第15話 ケルベロスなのにチワワだと(困惑)

 周囲が静かになったなと思っていた丁度その時、目的地である団地はもうすぐだと芳佳が教えてくれた。


「団地って言うよりも、長屋とかって言った方が近いのかもしれないわ。今風に言ったらシェアハウスみたいな感じかな。そもそも妖怪って、家族単位じゃあなくて、仲間同士で一緒に暮らす事も珍しくないみたいだから」

「そう、なんだね」


 芳佳の説明に、俺はぎこちなく頷くだけだった。何となく、深く踏み込んではいけない事柄のように思えたからだ。いやそれだけじゃない。俺自身も、そこから先の話に踏み込めるような言葉を持ち合わせていなかった。

 俺には確かに家族はいる。しかし血の繋がりは無い。実の両親がどうしているのかは知らないし、養父母ともそんな話は出なかった。義弟は俺が義兄である事しか知らないのだから尚更だ。


「私も仔狐の頃はシセツで過ごしてたんだけど、ある程度育ってからはシセツ長の知り合いが運営しているあの団地に移り住んだのよね。確か、小さかった頃の直也君に出会う前だったかな」


 そう言うと、芳佳はまた腹部をさすった。その顔が、痛みに耐えるかのようにかすかに歪んでいるではないか。

 心配になった俺は、思わず声をあげていた。


「大丈夫かい芳佳ちゃん。何処か痛むの? 何なら病院とか……」

「大丈夫。私は大丈夫だから」


 芳佳は微笑んで、大丈夫だと繰り返していた。その微笑みは弱々しく、そしてその言葉はおのれに言い聞かせているかのようだったけれど。


「昔の事を思い出そうとしたりすると、ちょっと古傷が痛むだけなの。どうしてそんな傷が出来たのか解らないけどね」


 そこまで言うと、芳佳は申し訳なさそうな表情をにわかに浮かべる。


「それはそうと、何かごめんね? 直也君に心配かけさせちゃったよね。しかも、古傷なんて言っちゃったし。でもね、お腹の傷も大昔にふさがってるやつだし、感染症とかも大丈夫だって言われているみたいだから、直也君は何も心配しなくて良いのよ」

「芳佳ちゃん……」


 儚げな笑みを浮かべる芳佳を前に、俺はただ彼女の名を呼ぶほかなかった。

 もっと頭の回る、気の利いた男ならば、彼女を元気づける言葉が出てきたはずなのに。そんな悔恨の念が、俺の中でわだかまっていた。


 辿り着いた先にある団地、若しくはシェアハウスは、ひどく落ち着いたたたずまいだった。建物の周りには木々が多い。季節が季節なので山茶花や椿の花しか見当たらないが、春から夏にかけては多くの花が咲き誇るのではなかろうか。植物については疎い俺だけど、そんな事を思えるくらいには、木々が繁茂していた。ちょっとした公園みたいだ。


「……何と言うか、妖怪の住処って感じだね」

「それってどういう意味なの?」


 俺の呟きに、芳佳はすかさず口を挟む。少し拗ねたような表情を浮かべているが、それを見て俺は微笑んだ。彼女をからかったのが楽しいからではない。お腹の古傷とやらを気にしていた時とは打って変わり、芳佳が元気を取り戻したからだ。

 さて、相手をからかってばかりではいけない。そう思った俺は、先程の言葉をフォローしようと頭を巡らせた。

 ざわざわと、椿やら山茶花の枝が、葉を震わせたのは丁度その時だった。


「芳姉が戻って来たぞ!」

「お帰りなさい? 芳姉!」

「何や何や、けったいな奴を連れて来とるやんか」

「テツ、そいつはけったいな奴とちゃう。ただのヒトのオスや」

「何でヒトオス何かが芳姉とくっついとるんや! 喰い殺したろか」

「そんな血の気の多い事言うたらあかんて。ひとまずボスと、芳姉の話を聞かんと」

「……!」


 木々の茂みから姿を現したのは、まさしく異形だった。チワワをレトリバーほどに巨大化させ、頭を三つに増やしたもの。目の前にいるソレは、そうとしか言いようのない姿を取っていたのだ。そいつは俺をじっと睨み、三つの頭で間断なく喋っている。幾つもの声で、だ。三つの頭だから三種類の声などと言う事ではなかった。


「芳佳、ちゃん……? こいつは、一体……」

「送りチワワよ」


 芳佳が口にしたのは妖怪の名前だったのだろうか。それにしても聞き慣れぬ名前である。まぁその、ケルベロスっぽいけれどチワワ的な特徴はあるにはあるんだけど。


「昔からいる送り犬の一種なんだけどね、この子たちはほぼチワワで構成されているから、区別して送りチワワって呼んでるの」


 この子たちとはどういう事であろうか。芳佳の説明に、俺の中で疑問は更に膨らんでいく。

 そうしているうちに、三つの頭を持つ送りチワワの様子が一変した。その身体がブルブルと震えたかと思うと、前触れもなしに弾けて崩れたのだ。別にグロい光景が展開された訳では無い。ブロック細工のように、金色や茶色や白色の毛玉の集合体が分離しただけの話だ。そしてその毛玉たちは、普通にチワワなどの犬たちだった。よく見たらトイプードルやジャックラッセルテリアみたいなのもいたけれど。

 ケルベロスと思っていたものは、どうやら十数匹の小型犬たちの集合体だったらしい。自分でも何を言っているのかよく解らないが、まぁそういう事なのだろう。

 犬たちは俺たちに向かってくるわけでもなく、お座りの状態で何かを待っていた。かすかな足音がこちらに近付いて来る。犬たちは音の方に顔を向けていたのだった。数匹の犬が、呟くように「ボス」と言ったのを俺は耳にした。

 ややあってから、そのボスが姿を見せた。そいつは人間の少女、あるいは若い女性の姿を取っていた。

 きついパーマのかかった短い金髪に、首許を飾るチョーカーとドッグタグ。そしてヒョウ柄のジャケット。犬たちがボスと仰ぐ女性は、大阪のこの地と言えどもド派手な出で立ちだった。

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