第17話 友などではない、それはただのフレネミーだ
俺の予想に反し、スコルはすぐには何も言わなかった。その代わり、彼女は鼻をひくつかせながら俺の周りをゆっくりと歩き始めた。その動きはやけにゆっくりで、あまりにもゆっくり過ぎてコマ送りの画像を見ているかのような錯覚さえ覚えるほどだった。
俺と芳佳の何かを確認したスコルは、ややあってから最初にいた場所に戻った。真っ黒に塗りつぶされた瞳は変わらない。いや――先程よりもその濃度が強まったようだった。
「――お前か」
短く吐き出された四文字が、スコルの口から出たものだと認識するまでにいくらかのタイムラグがあった。それは少女の声とは到底言い難い物だった。獣の唸り声とも違う。それよりも禍々しい、地獄の亡者の怨嗟の声か、地獄を吹き抜ける隙間風のような物だったのだ。
それだけの魔力がスコルにあるのか、それともスコルの態度からそう思ったのか。俺には解らない。解らないうえに考える暇などなかった。
「お前が芳姉を誑かしたんだな。この野郎、アタシらを単なる愛玩動物に過ぎないと思い込んでいるような、下賤なヒトオス風情が!」
「スコル」
スコルの言葉に絶句している俺の隣で、芳佳が彼女に呼びかける。今まで(と言っても昨晩会ったばかりだが)聞いた事の無いような、冷え冷えとした声音だった。
「直也君の事をそんな風に言うのはやめて。スコちゃん、私はこの人と一緒になる運命なのよ。その事は、子供だった彼を見た時から解っていた事なの」
「運命やと? 何でそんなフワッとした言葉で片づけようとするんや」
瞳の奥で仄暗い感情を迸らせながら、芳佳は俺への想いを口にしていた。だが、犬少女のスコルは納得がいかない様子を見せている。実を言えば、俺も何故芳佳が俺に対して運命を感じたのか、その辺りは不思議に思ってはいるのだけれど。
いずれにせよ、俺は出る幕は無かったし、口を挟めるような状況ですらなかった。
その間にも、芳佳とスコルの口論は続いていた。
「だって……どうしてもそうだとしか思えないのよ。私には直也君しかいないし、直也君にも私しかいない。その事が直感で解ったの。それだけで十分じゃあないの?」
「要するに芳姉は色ボケたってだけとちゃうか? 丁度、キツネの繁殖期は冬から春やとも言うしな」
そこまで言うと、スコルは芳佳から視線を外した。今の彼女の視線の先にいるのは――もちろん俺だ。憎悪の色は薄らいでいたが、相変わらず物騒で剣呑な眼差しを向けている事には変わりはない。
「それにしても、よりによってヒトオスなんぞを番に選ぶとは……やっぱり芳姉は誑かされてもうたんやで」
「直也君!」
「え、俺?」
急に芳佳に呼びかけられ、俺は目を丸くした。蚊帳の外ではなくなったという喜びよりも、芳佳に声を掛けられた事への驚きの方が強かった。
「直也君もスコルに何か言ってやって頂戴。直也君にも、一杯失礼な事をあの子は言ったのよ。だから、直也君はスコルに対して怒りをぶつける権利だってあるんだから」
「……」
おのれの意見を求められ、俺は更に戸惑う他なかった。可愛がっていた妹分よりも、俺の事を芳佳は優先してくれている。それは確かに喜ぶべき事なのかもしれない。だというのに、そんな事で良いのかと、俺の心の冷静な部分が叫んでいた。
とはいえ、俺が無言を押し通す事も出来ないだろう。芳佳もスコルまでもが、固唾を飲んで俺の言葉を待っているのだから。
俺はだから、震える唇を御しながら言葉を紡いだ。
「す、スコルさん。犬は人間の友達って言う言葉は聞いた事、が、無いかな?」
たどたどしく幼稚な質問を吐き出した。最後の言葉と共に、ため息も盛大に漏れ出てしまう。当たり障りのない、中身すらない言葉。だが今の俺には、それしか口に出せなかった。
スコルが更にツッコミを入れてきたら、その時においおいと説明を行おう。彼女が犬でありながら、何故こうも人間に敵愾心を抱くのか。そんな疑問は、言葉にはならずとも心の中にあるのだから。
だが俺の思惑に反し、スコルは問いかけてくる事は無かった。唇をゆがめ、馬鹿にしたような笑みを浮かべていたのだ。
「はははっ。犬が人間の友達やて? そんなのは、貴様ら人間どもが押し付けた、都合のいい幻想に過ぎひん。逆に聞くけどな和泉直也。あんたはフレネミーって言葉に聞き覚えはあらへんか? 友達を装って、友達のように振舞っとる相手に害をなすような輩の事やけど――」
「…………」
饒舌なスコルの言葉に、俺はただただ黙って耳を傾けていた。まさかスコルがフレネミーなどと言う言葉まで知っているとは。その事にただただ驚いていたのだ。
「あたしらにとって人間は、そのフレネミーみたいなもんなんや」
人間は友に擬態した敵に過ぎない。そう断言したスコルは、今一度俺をぐっと睨みつけていた。
「その事が解ったら、さっさと芳姉から離れろや! 離れへんのやったら、あたしかて実力行使したるからな――」
白い額に青筋を浮かべながら、スコルは吠えた。吠えたというのは比喩でも何でもなく、彼女の言葉は犬の吠え声や遠吠えが入り混じり、最後には完全に犬の吠え声と変わらなくなったのだ。
スコルの異変はそれだけではなかった。今や彼女の目鼻や口からは煙が漏れ出し、その顔や手足は犬のそれに戻りつつある。それまで人型を保っていた彼女は、異形としての姿を露わにし始めていたのだ。
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