第21話 狐に惚れられ共に過ごす縁

 平坂さんは、そこからも少しばかりスコルと呼ばれるチワワの妖怪少女の来歴について語り、俺は静かに耳を傾けていた。飼い犬だったがゆえに、スコルは男女の情について知らないし、彼女自身もそうした欲求は無い。スコルがそうなった理由について語られても、正直な所どのように反応すべきか悩ましかった。

 犬猫に対して避妊手術や去勢手術を行う事について、俺は特段違和感はない。飼われている犬猫の殆どはそうされているだろうし、野良猫や地域猫だって、手術しなければ殖えすぎて困る事になる。その程度の認識だった。

 しかし――それが人型になっている事を思うと、件の手術がひどくグロテスクなものに思えてしまったのだ。スコルの言動が、そうした手術によって若干幼い状態にとどめられていると言われると尚更に。


「そんな訳でだね、この団地に住まう妖怪たちは訳アリの面々ばかりって事さ。妖怪であっても訳アリとかじゃあなければ、ここ以外の場所でも普通に暮らせるからね」


 スコルに関する身の上話が終わると、平坂さんはそう言った。妖怪はこの世に沢山存在すると言わんばかりの物言いで、俺は不思議な気持ちになってもいた。

 俺自身、芳佳に出会って話を聞いていたから、妖怪がこの世に沢山いる事は知識として知っていると思っていた。それでも、芳佳以外の妖怪たちに出会ってみると、驚いたし戸惑ってもいた。彼女らが濃ゆい性格だった事もあるのかもしれないが。


「訳アリというのは、愛しの松原芳佳嬢とて例外では無いんだよ、和泉君」

「何ですかその愛しのって言うのは」


 真面目な表情でさらりとおかしな言葉を付け加えたのではないか。俺は平坂さんをまじまじと見つめながらツッコミを入れていた。マトモに口を開いたのがこんな言葉だったというのが、何とも言い難い所だけど。


「――元より芳佳ちゃんのような毛並みの良い妖狐が、身寄りもなくたった独りになってしまっている事自体がおかしいんだよ。あの子は、神使になれるような血筋の妖狐だと思っているからね」

「神使って、お稲荷さんとかって事ですかね」

「まぁその解釈で合ってるよ」


 やり手教師めいた平坂さんの口調に、俺はしかし安心していた。狐はお稲荷さんに関りが深い。漫画とかで得た知識だけど、それを特段否定されなくてホッとしていたのだ。


「彼女は一尾の妖狐に過ぎないけれど、その妖気には神性も含まれているんだ。君もきっと、ゆくゆくは気付くようになるだろうね」

「気付くようにって……僕はただの人間、ですよ」


 ただの人間。そう言った直後、俺は心臓がうねるのを感じた。本当はそうじゃないだろう。心の奥底に潜むナニカが、俺を嘲笑っているような気がしてならなかった。

 平坂さんは、そんな俺を見て鼻で笑っていた。


「ただの人間、か。君がそう言うのならばそういう事にしておこうじゃないか。

 しかし、君はもはや妖怪たちの存在を知り、そうした者たちと縁を育むようになった。その事だけは忘れぬように」


 そこまで言うと、平坂さんは顔を近づけ、俺の顔を覗き込んだ。変にうねっていた心臓が、規則的に鼓動を早めていく。美女に顔を近づけられて喜んでいる訳では無い。ドキドキしている事には変わりないが、むしろ緊張と恐怖によるドキドキだった。彼女は既に笑みを消し、黒々とした大きな瞳は表情が全く読めない。

 何かを、俺が知っている事も俺が知らない事すらも一切合財見通そうとするような眼差しで、俺の顔を見つめていたのだ。

 どれだけ彼女が俺を見つめていたのかは解らない。だが平坂さんは気が済んだのだろう。あからさまな作り笑いを浮かべると、半歩ほど身を退いてくれたのだ。俺はホッとして深々と息を吐いた。


「くれぐれも、芳佳ちゃんの事は大切にしてやるんだぞ」

「は、い……?」


 放たれた平坂さんの言葉に、俺は首を傾げつつ頷いた。頭の中では疑問と彼女に対して言おうとしていた言葉とが渦巻いていたが、それを口にする暇も与えずに、平坂さんは続ける。


「芳佳ちゃんの、君へのが本物である事は今しがた目の当たりにしたところだろう? 可愛がっていた妹分に対してまで、ああして牙を剥いたのだからね。姉妹の友誼を結んでいた相手よりも、かつて一度出会っただけの人間の男を、つまりは君を芳佳ちゃんは選んだんだ。それがどういう意味なのかは解るよね?」


 平坂さんの言葉に気圧されつつ俺は頷いた。彼女は満足げに頷き返している。


「それにしても、何故俺などに芳佳ちゃんは……松原さんはあそこまで惹かれたのでしょうか」

「何故なのかは流石に私にも解らないよ」


 思わず口をついて出てきた問いに対し、平坂さんは肩をすくめた。


「私に解るのは、芳佳ちゃんが君に向ける執着の念が、単なる恋慕の情にはとどまらないという所かな。元より彼女は、君ととは言っていたものの、君を恋人にしたいだとか夫にしたいとは言っていなかったんだ」

「……」


 微妙なニュアンスの違いに過ぎない気もするが、言われてみればその通りだった。とはいえ、芳佳も遠慮してそう言っているだけではないかとも思うのだが。


「妖狐の中には人間や他の妖怪に対して前世の縁を見出す者がいるからね。もしかしたら、芳佳ちゃんは君にそう言ったものを感じ取って、それで惹かれているのかもしれない」


 前世という事は、転生というのもあるという事なのだろうか。そんな唐突な疑問を、俺はついつい口にしていた。平坂さんもまた、ごくごく自然に転生は起こりうると応じてくれた。

 もっとも、最近小説や漫画で記されるような転生とは異なり、前世の記憶が継承される事は殆ど起こらないと言っていたが。


「執着と言えば、狐忠信の事を思い出したよ」


 転生の事について話し終えたところで、平坂さんは呟いた。その顔には興味深そうな笑みを伴いながら。


「ああ、狐忠信というのは、義経千本桜に登場する妖狐の事だよ。その顔を見ると知らないみたいだね。別に知らない事は悪ではないから安心したまえ。

 一言で言えば、狐忠信は忠信という男に変化した妖狐で、初音の鼓を持つ静御前に付き従っているんだ。男女は異なれど、人間に執着する妖狐の図式という事では君らの関係に似ているんじゃあないかな」

「そう……なんですかね」


 ぼんやりとした俺の言葉とは対照的に、平坂さんは笑みを深める。


「狐忠信が静御前を慕う理由は、初音の鼓にあったんだ。というのも、件の鼓には、彼のが使われていたからね。だからこそ、狐忠信は静御前に付き従ったんだ。妖狐の世界では、そういう事もままあるんだよ」


 にやにやと笑う平坂さんの姿は、今や不気味な異形のそれにしか見えなかった。別に異形めいた姿など見せず、相変わらず女性の姿を取ってはいるけれど。

 その話で行けば、俺が芳佳の親を殺し、その遺品を持っているから慕われているだけだと言いたいのではないか。そんな事を俺は平坂さんに言いたかった。

 しかし、結局の所俺は何も言えなかった。荷物をまとめた芳佳が、妹分のスコルと共に戻って来たからだ。

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