気はなりを潜め、何処か真剣さの滲む表情でもある。
「和泉さんにしてみれば、ほとんど見ず知らずの女の子が、それも人間とは似ても似つかぬ妖怪が転がり込んで同居生活が始まってしまった訳なんですけれど……その件については、和泉さんはどう思われているんです?」
「どうって言われましても、嬉しいって言う感情以外に抱くものってあるんですか?」
俺の返答に、何故かメメトは驚いたように目を丸くしていた。冗談か何かで返されたとでも思っているのだろうか。だとしたら少し不本意ではある。
しかしすぐ傍にいる芳佳は満更でもない表情を見せていたから、それはそれで良いのかなと思い直しもした。
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