第18話 仲裁者は唐突に
「そうさ! 芳姉を誑かした猿モドキのヒトオスなんざ、このあたしが喰い殺してやるよ。そうすれば、芳姉だってあたしらと一緒にずっと暮らせるし、もうヒトオスとつるむなんて世迷言も言わないだろうからな。はは、あはははは――」
半獣と化したスコルの口から漏れ出るのは、相変わらず獣の吠え声と人の言葉が入り混じった物だった。ノイズのような聞き苦しい音であるにもかかわらず、二つの異質な音声は綺麗に混じり合い、おぞましいまでの調和を見せていた。
スコルの犬そのものの頭部は光り輝いていた。太陽光が降り注いでいる関係なのだろうが、俺の目には彼女が後光を背負って輝いているように見えてならなかった。
「世迷言を口にしているのはあなたの方でしょう、スコル」
そして隣からも、冷え冷えとした声が聞こえてきた。芳佳の口から放たれたものだった。彼女はしかし、俺と目が合うと、にこりと笑みを作って言い足した。
「直也君。直也君は危ないから下がってて」
「え、でも――」
「良いから!」
気迫のある芳佳の言葉に、俺は思わず後ずさった。芳佳から放たれる圧が、俺の身体を押しやったような感覚さえ抱いてもいた。実際には、芳佳はこの時俺の身体に触れてなどいないのだけど。
とはいえ、彼女の様相にも変化があった事には変わりはない。芳佳もまた、半獣の姿を見せていたのだ。桜色の唇は耳元まで裂けて牙が隙間から覗き、滑らかな肌は白く輝く毛皮で覆われている。半獣の化け犬がスコルならば、今の芳佳は半獣の妖狐そのものだった。しかも、青白く丸い焔が二つ、芳佳の両脇に浮かび、ゆっくりと回転しているではないか。
「ねぇスコル。あなたは直也君をどうするって言ったのかしら。私に教えて御覧なさい」
「どうするも糞もねぇよ。そこのヒトオスはぶっ殺す!」
「そんな――」
蒸気と煙を噴き上げながら応じたスコルに対し、芳佳は天を仰いで吠えた。その吠え声は、スコルのそれとはまるきり異なっていた。強いて言うならば、赤ん坊の泣き声に似ていた。
ああそうだ――俺は唐突に、脳内に蓄えていた妖怪の知識を思い出した。妖狐の啼き声は赤ん坊の泣き声に似ている。捨て子がいると人間を惑わし、近寄って来た間抜けで哀れな人間を喰い殺すのだ、と。邪悪な九尾を斃す少年漫画でも、件の九尾は赤ん坊のような啼き声だったではないか。
そこまで思いを巡らせた俺は、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。心臓がせり上がって来るかのようにうるさく拍動を繰り返し、それに伴うように息が苦しくなる。恐怖だ。恐怖に伴う過呼吸やら動悸やらが、俺に覆いかぶさったのだ。
腹立たしげに、そして哀しげに吠え合う芳佳とスコル。どちらも純然たる異形に過ぎず、それ以前に獣性丸出しの獣ではないか。俺は、俺はそのうちの一方に魅入られてしまったのだ――昨晩から今に至るまで、俺が仕出かした事は何だったのか。それが果たして正しかったのか。取り返しのつかない事をやってしまったのではないか。頭の中で意味のない自問自答が駆け巡る。あまりにも考えが巡り過ぎているためか、視界も歪んで回っているように思えてならない。それでも俺は逃げ出さなかった。逃げ出すなどと言う選択肢すら、頭から浮かんでこなかった。
「――芳佳ちゃんにスコルちゃん。二人ともやめなさい」
鈴の音とともに、凛とした声が周囲に響き渡る。それを聞くや否や、俺はあたりの空気が一変するのをはっきりと感じた。不気味な視界の歪みも、不愉快な動悸と息苦しさも収まっている。
声が聞こえた方角にいたのは、一人の女性だった。見た感じは芳佳たちよりもうんと年上で、明らかに大人の女性と言った雰囲気を醸し出している。そのせいか、ジャケットにズボン姿とラフな姿であるにもかかわらず、威厳や落ち着きが感じられた。ついでに言えばかなり背が高く、しかも出る所は出ている体型らしい事が服越しに感じられた。
彼女の頭が動き、束ねた黒髪の房が揺れるのが見えた。突如として現れた女性に気を取られていたのですぐに気付かなかったが、芳佳たちの唸り合う声はもう聞こえない。それどころか、半獣姿になった二人も見えないではないか。
いや違う。芳佳もスコルも完全に本来の姿に戻っていただけだった。獣の姿に戻った二人は小さいので、それで見失ったように思っただけらしい。芳佳はもちろんまっ白な狐の姿に戻っていた。そしてスコルは、芳佳の半分ほどの体格しかない、クリーム色の毛並みのチワワそのものだった。愛玩犬らしからぬ野性味あふれる表情と、二本の巻き上がった尻尾以外は、本当に普通のチワワと大差なかったのだ。
そしてこの二人には、もはや獰猛な気配は見当たらなかった。突如として現れた女性を仰ぎ見て、申し訳なさそうに耳を伏せているだけなのだから。
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