第29話 仕事とレオポンの話

 メメトに簡単な挨拶を済ませると、俺はとりあえずスーツから部屋着に着替える事にした。芳佳がついたてを用意してくれていたし、俺も俺でメメトたちに背を向けて衝立と部屋の隅に挟まる形となったので、まぁ問題はない。


「メメトさん。この度はお忙しい中ご足労いただきありがとうございます」

「おやおや和泉さん。この私めに丁寧にごあいさつしていただくとは。さぞやお仕事の方も丁寧になさっているんでしょうねぇ」


 こちらとしては普通に挨拶を行っただけだったのだが、メメトは臆することなく丁寧な挨拶だと言ってくれた。笑みを浮かべるその面は、相変わらず外面的なあどけなさと内面から滲み出る老熟した気配とが入り混じっている。

 それでいて、俺を見つめる瞳は好奇心でにわかに輝いているのだ。


「仕事と言っても、しがないサラリーマンですよ」

「サラリーマンと仰っても、色々な種類があるじゃないですか。技術部門とか品質保証部門とか営業部門とか……」

「僕は営業マンの端くれなのです」


 直接問われた訳では無いにしろ、気付けば俺は素性の一端をメメトに話していた。


「と言っても、本当に自分たちの業績とかがきちんと評価されているのか、その辺りは昔から疑問には思っていますけどね。

 何しろレオポンのやつが、若い癖に係長にまで昇進しているんですから。ただ単に、会長の孫で専務の息子に過ぎないだけなのに」


 レオポン。藤原怜央につけられたあだ名を口にした時、メメトと芳佳が驚いたような表情を見せ、互いに顔を見合わせていた。

 二人の態度に何やら意味深な物を感じ、俺はまず芳佳の方に視線を向けた。俺が着替えている間に既に配膳は終わっており、二人の食事が始まろうとしている最中だったのだ。


「レオポンなんて、四十年ぶりに聞くなぁって思っただけなの」


 芳佳によると、レオポンというのはライオンと豹を掛け合わせた混血獣の事であるらしい。もちろん野生の獣ではなく、動物園での人為的な交配によって誕生した存在であるらしいが。ちなみにレオポン自体は一九八五年に最後の一頭が老衰で死亡し、それ以来はレオポンは作られていないという。

 俺や藤原が生まれるうんと前に最後のレオポンはこの世を去っているのだから、俺がレオポンについてさほど詳しくないのもごく自然な事なのかもしれない。

 一方で、芳佳とメメトはレオポンそのものについて、さも懐かしそうな様子であれこれ語っていた。話の流れからして、実際にレオポンを見た事があるのかもしれない。こうした所からも、芳佳たちが長命な妖怪なのだと思い知らされた。メメトの年齢は定かではないが、もしかしたら芳佳よりも年上なのかもしれない。二人が話す様子を見ながら、俺はそんな風に思った。


「あ、それにしても少し話が脱線してしまいましたねぇ。すみませんね和泉さん。私も、実はあんまり長居していたら怒られてしまいそうですし」

「長居しなくても、余所様のお宅に上がり込んだ挙句に夕飯までごちそうになってたら、そりゃあ誰だって良い顔ばかりしないわよ。座敷童みたいに、幸運を運んでくれるのならまだしもだけど」

「おやおや松原さん。座敷童には幸運を運ぶ能力なんてありませんよぅ。彼らはただ、運気が集まる場所で定住するというだけなんですから」


 芳佳の横槍に対しても、メメトは独特の口調でもって応じている。何だかんだ言いつつも、芳佳とメメトもそこそこ仲が良いのではなかろうか。二人のやり取りを見ながら、俺はふとそんな事を思った。


「話を戻しますね。レオポンって言うのは、藤原怜央ってやつのあだ名なんですよ。レオって名前自体がライオンを指してますしね。怜央のボンって事でレオボンってあだ名でも良いんじゃないかなって思ってたんですけど、二人の話を聞いていたら、レオポンってあだ名がついた理由も何となく解りました」


 藤原怜央にレオポンというあだ名をつけたのは、部長だとか次長などと言った、所謂オジサン社員の面々だった。もしかしたら、彼らもレオポンの存在を知っていて、それで混血獣の名を、藤原怜央のあだ名として採用したのかもしれない。ボンボンだからボンを使わないのは何故だろうか。数年来の謎は、意外な所で明らかになったのだった。

 俺はそこから更に、藤原の事は少し苦手に思っている事、昨日芳佳と一緒に出掛けている所を目撃され、その事について言及されてしまった事などをメメトに語っていた。


「まぁ何と言いますか、親の七光りで出世できたような、ちといけ好かないやつですよ」

「親の七光りや血統の事については、私ども妖怪の世界でも往々にありますねぇ」


 呑気な調子で語るメメトに対し、俺は更に言葉を続けた。


「しかも、ライオンにちなんだ名前を貰っている割には、小姑みたいなところがあると言うか、ともあれ細かい所に気が付くような、神経質さも持ち合わせたような男なんですよ。今日だって、俺のワイシャツに狐の毛が付いているなんてわざわざ言い出してましたしね」


 やや憤慨しながら言うと、芳佳もメメトも僅かに驚いたような表情を見せていた。


「へぇ……そのレオポンさんは、和泉さんの服に付いた毛が、狐の毛だと解ったんですね」


 ややあってから、メメトが感心したように呟く。芳佳もまた、少し考えてから納得したように頷いていた。


「直也君。その係長の方って、きっと私たち妖怪の事に詳しいのよ。普通の人間だったら、狐の毛だなんてすぐに解らないもの」


 身を乗り出した芳佳の表情は、実に真剣なものだった。

 藤原怜央が妖怪について詳しい。それが一体どういう事なのか。芳佳とメメトの顔を眺めながら俺は思案した。しかし仕事で疲れているためか、結論らしい結論は出てくる事は無かったけれど。

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